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コミュニティの開き具合は 公/共/私 のグラデーション

場がどのくらい開かれているか、という尺度に「公/共/私」という考え方がある。出典は複数の本や論文です。結構昔から言われてますね。

※思い出せる範囲では、影山知明さんの「ゆっくり、いそげ」や田中元子さんの「マイパブリックとグランドレベル」がこの「公/共/私」という尺度に言及していたと思います。

その考え方を、現代のコミュニティに当てはめて感じるのは、その開かれ具合の尺度はグラデーションで表現できる「程度」の話であるということ。

純粋な公と純粋な私。
その間に無限のバリエーションを持つ共

純粋な「公=パブリック」は、行政の領域といえます。誰でも参加できる。そこにいることが無条件で許されるような居場所とも言えそう。

純粋な「私=プライベート」は、自分の部屋のことです。自分だけ、もしくは自分が許したごく一部の人だけが許される居場所です。

わたしが関心を寄せるコミュニティは、この公と私の間にある共(コモンズ)のところにあります。一定数の人が迎え入れられるものの、文化や価値観によって馴染まない人も出てくる。そのときの退出は自由。

コミュニティという共の場がどのくらい公的で、どのくらい私的であるかは、グラデーションの中に位置付けられる。コミュニティごとに微妙に異なる個性だと言えます。

なので「共=コモンズ」と一言で言っても、「私的共」(これは先に挙げた「マイパブリック」を指す)もあるし、「公的共」(地域の自治会とか)もある。

会員制コミュニティは
密室的にも広場的にもなり得る

最近話題の会員制コミュニティ(議論メシもですが)は、会員制であるがゆえに公的な意味合いは薄まり、より私的なものになります。私的共です。でも、会員制コミュニティのなかでもより私的な度合いが強い、秘密結社のような密室的コミュニティもあれば、公的な度合いの強い、広場的コミュニティもある。

そんなわけで、公/共/私 は連続していて明確な線引きはあまり意味がない。それに、コミュニティのフェーズが変われば、このグラデーションのなかを徐々に移動していくことになるので、そもそも曖昧な区分けです。

現時点で、コミュニティの開かれ具合はどれくらいなのか?を「公/共/私」のグラデーションのなかで認識しながら、コミュニティのフェーズやビジョンの変化とともに調整していくのも、コミュニティデザイナーの役割かなと思っています。

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