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フロイト「精神分析入門 下巻」(1917年)

上巻は夢判断に関する話題だった。
下巻は神経症に関する話題がメインとなる。

読んでいて思った。
夢判断も神経症の発作も、人間の内面にあるドロドロしたものが形を変えて表に出てきたものだ。
フロイトの講義は基本的に、他者とのかかわりあいにおいて出てきた症状について話している。
そう、他者の存在が前提になっている。
そのポイントをさらに踏み込むと、フロイトがこの本を書いたのも、誰かが読むから書いたのであって、そういう意味では他者の存在が前提になっている。
人間は自分の奥底になにがあるか知らない。しかし、それはなんらかの形で表に出てくる。フロイトはそれを精神分析という学問として伝えたのだろう。

この本は個人と社会の関係性について書いている、とまとめてしまうのは大雑把すぎると思うが、少なくとも、自分以外の誰かが存在するから、この本に書かれているような症状があらわれる。そして、その症状を分析することで、人間を知ることができる。
ちなみに、精神分析は「了解心理学」だそうだ。つまり、大量のデータから分析して法則を発見する、というのではなく、感情移入によって、つまり推測によって因果関係を発見するというものだ。
この点が科学的な根拠に基づいていれば、フロイトのイメージがもう少しアカデミックなものになっていたと思うが、いまさらどうにもならない。

読んでみて、ちまたにはびこる「フロイトはなんでも性に結びつける」というイメージを払拭することはできなかったが、読む価値のあるいい本であったとはいえる。

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