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赤ちゃんの瞳に映る私たち

新しい日常を一緒に作る

この秋、私たち夫婦のもとに赤ちゃんが誕生した。

金木犀の甘い香りに包まれた田舎町の病院で、赤ちゃんは産声を上げた。
分娩台ではじめて見た赤ちゃんはふにゃふにゃで、でもしっかり人間の姿をしていた。
生まれたての赤ちゃんの瞳はキラキラ輝く宝石のようで今もずっと忘れられない。
私の人生において、間違いなくこの瞬間は一生の宝物だ。

そう思えるのは、私のことを気にかけてくれている存在をいつも思い出せるから。そして夫が育休を取得し、子どものいる新しい日常を一緒に作り上げてくれたからこそだ。

赤ちゃんが生まれてまだ2ヶ月ほどだけど、夫がいつもそばにいてくれる恩恵についてここで一度掘り下げてみたいと思う。

想像は出来なくても夢を見ていた

20代後半になり、ある時から夫との間に子どもが出来たらどんな生活になるだろうと考えるようになった。
夫はこれまでの人生で私を何度も救い上げてくれた大切な人だ。その人との子どもを望めるのは当たり前だけど私だけなのだ。

夫に似て優しい子になるのかな?
私と同じように本が好きな子になるのかな?
想像するだけで会ってみたいという気持ちになった。

だけど身近に赤ちゃんも子どももいないので、私たちの生活に赤ちゃんがいるというのがいまいち想像つかなかった。

そもそも私たち夫婦は夫の地元で暮らしており、私の実家は遠方にあり今も共働きをしている。
義両親の家はすぐ近くにあるけれど、事情があり頼ることは出来ない状況だ。
近所に育児の補助を頼める親戚はおらず、友人で育児をしている人もまだほとんどいなかった。
夫は仕事が常に多忙で、帰宅はいつも20時や21時頃。繁忙期は深夜近い時刻になることもある。
子育てをするには覚悟が必要な環境だということは少し考えれば分かった。

私は精神的に弱いところがある。
また、変に完璧主義なうえに人に頼ることが苦手なので自分の首を絞めるような事態に陥ることもしばしば。
SNSを見ていると育児のしんどさを語る投稿が散見される。
私が所謂ワンオペに挑んだら行き詰まってしまう気がした。

私が心の余裕を失えば赤ちゃんも家庭も苦しい思いをするだろう。
それなら今まで通り夫婦ふたりで一生を過ごしていくのも良いのではないか。
自分のなかでそう結論付け、赤ちゃんを欲しい気持ちは必死に理性で抑えることにした。
けれど、どこか折り合いをつけられずにどんどん苦しくなっていった。

自分の気持ちを誤魔化して生きるのは思いのほか辛いものだった。

可能性を探しにいこう

挑む前から完全に諦めること。それは別に悪いことじゃない。だけどまだ考える余地はあると思った。

何か工夫出来ることはないか考えた結果、夫に育休を取得できるか勤務先に聞いて欲しいと頼んだ。

少し恥ずかしかった。赤ちゃんを授かれるかどうかさえ分からないのにヘルプを出したからだ。
世間にはワンオペ育児を頑張っているお母さんたちがたくさんいる。それなのに私は最初から無理ですと言っているのだから。
先手で助けてくださいというのは情けないと思った。

夫は少し抵抗し、ちょっとした喧嘩になった。「本当に聞かなきゃいけないの?」と言われてしまった。
夫としては子どもについて焦っておらず、いてもいなくてもどちらの人生も楽しく生きていけるだろうと考えていた。
だから私の発言はあまりに急展開で戸惑ったようだ。

今思えば、子どもを授かる前から勤務先の総務に確認するという点でもなかなか抵抗があったのではないかと思う。
実際、総務に「奥さん、妊娠したの?」と聞かれたそうだ。

その日のうちに夫は総務に確認をして関連書類を貰ってきてくれた。
男性が育休を取得した前例があるというだけで一気に希望の光が差し込んできたように感じた。
1年間取れたら嬉しいけれど、半年や3ヶ月だけでも育休を取れるようならなんと心強いことか。

