見出し画像

【妊娠のこと】お腹の中にいる君でいい

妊娠9ヶ月目に差し掛かった。今月の末にはいよいよ臨月に突入予定だ。
あと1ヶ月ほどでお腹の赤ちゃんに会えるかもしれない、そう思うと本当に嬉しい。ここまで順調に育ってくれて、日々を共に歩んで来られたことをこの上ない幸運に思う。その一方で、不安な気持ちもまた強まり始めていた。

最近新しく芽生えた感情、それは「このままお腹の中に居てほしい」というもの。

この感情になるのは決まって私の心が不安定な時だ。私が他者によって傷つけられた時、「いつかこの子も、誰かによって傷つけられるときが来るのだ」という事実に思い悩むようになった。

この子には楽しくて豊かな人生を過ごしてほしい。心の底から願う。この子に辛いことが起こるのなら、全部私に降り注げばいいと本気で思う。そんなこと出来ないけれど。
だから、このまま私のお腹の中でずっと守っていられたらいいのに、そんなことをちょっと本気で考えてしまう今日この頃。

人生では辛いことがたくさんある。悲しいことも、怒り狂うようなことも、生きていたら避けられない。自分の手でこの人生を終えたくなるくらい、心が冷え込むような孤独を感じることもきっと起こり得る。

私は28年間生きてきて、楽しい時間よりも悲観的な気持ちでいる方が圧倒的に多かった。生きていることは基本的にしんどいこと、そう感じてきた。(人にも環境にも恵まれているのにどうしてそう感じてしまうのか…。)

だからこそ、子どもが欲しいとなかなか思えなかった。私が産まなければその分、まだ見ぬ子ども(そして人間)を救っているような気分にさえなれた。(反出生主義に近いですね)
だけど、やっぱり子どもが欲しいと思うようになった。それからというもの、自分はどうすべきか、結論が出るまでにそれなりの長い時間を要した。そんな間にも知人の中にはできちゃった婚をする人も出てきて、複雑な思いに駆られた。
時間が経つにつれ、"この悩みに答えはない。いや、人それぞれの答えがある。私の場合は、覚悟を持てるか否かだ。"そう結論付けた。

そんな感情の渦を超えて、私は幸運なことに子どもを授かることが出来た。誰が見ても分かるくらい、お腹は大きくなっている。
妊婦健診のたびに、赤ちゃんの体重が増えていったり姿形が人間らしくなっていくのを目の当たりにして、これまで味わったことのない感情を抱いた。
月並みな言葉ではあるけれど、これは生命の神秘だ。私とは異なる人間がお腹の中ですくすくと育っている。私が眠っている間にも、胎児は寝たり起きたりしていて、別行動をしている。これだけしっかりと生きているけれど、私のお腹から出てきていない以上、まだ誕生したことにはなっていない。そのことが最近不思議でたまらない。

でも、だからこそ、「ずっとこのままお腹の中で生きていていいよ」とそんなことを思ってしまう。妊娠が分かった2月から、ずっとお腹の中の赤ちゃんと生活を共にしてきたから寂しさもあるのだろう。
妊婦としての生活は現在進行形でたくさん大変な思いをしているけれど、それよりもこの子を現実世界に出すこと(=出産すること)の方が今は怖い。
他者に傷つけられ28歳になってもたびたび涙を流す私は、悲しみに暮れると同時になんて罪深いことをしてしまったのだろうと大きくなったお腹を見つめて思ったりする。結局覚悟は揺らいでしまうのだ。

両親は私を授かった時、どんなことを思いながら誕生する日までを迎えたのだろうか。聞くことは多分ないけれど、大切にここまで育ててもらった事実がある。地元で楽しく過ごした思い出に生かされている。妊娠はそんなことを再認識した経験でもあった。人生1周目の終わりに差し掛かっているというか。

このまとまりがなく結論の見えない感情にもいつか変化が訪れるかもしれない。今はとりあえず、素直に書き残していこうと思う。
生きていれば想像もしない感情が芽生えるのだと、これがこの子と今を生きている証なのだということを忘れないために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?