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他人軸で生きてきた人間が、自分の人生を生きるということについて考えた


大人になるにつれて、選択や決断を迫られる機会が増えたと思う。


今まで私は、自分がどうしたいか、どうなりたいか、何をしたいか、真剣に考えてこなかった。

大学に行くことにしたのは、進学するのが一般的だと思ったから。
アルバイトを始めたのは、みんなもやっているから。
髪を染めたのは、染めてみたらと言われたから。

そこに自分の意志はなく、ただただ周りに流されて生きてきた。



小学生の時の私は、いい子になりたいと本気で思っていた。
中学受験をするわけでもないのにひたすら勉強熱心だったのは、特に勉強が好きだったからではない。周りに「頭いいね」とか「えらいね」って褒められたかったから。

中学生の時の私は、やさしい人になりたいと思っていた。
友達に好かれたくて、自分の気持ちは無視して話を合わせていた。人の相談に乗るばかりで、自分の悩みは誰にも言えなかった。感情を隠すのが大人だとさえ思っていた。そうしたら段々、本当の自分の気持ちがわからなくなってしまった。自信を失くして、自分を嫌いになった。

高校生の時の私は、周りが自分に対して抱いているイメージ通りの人間になりたかった。
自分の弱いところを見られたくなかった。内側を知られたくなかった。友達からは秘密主義だと言われた。

大学生になった今、私は本当に優柔不断で、自分のこともなかなか決められない。選択しなければいけない、決断しなければいけない場面に当たると、いつも逃げ出したくなった。

これまで、ただ目の前のことだけに取り組んできたから。
自分がどうしたいかより、周りにどう思われるかばかり考えてきたから。
自分の意志によって行動してこなかったツケが、まわってきたのだ。


敷かれたレールの上を走るのは楽だ。
自分で道を決めるのはこわい。
失敗したら責任を負うのは自分だし、選んだ道が正解だという確信を持てないまま走るのは不安だ。


だからといって、選択や決断の軸を全て他人に委ねていいのだろうか。
それって、自分の人生を生きていると言えるのだろうか。


大切なのは、誰にどう思われるかじゃなくて、自分はどうしたいのか、どうなりたいのか、自分の頭で考えて、自分の意志で選択・決断をすることだと思う。

自分の選択が正しいのか、不安になることはあるだろう。だけど、自分が真剣に考えた上で選んだ道ならば、信じて進んでみてもいいのではないか。

正解か不正解かなんて、きっと誰にもわからない。例え失敗したとしても、新しい道へ進むためのカギになるかもしれない。

自分のための選択や決断にかかる責任を自分でとろうとすること、それが自分の人生を生きるということなのではないだろうか。



日常生活を送るなかで、選択や決断の機会はたくさん転がっている。私はその1つ1つに悩み、迷い、ウジウジしながらも、最近は逃げずに向き合うようになった。

小さな選択・決断の機会を積み重ねていくことで、周りに流されずに自分の意志で動けるようになっていくのだと考えている。


こんな私だから、きっとこの先も逃げたくなってウジウジすることがたくさんあるだろう……。その度に、自分でこのnoteを見返そうと思う。


ときどき、あの時あーすれば、こーしてたら、って後悔することがあるけれど、どうしたって過去には戻れない。

だったら、いつかは過去になる自分の未来をちょっとでもいいものにするために、今の自分にできることを考えよう。

しっかり、自分の人生を生きるために。



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