冬は逝きて春ひとり立つ（2024年3月の写真）

2024年3月31日 18:29

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いつもはそんなことないのに、帰り道の花屋に並んでいるはずの切り花がほぼなくなっていた。「予約商品受け取りの方はお声がけください」と張り紙がしてある。

花屋に予約なんてあるのかと思い、直後、そういえば三月最後の平日だったと気づいた。異動、転職、退職。旅立つ大人がたくさんいたのだろう。

そういった社会の流れから外れた場所に立っている。だからなのか、この季節は何かに追い立てられるような責め立てられるような、そんな気分になることがある。春にはそんなつもりなどないだろうに。まるで成功者の書いた自己啓発本みたいに、春から己を変えよと迫られている気がしてしまう。

春には出会いと別れ、終わりと始まりが紐づけられている。それはたまたま春という季節と卒業や入学といった区切りの行事とが重なっている文化だからそう感じるだけで、やっぱり春自身にはそんなつもりなどないだろう。たとえば秋が卒業と入学の季節であったなら、私たちは紅葉とそれらを結びつけていたにちがいない。

それでも、花や緑の芽吹きが始まりを象徴するならば、数々の命が一度終わりを迎える冬は、最も死に近い季節なのだろうか。

春は恥ずかしがり屋だ。冬の背中に隠れて、おそるおそるこの世界に姿を現す。老いた冬に優しく背中を押されてようやく前に出たと思っても、あわあわして、顔を真っ赤にしながらまたその背中に隠れてしまう。

それは、あたたかくなってきたと思ったらまたすぐ寒気に覆われてしまう、そんな時期。冬の手をぎゅっと握って離れないその小さな春を、私たちはこたつやふとんの中からもどかしく見守ることしかできない。

だが、やがて冬は逝く。私たちがみな等しく死の宿命を抱えているのと同じように。春は自らを守ってくれる背中を失い、決死の思いでひとり立つ。その心を支えるように、世界はあたたかい風を吹かせる。

春は何度でもやってくるが、今年の春は今年しか存在しない。春はすくすくと、ひとりでに育っていく。いつのまにかまばゆい夏となって元気に走り回り、やがて落ち着いた秋となって静かに世界を色づける。そして枯れていく世界とともに老いた冬となり、新たに生まれた春の背中を押すのだ。その先に待つ自らの死を想いながら。

三月の湿雪は、春を置いて逝かねばならない冬の深い嘆き。花時雨は、逝った冬を想って泣く春の涙。虹がかかったなら、それは冬が春に遺したエールとしての光。

だとすれば、今この季節に色を咲かせる花々は、大地が贈る春への祝福であり、逝く冬への手向けなのかもしれない。