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そろそろ「暮らし」をとらえ直すとき

「暮らし」という言葉に、なんとも釈然としない、モヤモヤした気持ちをかかえてきた。

その感情は、あるジャンルの雑誌を開いたときに私のなかに立ちのぼる。前半は旬の食材を使ったレシピ、その後育児や生活の知恵などの記事が続く。「〇〇な暮らし」といった類の雑誌だ。

紙面には、「自分以外にしてあげるための情報」がずらりと並ぶ。料理も掃除も子どもの世話も、「女性」が「家族のために」してあげる前提のようだ。そして、いかに早く、ラクに、ときには丁寧にやりきれるかが紹介される。

一つひとつの記事を見れば、確かに役に立つ内容や興味深いものもある。でも、雑誌を閉じる頃になると毎回ゲンナリしてしまうのは、「家族の暮らしは誰かが支えてあげるもの。その中心はやっぱり女性だよね」という暗黙の了解というか、メッセージを受け取ってしまうからだと思う。

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先日は、こんなこともあった。
偶然入った書店で見かけた雑誌に、憧れの文筆家の名前を見つけた。「わっ、あの人だ〜」とウキウキしてページをめくる。

私が無意識に記事に対して期待していたのは、その方が日々の暮らしでどんなことを考えているのか、周囲や社会にどんな眼差しを向けているのか。彼女が書く柔らかくて人を包み込むような文章が、どういう思考から生まれるのか知りたかった。

けれど、そこに記されていたのは、日々の食事の支度をどう切り盛りしているか。夕食作りをスムーズにするために、買い物から帰ったらすぐに肉を切り分けるとか、野菜の賢い保存方法とか、生活を回すためのアレコレだ。

よく読めば、「あの人の食卓」的な特集に登場していたのだから当たり前なのだが、ものすごくがっかりしてしまった。

これが男性だったら、同じ切り取られ方をしただろうか。彼女の職業は文筆家であって、料理研究家ではない。なぜ女性というだけで、いつも家事や育児とセットで紹介されるのだろう……。

結局メディアが取り上げる「暮らし」は、女性が家族のために行うことばかり。なんともいえない後味の悪さが残った。

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こう書き連ねると、「そんなこと言うなら読まなければいい」「家族の暮らしを支えるのが好きな人だっているでしょ」と各所からツッコまれそう。何を隠そう、私自身が一番そう思っている。

だけど……。それでも繰り返し「暮らし」について考え、懲りずに雑誌を手にとってしまうのは、自分の心の声を無視できないからかもしれない。

「暮らし」って、本当に誰かが「支えてあげる」べきものなんだろうか。
いやいや、そんなはずはない。人に任せっぱなしにするものではなく、みんなが自分自身で整え、営んでいくもの。誰にとっても、大切な生きていくための基盤だ。家族がいても、いなくても。

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「暮らし」についてぐるぐると何周も考え、時にアレルギーを発症する。こんなサイクルを何年も繰り返してきた私。雑誌に限らず、「暮らし=女性が家族のために整えるもの」という雰囲気を少しでも感じ取ると、その症状はひどくなる。なんだかムカムカして、場合によっては人知れず涙ぐむ。結局自分が一番つらい……。

毎回苦しむのもなんだかバカらしいので、症状がどんなときに発生するかをよくよく俯瞰してみた。そうしたら、アレルギーが起こるのはいつも、「世間のものさしを押し付けられた(ように感じる)」ときだった。

ならば、今年はそろそろ、他人のものさしを当てはめるのは終わりにして、「自分なりのものさし」を用意しようと思う。
そして、その新しいものさしで、新しい家族のカタチをつくるための一歩を踏み出したい。

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さて、実際どんな家族を目指すのかといえば、自分のことは自分でする、が大前提の家族だ。大人はもちろん、子どもだって該当する。

我が家の現在地は、大人はまあ問題なし。お互いに一人暮らし歴も長く、できない家事はない。分担のあれこれは定期的にもめているが、育児にまつわることがほとんど。つまり、自分のことは自分でできるし、やる気もある。

問題は子ども。現在9歳と4歳の子どもが2人いる。まだまだ自分の暮らしを自分で切り盛りできる状態には程遠い。

とはいえ、である。乳児はいないし、一人では歩けない子もいない。れっきとした「子ども」だ(赤ちゃんではない、ということが言いたい)。

9歳娘は自分のことはおおかた自分でするし、毎日のお風呂掃除は彼女の役割だ。みそ汁も作れる。私の仕事が終わらずパニック状態になると、勝手に冷凍食品を調理して食事を済ませていることさえある。

4歳息子には……、今年から仕込んでいく予定(笑)。まずは手始めに、おにぎりのにぎり方を教えてみた。

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母親が甲斐甲斐しく家族の面倒を見る時代はとっくに終わった。これは間違いないとして、それでも子どものこととなると、不自由がないように、「親の責任」を糾弾されないように、いろいろとやってあげなくては……と無意識に思ってしまうもの。

だからこそ、発想をぐるりと変えてみようと思う。
親の役割は、その子が大人になったとき、暮らしを自分自身で整えられるようにすること。性別に関係なく、誰にとっても大切なことだ。そのために、今からできるだけ「自分のことは自分でする」を教えていく。

一方で、お互いに支え合うことも大切にしたい。どうしても疲れているときは、子どもの学校の支度を親が手伝うし、大人がキツいときは逆もしかり。人に頼らない「自立」ではなく、自立を基本としながらも助け合う。迷惑は、かけることもあればかけられることもある。そんな関係性を家族のなかに築き、新しいスタイルの「暮らし」を実践していきたい。

ということで、今年は新しい暮らし、新しい家族になるための模索をはじめます!

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