もしかしたら子どもを望んでも良いかもしれない。

私は嬉しくて泣きそうになった。
大袈裟かもしれないが、私の中ではとても大事なことだった。
スタート地点に立っても良いと神様に背中を押されたような気がした。

夫が一緒に育児をしてくれたらどうなるだろう。
学生時代からお付き合いしている夫とは、社会人になり働くようになってからというものふたりで過ごす時間が格段に減った。
職場の人の方が、夫と一緒にいる時間よりも長いくらいだ。

そんな軸から少しの間はずれて、ふたりで育児というまたとない出来事を一緒に経験出来たら…。
まだ見ぬ子どもにとっても、私たち夫婦にとってもかけがえのない時間になるだろう。
私は胸が熱くなった。

私の悩みに対してすぐ行動してくれた夫に感謝し、改めて子どもについて話し合いを重ねた。
また住んでいる市の行政サービスや支援センターなども調べ始めた。

そして月日流れ、私達は赤ちゃんを授かることができた。
この頃には「赤ちゃんに会えるのが楽しみだね」という話を夫婦で何度もするようになっていた。
胎動が分かるようになった頃、実感が湧いてとても嬉しかった。

夫はなんと1年分の育休を取得してくれることになった。
勤務先で、男性の育休期間としては最長で初めてのことだという。
人伝にきいたことだが、夫が勤務先に「1年取りたい」と言った時、総務の方に良い顔はされなかったそうだ。
それでも押し切って育休を取ってくれた。この恩は一生忘れないだろう。

この1件で私達夫婦はより仲が深まったように思う。
そして、この会社で働く男性たちが後に続いて育休を取りやすくなると良いなと思った。

産んだのは私。でも、親は私だけじゃない。

出産を終え、お世話になった産院から赤ちゃんと一緒に帰宅する時の気持ちを鮮明に覚えている。

1週間ほど滞在した産院。短期間で授乳の仕方やおむつ交換やら沐浴やら何やらをひたすら助産師さんたちに質問して必死に覚えた。
人生で一番痛い思いをした産後の体を労る隙もなく、私は新しい生活が始まり、赤ちゃんの人生も始まったのだった。

育児のある生活に適応しなくてはいけない。
そして赤ちゃんの命を生かさなくてはいけない。
それはとてもプレッシャーだった。
その上、睡眠不足やマタニティブルーもあり、覚悟はしていたけれど心身ともにぼろぼろの状態になった。
「赤ちゃんが寝ている時にお母さんも寝ないと体がもたないよ」と経験者たちからアドバイスを受けた。
頭では理解するけれど赤ちゃんが息をしているかどうか気になって目覚めてしまう。
時間があると自分の知識不足を補おうと必死にスマホで情報を見漁ってしまう。
出産前に色々な育児エッセイを読み、大切なことは心得た気でいたけどまんまと負のループに入っていった。
私が命をかけて赤ちゃんを守らないと、そんな気持ちがいつもあった。

退院日。私は不安でいっぱいだった。
可能なら新生児期が終わるまでずっと病院で見てもらっていたいくらい、赤ちゃんを自分に委ねられることが怖かった。
助産師さんたちにはたくさんの優しさをもらい、きっと何とか出来るよと自分で自分を励ましてみても、踏ん張る足はずっと震えているのだった。

赤ちゃんには産前に用意したベビードレスを着せた。
赤ちゃんに会いたかった頃の気持ちと、本格的に育児がはじまる不安な気持ちとがそっと繋がる瞬間だった。
不安で堪らないけれど、これも幸せなことなんだと気付いた。

退院のタイミングで夫が車で迎えに来てくれた。はじめてのチャイルドシート。
夫が事前に勉強してきたからと張り切って装着してくれた。
それでも手こずっていてふたりで笑った。

その瞬間、ふと気が楽になったのだった。
はじめての育児で頑張りたい気持ち。
それは夫も一緒なのだった。
上手く行かない夫を見て私は声をかけた。
「時間に追われているわけでもないし、ゆっくり慣れていけばいいよね」
自分でその言葉に驚いたが、その通りなのだった。
これは夫も育休を取ってくれているからこそ得られた、心のゆとりだった。

