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仮面浪人とメンタル①



自己紹介&目的


・現在新卒から数年目の会社員
・不安障害・適応障害(抑うつ)で精神科に通院中
・文系

「なぜ大学受験どころか成人して何年も経っているいい大人が受験の話をnoteに書く?」という疑問が自身のなかでも浮かび上がる。しかしあくまでこの投稿は、人生の整理の一環だと自分に言い聞かせながら書いている。10代〜現在まで抑うつや不安症状、パニック発作を抱えてきた自分とは切っても切れないものが「受験」「家族」だった。そのためこのトピックをひとまず中心に据えて書いていきたい(たぶん脱線も多々ある)。
「受験」と家族・メンタルヘルスは切っても切れない関係にあると個人的に考えているが、受験というものは基本的には一過性のライフイベント(もちろん人生で受験を経ない人もいる)なので、本人や家族の精神面への長期的な影響はどうしても見落とされがちな肌感覚がある。勉強不足なので該当する何か論文なり書籍なりがあれば目を通せたらいいのだが。あくまで私の個人的な経験を拙いながら掘り起こせたらいいなと考えている。

前置き

私はタイトルにもある通り仮面浪人をした。

・高校3年時に受験した国公立大学前期・後期がともに不合格 → 滑り止めとして受験・合格した私立大に進学

先に結論を言っておくと、(現役時に前期試験不合格であった)志望大に翌年に合格・進学をした。しかしこの話はあくまで生存者バイアスがかかっている。振り返れば自分自身がギリギリの綱渡りをしていたものの、偶然にも運には恵まれて「成功」しただけの話で、誰かに仮面浪人を積極的に勧める意図はない。(センター試験時代の話なので現在の入試制度と異なる部分も多いだろう)

よく学習塾や予備校などの宣伝に掲載されている合格者体験談では
「秋の模試では〇判定でしたが、これだけ努力をして志望校に合格しました!」という謳い文句が躍るがあのようなものは生存バイアス以外の何者でもない。
その一つの合格体験を書いた元・受験生のバックボーンを見ないと無責任に「入塾前にどんなに成績が悪くても誰でも成功できる」という幻想を塾・予備校を検討している本人(時にはその親も)植え付けてしまうだけだ。たとえば受験した全ての模試成績の推移、科目の範囲の習得状況…etc. そこからさらに、学習者本人の努力 + 学習提供者の力を総合した上での結果なわけだ(そして最後は「運」も)。
そして学習提供者である塾・予備校もできるだけ多くの顧客を取り入れなくてはいけない利益を追求する企業だ。掲載する側の意図をある程度理解しておく必要がある。
だから目標の志望校を諦めろとか決してそういったことを言いたいわけではない。また受験産業の全てを悪にする意図もない。実際に授業や進路指導のノウハウをしっかりと積んでいるところもあるだろう。「塾に通うのはもったいない!独学が正義!」なんて極端な考えはむしろ非常に危険だ。

話を戻す。「仮面浪人」とは大学に在籍しながら別の大学への合格を目指して受験勉強をすることではあるが実際は、

①在籍しているものの、休学の手続きを行い学籍はキープして受験勉強に専念する
②在籍大学の授業も受け単位を取得しながら並行して受験勉強をする


この2パターンがある。①のなかでも休学中に宅浪するか、予備校などに通うかなど細かな種類はあるだろう。自分自身はこのうち②のパターンだった。
ひとまず仮面浪人先に入学した4月からの自分の行動、状況を振り返ろうと思う。
自身の受験方針や精神面で大きな影響を与えた入学前の話もどこかのタイミングで整理して書いていく。完全な時系列にはなっていないのは私にとって精神的な労力が結構かかる時期がところどころ含まれているからだ。


4月(仮面先に入学)

入学式に出席。雨が降っていた記憶がある。スーツを着た他の新入生たちは、受験の失敗を引きずっている自分よりキラキラしていてより大人に見えた。
私立かつ下宿という選択肢があるほどの経済的な余裕は私の家庭にはなかったので、かなりの所要時間にはなるが実家からの通学になった。大学への通学時間はトータル2時間が限界だと誰かが言っていたが、毎日1限に授業が入ってなくとも週4〜5でそれはかなりキツい。満員電車であればなおさら体力も気力も削られる。

