ネグレクトされて育ちました-中学時代⑤-


中学2年生の半ばで勉強を諦めた。
周りの雑音で集中出来ず頭に入ってこなくなったから。

小学生時代から親からの視線や叱責を受けずに済む手段で、暇つぶしでもあったから、勉強することに対しての苦手意識は無かった。
でも、新しい知識を取り入れる楽しさも、知的好奇心も何も無くなって、両親の離婚という環境の変化で親の無関心さに拍車がかかり、家での逃避行動をする必要がなくなったので、勉強をしなくなった。

私の頭は姉を守ること=早く自立すること、
心はいつもグレーに染まって何も感じなくなっていた。
だけど、当時の親友が「親から塾へ行くように言われたから、一緒に行こう」と誘ってきた。
夕方以降の遊び相手が居ないのはつまらないから、私は快諾して父親に説明し一緒に通いだした。

その彼女も複雑な家庭環境で、父親から差別的な扱いを受けていて共感する部分があった。だから、常に一緒で2人で学校をサボったり、ナンパしてくる男に付いて行ったりした延長線で塾もサボる様になった。

そんなこんなで中学3年生になって2人でしでかした色んな悪事が彼女の父親にバレて自宅に電話が掛かって来た。
当時は「わざわざ他所の娘の悪事を親に知らせるなんて、律儀な人なんだなー」って思ってたが、彼女は違う塾へ通わされる様になった。
彼女の父親からの私への評価は最悪で、「あいつは悪友だから、もう縁を切れ」とまで言われたらしい。

だから、彼女とはこっそり遊んで塾へは3回に1回行くようになった。
塾の生徒が上位公立高校を狙うグループと、推薦で高校は決まっているものの学力が足りなくて土台固めするグループとに分かれることになった。
塾講師からは上位グループに入ればまだ巻き返せる!と言われたけど、そもそも進学する気も、勉強への関心も無かった私は土台固めのグループに入れてもらった。

中学3年生の時点で出席率も低く内申点が悪かった。
1クラスにつき最低1人は不登校生がいて、生徒からのイジメで休職する教師や、生徒が特定の教師だけ授業をボイコットする様な、素行が良いとは言い難い学校だった。
イジメで不登校になる子より、金髪で学校に来て帰されたり、キャバクラ勤務や円光、シンナー類などの非行に走って不登校になる子の方が多かった。だから、勉強しない事も学校に行かない事もさほど大それたことではなかったし、そもそも私は姉の状況次第では中卒で働く可能性もあると思っていた。

ただ、中卒では就ける職が限られていること、給料が安いこと、家を借りる場面などでは社会的信頼が必要なことは理解していた。
それを踏まえた上で姉を支える基盤もないのに、父親と進学のことで衝突して精神力を削られるのは得策ではない。

父親に金銭的余裕があるうちは面倒を見てもらおう、心の中で何を思ったって生きていく上でお金は必要不可欠なのだから。
転落していちから自分で積み重ねていく努力よりも、現状維持の努力の方がはるかに難易度は低い。
だから、進学だけはしておいて必要とあらば中退して姉と家を出て暮らそう。
15歳の時点で私は愛情を金銭で表現することもあると学んだ。そして、最悪の事態を想定してその中で最善の選択をすること、最善の選択とはローコストハイリターンであることと下がれる階段の余裕をもつことだと悟った。

結局のところこの価値観は今でも変わらない。
転げ落ちる為に力を抜くのは簡単でいつでも出来る。だけど、転げ落ちたら簡単には這い上がれない。
力を抜いて死ぬことは出来るけど、死んだら生き返らないのと一緒。
でも、落ちるためには高さがいる。高ければ高いほど、落ちてもどこかの高さで引っかかる可能性が増える。だから、その高さは自分で掴み取る。誰も何も教えてくれないことはもうあの時に痛いほど知ったから。

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