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角川『短歌』2023年1月号

老いてしだいにかほの似てくるうからたち籬の菊の記憶のやうな 日高堯子 上句に頷く。歳を取れば親の顔に似てきたり、兄弟姉妹で顔が似てきたり。籬の間から菊が花首を出す姿のようだ。子供の頃に見ていた老いた親戚の記憶が蘇る。自分もその老いたうからの一人になったのだ。

鉄道に身投げのありて遅れたるよるの電車にわれは乗りゆく 小池光 海などと違って鉄道に「身投げ」はあまり言わないように思う。それだけに生々しく恐ろしい表現だ。その遅れた電車に乗ってゆく。遅れてもどうしようもない。その人の死も実感しづらい。しんとした心のみがある。

樹はみんな時間を味方につけてゐる バーナムの森には敗けるしかない 香川ヒサ 樹々はどれも長い時間を内包している。場合によっては何百年もの。そんな樹々が動いたらどんなに恐ろしいだろうか。マクベスでなくても、人間なら誰でも、それに勝てるはずはないのだ。

水仙の紐のようなる香(か)は流れ、まだ死にたくない、いやだと母言う 松平盟子 「紐のようなる香」という比喩に惹かれた。空間の中に目に見えない香が漂っている。まるでそれを可視化するように、紐、と捉えたのだ。特に水仙の少しツンとするような匂いによく合っている。

ファン・ゴッホくるへるごとくまつさつき菜の花ばたけは菜の花を着て 渡辺松男 上句と下句の繋がりは難解だが、どちらも激しさが等量だ。下句は、こう詠われると、確かに花畑は花を着ているのだと感じる。ひまわりなら同じ字数でゴッホにも合うが、それでは付きすぎなのだろう。

ひとは老いて三、四十年よろこびを生みだしながら生きねばならず 米川千嘉子 詞書「人生百年」。老いて、は老いてから、の含意と取った。昔なら余生と言われた期間が、壮年時代に匹敵するほど長くなった。ただ生きてるのではだめなのだ。それもしんどいと主体は言いたげだ。

あら、よつと跨げるはずの本の山またぎそこねて崩しよろめく 安田純生 年を取るにつれ身体は動かなくなるのに、蔵書は増えて床に積まれてゆく。いつか片付けようと思いつつ、部屋は狭くなる一方。軽やかに跨げるはずが、本の山は崩れ、自身もバランスを崩す。思い当たる光景。

なりたいものがなれないものになつた日が 雲蒼き午后 いつだとしても 光森裕樹 子を見つめる連作中の一首。子供は将来なりたいものを持っているが、成長のどこかの時点でなれないと気付くことも多い。それがいつだとしても、親としては見守る。四句が背景として美しい。

2023.1.23.~25.Twitterより編集再掲