生んだのは母親である私だけど、親は私だけじゃない。
産院を出たら、私だけが頑張るんじゃない。
夫も一緒に赤ちゃんと向き合っていくのだ。
赤ちゃんが泣いたらふたりで試行錯誤して解決したらいい。
私達の赤ちゃんだから。

それに子どもを育てるのは夫婦ふたりだけでもない。
私自身の人生がそうだったように、家族以外にも色々な人と出会いがありそれぞれの場面で支えられてきて今があるのだ。
だから、これからの育児もきっとそれで良いしそれが良いはず。
病院を出て久々に外気に触れた私は急にそう思えてきたのだ。

時間に追われず 穏やかに暮らせたら

今、赤ちゃんが産まれて2ヶ月になろうとしている。

はじめの頃、私も夫も赤ちゃんの生活リズムに適応するのに苦労した。
なので相手の些細な言動に苛立ってしまう場面が数回訪れた。
これまでにない衝突はしんどかったけれど、その都度お互いに向き合って本音を言い合い、最終的には思いやりの心で解決できている。
赤ちゃんが生まれて1ヶ月した頃には私たち親自身も少しずつ慣れてきて、優しい気持ちで時間が流れていくようになった。
一緒にいる時間が長い分、衝突してしまうことはあったけれど、それでも私はやはり夫に育休を取ってもらえて良かったと心の底から思う。

両親ともに育休を取っている恩恵のひとつに、交代交代で息抜きに出掛けることは大きい。
私は好きな雑貨屋に行ったり喫茶店に行ったりして息抜きを出来つつある。
最初の頃は夫に赤ちゃんを預けている申し訳なさと少しの不安とで心が休まらなかったけれど、回数を重ねるうちに外出を楽しめるようになってきた。
夫もドライブに行ったり、趣味の音楽をやったりして自分に合った息抜きを模索している。

そして、もうひとつの恩恵として自分に出来ないことを夫がサポートしてくれることにあると思う。
母親になったからといって、母親業が自然と務まるわけではないことを知った。
正直まだ母乳育児は軌道に乗っていないのでほとんどミルクに助けられている。
また、私は昔から朝型の人間なので深夜に起きて授乳するのがどうしても辛かった。
産院では夜間の母子同室で体調を崩してしまい、薬を貰うほどだった。
私の場合、深夜帯に起きることと、睡眠不足ご続くことは体に大きなダメージを与えるようだった。
なので夜型の夫がその時間帯をカバーしてくれることで本当に助かっている。

育休がもたらしている最大の恩恵として、時間にゆとりがあること、これがとても有り難く思う。

最近は赤ちゃんの外気浴のため、3人で近所の公園に行くようになった。
天気の良い秋の公園はとても気持ちが良い。

ふと夫が「穏やかな時間が流れてるなあ」と言った。
いつもなら働いている時間帯に家族でのんびりベンチに座り、風に吹かれている。
その言葉を聞いて、私も幸せな気持ちになった。
仕事のストレスから離れて、人間の成長や季節の流れに目を向ける。
そんなことにたっぷりと時間を注ぐ。
なんて贅沢なのだろう。
思っていたより私達は生まれた時から自由なのだった。

夫婦ふたりが育休を取っている分、経済的な不安はあるけれど、こんな時間はきっと何にも変えられない。

時間があるからこそ、心に余裕が出来る。
赤ちゃんの記憶には残らないとしても大切な時間だと思う。

赤ちゃんには毎日毎日小さな変化がある。
眉毛が濃くなって来たり、肉づきが良くなってきたり、泣き声のバリエーションが増えたり、突然笑うようになったり。
そんな瞬間を私だけでなく夫も立ち会えている。夫が働いていたら私が口頭で伝える程度だっただろう。
毎日毎日赤ちゃんをじっくり観察して成長の喜びをふたりで噛み締められている。
それが何より私は嬉しい。

おわりに

赤ちゃんと初めて対面した時、一気に心を奪われたあの美しい瞳。
その瞳に私たち夫婦の穏やかな表情が映っていることがとても嬉しく思う。
勇気を出して長期間の育休を取ってくれた夫には感謝してもしきれない。
本当にありがとう。
これからも一緒に楽しく生きていきましょう。

#育休から育業へ

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