仮面浪人とメンタル②

今回は仮面浪人に至った背景メインでいきたい。脱線もある。
そしてところどころ愚痴や恨み節が含まれる。

当時の私の家庭について
・父、母、私、妹の4人家族
・私→私立の中高一貫校に通学
・妹→公立高校に通学(→高校推薦で私立大に入学)

さてどこから話したらいいものやら…
両親は私の記憶が残っている範囲でも常に不仲だった。母が娘たちの世話や教育を担って父親は疎外される典型的な母子(娘)密着型の家族だった。
母と娘の関係性での問題点を取り上げたことでも有名なカウンセラー信田さよ子の書籍を最近何冊か読んだが、本の中に出てくるような事例ほど壮絶でなくとも、これは私の家族にもけっこう当てはまる構造・問題なのではないかと思った。

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中学・高校生活

中学受験は中高一貫校を2校うけて両方とも合格した。両者の違いはあまり詳しくは言えないが、本来私は自宅により近いA中学校志望だったが同時にB中学校(Aと比べて距離がすこし遠い)も受験し、合格すると、当時通っていた塾長とB中学関係者が「大学受験により強いのはBだから!」と二人がかりで私たち母娘を説得してBに進学するように勧めた。当時小6の私は大人2人の話を素直に受けB中学に入学。この時母もとくに反対はしなかった。

しかし、総じて私の中学・高校生活は楽しいとは言えないものだった。
女子はとくに一定の友人グループ単位で何かと行動する。しかし元々趣味がほかのクラスメイトと異なっていたり捻くれた性格だったため、カースト中〜上位の女子ともアニメオタクの女子ともうまく馴染めなかった(アニメや漫画は10代より今の方がみている)。友人はいたが自己を安定したグループメンバーとして確立できていなかった。それ以外にも学校生活で生きづらさを感じていた理由はいくつかあるが今は省く。

心身の不調としては、抑うつ、不安、授業中にパニック発作が起こって保健室に連れて行ってくれた同級生をビビらせるなど。あとは多少腹痛など体調が悪いからといって感染症に罹ったわけでもあるまいしと、ある意味絶対に毎日出席しなければいけないという強迫観念があった。そして午後の授業で眠くなってはいけないと、昼食の量も年々減らしていき、最終お弁当は10cm四方くらいの小さなタッパーサイズになっていた。それでも中身がスカスカでよく片寄っていた。
精神的な不調はあったが、学校に関することで母に相談するとかならず「A中学(高校)に進学すればそんなことなかったのに!」とむしろ私を責めるパターンが出来上がっていたので話す気力も失っていた。時期によっては自傷行為も多少していた。たぶん誰にもバレていなかったはず。

そして大学受験

塾には通っていなかったが高校の自習室で毎日残り、教師に過去問の答案添削を毎週お願いしてそれなりには頑張っていた、はず。模試の判定もそこそこ。センター試験後の自己採点を予備校に提出して判定によって国公立出願校を決める流れだが、現役生ならよっぽど堅実にいきたい訳ではなければ出願するような成績だった。

国公立前期・後期不合格のち…
もう少し効率的な勉強の方法があっただろうと受験が終わってからは反省するが当時は当時で必死だった。そういう点が不器用なんだけども。
後期試験の不合格が出たあとから、母は私を怒鳴りつけるようになった。
以下箇条書き。

・後期で出願した大学を前期試験で出願しなかったのか、そうしていれば確実に合格していたのに、この身の程知らず
・家事の手伝いも全然やってなくて勉強ばかりしていたからこそ罰が当たった
・国公立2つも落ちるんだったらこの学校に進学しなければよかったのに。学校の先生たちの勧められるがままに調子に乗って不相応な大学を志望するようになった。

これを書いている現在も思い出すと苦しくなる。
その一年後、仮面浪人を経て前期試験を合格したのち、母は感極まって泣いていたのだが私の内心は「去年あんな酷いことを言ったくせにどの口が」と冷ややかだった。また、母はこうも言った。「◯◯(私の名前)が去年受験落ちて苦しそうにしてたのに何もできなくて私も辛かった」

当時の母は新しい職場にうつってばかりで彼女もかなり大変だったという状況もあるし、私も疲労で最低限自分がやるべき家事すら怠ってしまうこともあったので一方的に母を責めることはできない。
ただ娘の苦しみに共振して責める方向を娘自身に向けていたことはわかる。共感ではなく、同一化だ。妹と比較して母は私を自己と同一化する傾向が強い(現在に至るまで)。
「容姿」に関してもそうだった。父親に顔立ちが似ていて長身だった妹に対して母はある程度「他者」と接することができるが、一方で顔立ち、背丈、体型も似ていた私には自己をよくも悪くも投影しがちだった。服装も私のどちらかといえばガーリーテイストな趣味は否定、揶揄し「◯◯(私)と共用できそうな服だから買っちゃった!」と自分と似たような服装(シンプルナチュラル系)を無意識に強制させる。母の好みに合った服装をすれば「あんな感じ私の好み)より絶対に似合う!」と言われる始末。

当時は家庭と学校での生活を必死で生きることに精一杯だったので、大学〜社会人になって少しずつ「母抜きでの自己」を試行錯誤するようになった。生まれ育った環境の影響から完全に脱することなど誰しも不可能ではあるけど、できるだけ。

3月下旬にも差しかかかったあたり

すべり止めで合格していた私立大学の入学手続き期限も迫るなかで私は選択を突きつけられていた。
「予備校で浪人をしてもう一度チャレンジをするか、私立大に進学するか」
どちらかといえば高校の担任は浪人を勧めていた(浪人したとしても翌年に合格すれば出身校の実績に数えられるから)。しかし私の憔悴しきった状態はわかっていたので無理強いはしなかった。「とりあえず予備校の見学だけでも行ってみたら?」と提案され、大手の予備校に飛び込みで入学説明会に参加した。見学した感想は、「人間関係にも煩わされずに勉強だけに集中できそうでいいな」というプラスの印象だった記憶がある。
しかし予備校に行くとなればまた授業料の支払いも、私立大学の併願もしなくてはいけない。これ以上経済的な負担を家にかけるとなればまた母がなんと言うか。本当にどちらの選択をすればいいかわからなくなり、帰りに駅のホームで号泣している不審者になっていた。
そして、もうこれ以上母にあのような罵声を浴びせられたくなかった。浪人をすればまたあのような地獄をみる可能性がある。それならば今合格している大学に進学したほうがいい。
担任に報告をすると私の選択を尊重したうえで「最終手段だけど仮面浪人という手もある。また何かあれば相談にも乗る」と付け加えた。そうして①の記事に至る。
今振り返ると、担任はとんでもない爆弾を仕掛けたな!とそら恐ろしくなるが結果的には成功したのでOK。高3のときの担任は嫌いではなかった。

とりあえず今思いつくままに書いてみたが追記するかもしれない。


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