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『短歌往来』2021年3月号

①寺島博子「現代の挽歌考」〈読者は作品に接したときに作者の内なる過去を真に経験することはできないが、そうした過程に思いを致すことはできる。〉この評論の結語を含む最終段落に共感した。「読む」という行為の能動性について考えた。

ブロックの突起すべてに「LEGO」とあるごとく名を書く子の持ち物に 光森裕樹 これは本当に言い得ている。どんな小さいブロックでも律儀に「LEGO」と書かれていることに気づき驚いたことがある。子供の持ち物はみんな小さい。名前を書いたりシールを貼ったりするのが大変なのだ。それはブロックの突起全てにLEGOと書く行為を想定してしまう。

湖と海の出逢へる場所を思(も)ふ永遠(とは)に訣(わか)れるやうに出逢ひて 藪内亮輔 淡水と海水が合う、汽水湖のような場所では水はどうなっているのか。混ざり合わないのだろうか。下句の表現は水に託して、分かり合えない宿命の人との出会いを描いている。矛盾が美しい。

④勝又浩「写実、装飾、思想」〈当時小説の心境が強調された風潮のなかで谷崎潤一郎はひとり、小説には「筋」、つまり物語性が無ければならないとして譲らなかったのである。〉志賀直哉の心境小説に圧倒されて、本来、物語性の強い小説を得意としていた芥川龍之介が弱気になった。それに喰いついた谷崎潤一郎と芥川の間で「小説の筋論争」が交わされたことが紹介されている。この文では最初に三島由紀夫が谷崎を批判したことから始めていてかなり大きな構図で論争を捉えている。

 この文章自体もかなり面白いのだが、そうした小説を書く上での思想はやはり短歌にも通じるものがあるのにも興味を惹かれる。物語性というと、短歌とはちょっと違うのだが、どこがどう通じている(と私が思っている)のか、考えてみたい問題だ。

⑤恩田英明「玉城徹を読む」骨溶くるかなしみにをり夕ぐれは桜が枝のふかきしづもり 玉城徹〈(自選歌集に落ちたのは)露わでこらえ性がなく通俗性を呼び込みやすい言い方のせいだ。つまり他の作品に比べて美しくないのである。〉ん?露わには思えない。かなり美しいと感じたが。

火をおぶる唇もちしものぞ行く花の枝白き夕闇の中 玉城徹 この歌を、恩田英明は玉城の自画像という説と〈夕闇の花の下を過ぎてゆく情熱的な女性の美しさ〉という説を並列する。私は女性かどうかは措いて、他者を詠んでいると取る。「火をおぶる唇」の情熱と、「花の枝白き」の清さを持つ他者。

⑥持田鋼一郎「歌人と年齢」〈佐佐木信綱九十一歳、窪田空穂九十歳、(…)近藤芳美九十三歳、塚本邦雄八十三歳、岡井隆九十二歳……〉危ない危ない、こういうの読んだら自分の残り時間にまだまだ余裕があるような錯覚を持ってしまう。これらの人々は偶々この年齢まで生きただけだ。

⑦田中拓也「作品月評」〈変事や戦争の間も変わらずに生き続ける「大楠」と「木々」に焦点をあてることによって歴史と自然の調和を詠んだ世界観が印象深い。〉1月号に載った私の作品に触れていただきました。うれしい評をありがとうございます。

2021.3.18.~20.Twitterより編集再掲