5月上旬〜中旬ごろ

国公立大出願時に申請していた成績開示が届く。細かい数字までは忘れたが合格基準点からコンマ何点というところで不合格になっていた。
「センター試験で大失敗したあの科目であと◯点とっていれば…」なんて今更頭をよぎるがもう遅い。仮面浪人の選択肢が頭によぎるが、大学生活自体にまだまだ慣れていない時期だったのであまり悩む余裕もできず。

じっさいこの頃には同じ学科の友人もできて一緒に講義を受けたり遊びに行くなど一見大学生らしい生活をしていたようにも思う。サークルをいくつか見学したり新歓イベントに参加したりもした。
あとは授業も面白かったし、これから色々勉強していきたい!と意気込んでいた。ただ在籍していた学部学科の分野に沿った卒業論文を自分が執筆できるかどうか不安が常々つきまとった。あくまで「滑り止め」で受験した大学、学部学科であったので自分が元々学びたい分野とズレがあったからだ。今思えばもっと慎重に選んどけという話だが出願校を決める時にそこまで考えが及ばなかった。そのためふつう同学科の学生が受けないような講義なんかも履修したりしていた(もちろん卒業単位にははいるやつで)。
そして仮面浪人をするに至った決定的な出来事が起こる。

6月ごろ(浪人を決意)

この時期履修していた英語(コミュニケーション重視)の授業は学生たちからえらく評判の悪い講師が担当していた。(語学系の授業は自主的に選択して履修するものではなく、自動的にクラスに振り分けられるシステムだった)
オブラートに包んで言えば「クセがつよい」講師だった。コミュニケーション内容に間違いがあったり、少しでも学生が内向的な態度(講師からの質問に答えられず言葉を濁すとか)を出すと、アドバイスではなく揚げ足をとったり茶々を入れたりする。「授業に積極的に参加せよ」という目的は理解できたが、元々外向的ではない性格で積極的に授業で手を挙げたりする生徒ではなかったので非常に戸惑った。

最悪なのは、その授業のシラバスには一定のテーマが与えられて教卓でのスピーチ発表が全員必須だったことだ。講師は学生のスピーチ後だけでなく、話している最中にも手厳しいコメント(じっさいは野次にしか聞こえなかったが)を大きな声で口にする。そして私の番がとうとうまわってきた。
事前準備はなんとか進めて挑んだものの、発表最初から緊張感で思ったように声が大きく出ない。聞こえづらかったせいか案の定その講師の揚げ足取りをくらう(言葉回しや文法がおかしいとかそういった内容ではなかったはずだが今や何を言われたかは覚えていない)。そうすると声どころか全身にまで震えが広がり立ってられなくなる。「重力ってこんなに重いのか」と思った。当然頭も真っ白でこのまま続行することへの限界を感じ、中断。ろくに聞こえないような小さな声で「気分がよくなくて…」と呟いて教室を飛び出した。トイレに飛び込んでうずくまって泣いた。「受験は落ちたし、英語の授業もろくにこなせない」自分自身が本当に嫌だった。
受験の失敗とこのハプニングは直接因果関係は無い。私も事前準備の段階でもっとできることはあっただろう。ただこの出来事によって「とにかくこの環境から抜け出したい」それしか頭になくなってしまった。こうして仮面浪人をする決意を固める。

この後、上記の授業は単位だけギリギリ落とさないように計画的に欠席、自分の存在感もより薄くなるように努めていた。後期も同じ講師が受け持つコマは必修だったが、大学のシステム上は来年度に繰り越せたのでもうその英語自体は履修しなかった(留年のリスクは高まるが)。
翌年合格した大学はシラバスを確認したうえで好きな授業を選ぶことができるシステムだったので、この結構なトラウマが原因でとにかくスピーチ発表が授業内容に組み込まれていないものを必死に探して受講していた。
もともとその傾向は持ち合わせていたのだろうが、これが社交不安障害の大きなエピソードになった。詰め込み式の高校で机に向かっての受験勉強しかしてこなかったために経験しなくて済んでいた「人前で一人立って発話する」という行為を大学ではせざるをえないことによって、対人恐怖を自覚するようになり、スピーチなど複数人の面前で何かしら行うことへの回避行動を起こすようになる。

つづく?

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