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『歌壇』2021年10月号

遠いから老いだったのに近づけばあまりに稚き老いが振り向く 永田紅 自分が若いうちは、「老い」は遠いもので、成熟を表していた。しかし自分が年を取ってきて「老い」というものに近づくと、それは幼い、というか今の自分そのもので、未熟なものだと気づき、驚いてしまう。

 年を取ってから慌ててこういう自覚を持つことはよくあるが、永田は第一歌集『日輪』(2000)からこのような感慨を持っている。「人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天」は『日輪』巻頭の一首。誰もみなその年齢を生きるのは「初めて」なのだ。

②「ことば見聞録」第四回新見隆(キューレター)〈デュシャンの考えてたことは物質じゃない。想念の方が大事で、想念を生みだすために物質をどう操作するかが問題だったんだな。〉川野里子〈それ以前の美術は静物にしろ人物にしろ物質的世界が先にあってそれをどう描くか、でした。〉

新見〈想念の造形化ですかね。虚数ということを考えたときに葛原妙子はちょっと似てるなと思った。〉川野〈自分の想念の方が現実を凌駕していく。確かにそういう一面があります。ただ(…)幻想に飛ぶのは容易いけど、幻想を引き止める実体とはなんなのかと。そこが大事だった。〉

 想念の造形化という考え方が面白い。デュシャンから葛原に話がいくところも。葛原が幻想に飛ぶのは容易いと言っていたというのが印象的。葛原が言葉の手触りも現実の手触りも大事にしていた、とも述べているのは、現実を遊離した作品にこそ、錘が必要ということだろうか。作品で実例を知りたい。

③「ことば見聞録」新見〈葛原妙子はこだわった果てに言語を棚に上げてる。それでもって現実の感覚とか物とかをコンセプチュアル化しようとするから不思議な造形になる。(…)もしかしたら言語というものの破壊を常に感じているというか。破壊するからなめらかな言語の気持ちよさが常に宙づりにされるとこがあるって、そういう感じじゃないのかな。〉川野〈そうですね。確かに。だから大事なはずの第三句が欠落した歌を作ってみたり。〉これを読むと葛原の歌集をまた読んでみたくなる。あまり得意ではないのだが、違う観点を持てそう。

④「ことば見聞録」川野〈ただ、現在の若い人の作品がその「言語に対する投機」で成立しているところがあって、だからあえて問題にしてみたいんです。〉この言葉で始まる発言は迫力がある。〈(藤原定家には)自分の眼差しているものが虚であるという断念がそこにあるような気がします〉

川野〈定家の「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」も切実な時代への応答です。私は誰も時代から背負わせるものから自由ではないと思います。〉写生や描写に徹するより、華麗な言葉で縦横に虚構を描く現代の短歌。そこに定家の美の観念に通じるものがあるのか。だとしたら一度過去に極められたということか。

⑤「ことば見聞録」新見〈和歌とは和する歌なんだと。だから私だけ、あるいは言語だけが一人歩きしちゃったらもうそれは和歌ではないと。〉〈雑誌を出そうが、短歌だと合評会やろうがそれが共同性じゃないでしょと。むしろ歌そのものの中に「叫び」のような共同性を如何に求めるか。〉

川野〈最近の歌を見ていると、時代に対してとか人間に対しての問いかけとして投げられています。時代への問いというアンソロジーになっている兆しさえあります。そういう問いとして投げかけられるということが和することではないのかな。〉これに類する発言を川野は時々している。考えさせられる。

 今回の座談会も面白かった。でも相当難しかった。難しい原因の一つに私自身がデュシャンやノグチの作品を知らないので、発言が具体的な像を結ばず、言葉として流れてしまうのもある。せめて短歌関係、定家やそれについて述べた堀田善衛についてはもう少し知らなければならないなあ。

⑥吉川宏志「かつて『源氏物語』が嫌いだった私に」「空蝉」〈(伊予介は)年取った夫というイメージと違い、結構かっこいい、色黒でたくましい男だったのです。源氏は会ってみて、内心、圧倒されたのではないでしょうか。〉この後日談は全然知らなかった。空蝉の夫は年寄りでつまらない男、というような思い込みがあった。

 現代の感覚で言えば源氏より伊予介の方が断然いいのでは?モテモテの源氏に対して、あなたの魅力はあなたの属性に由来するもので、人間性によるものではありませんよ、と紫式部は言いたかったのかも。源氏を通して藤原道長に言いたかったと取るのは深読みか。

 まあ、大和和紀に始まって、大塚ひかり、小島ゆかり、吉川宏志、と『源氏物語』を扱った読み物ばかり読んで、読んだ気になってるけど、原作を読んで無いのはちょっと引け目だな。

⑦沖ななも「百人百樹」雨に濡れし紅葉の木肌やさしけれ去るべきときは去らねばならぬ 来嶋靖生〈「去るべきとき」とは転居を前提にしているらしい。〉なるほど歌集で読まなければ分からないことだと思うが、私は、この世を去るべき時と取っていた。それも汎用性のある読みだと思う。

⑧大井学「岡部桂一郎」
 短歌の同人誌の骨格は「反」だ。権威となっているもの、時代を支配する通念となっているものに対して、「反」の意識がどこかになければ形式は同人誌であってもニセモノということになる。ー岡部桂一郎

〈権威・通念に対して「反」であること。一定の役割を終えた時には、散り散りになっていくことで飛翔していくこと。果敢ない営為ではあっても、「反」という役割を担うには、その起爆力こそが必要なのだ。〉岡部の同人誌に対する意識は厳しい。結社が支配的であった時代の「反」というのはあるだろう。権威があれば「反」は存在しやすい。

⑨大井学「岡部桂一郎」
どうやら私には物との相性があり、その出遇いに執着する性癖があるらしい。ー岡部桂一郎
〈物が存在の断面を見せ、あたかも実存の露頭のような明るみに出る。桂一郎の歌が持っている不思議な魅力の根源が、ここにあるように思われる。〉岡部桂一郎の歌の魅力を言語化するのは難しい。物との関係というのは確かに一つの視点だろう。物に執着して己を突き放しているようなところが魅力なのかな、とこれを読みながら思った。

生死(いきしに)のけじめはないよなんとなく猫いて大き満月が出る/大正のマッチのラベルかなしいぞ球に乗る象日の丸を持つ 岡部桂一郎(大井学選)やはりいいなあ。一首目の「なんとなく」が好き。偶然の状況だけど、一語も動かない。二首目は見たことのないはずのラベルがまざまざと目に浮かぶ。

2021.11.10.~13.Twitterより編集再掲