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そうめん

「やっぱり夏はそうめんよね」
「おいしーい。パパがつくるとどうしておいしいのかな」
「ははは。パパも家事を始めてから3年経つからね。凝り性な分、ママには負けないさ」
「あら、パパは働いていないんだから、それ位してもらわなくちゃね」
「おいおいおまえ、そんな言い方はないだろう」
「…ねえ、どうしたらあなたのその状況が変わるのかしら」
「おれだってね、好きでこうしているわけではないんだよ」
「私が幼稚園で働いているからいいものの、もしそうでなかったら今頃飢え死によ」
「ママどうしたんだい、イヤに今日は不機嫌じゃないか」
「ヒモと同然じゃない。どうして透明人間なんかになっちゃったのよ」
「ママ、ヒモって何」
「だから何度も言ったじゃないか。僕は三年前、帰宅途中に何かに捕らえられて、そうして気づいたときにはもうこうだったんだ。
それに透明人間じゃない。これは多分レンズ効果なんだよ。僕の体に何か磁場が働いて、光を曲げてしまうんだ。
だから僕の後ろの風景が僕を追い越して見えてしまっているだけなんだよ」
「私は短大卒だから、そんな詳しいことわかりっこないわ。
あなた、エネルギー研究所のエリートだったんでしょ。その体、あなたの研究で何とかならないの」

わたしのパパは透明だ。
めがねをして服を着てるからそこにいるってわかるけど、裸になったらわからなくなってしまう。
三年前からほとんど外に出たことはない。
でもなんだか、わたしは透明なパパが好きだ。
以前はもっとカリカリしていて怖かったけれど、
今は違う人みたいにやさしいし、面白い。
本当に、違う人みたい。

「あなたが働いてくれたら、30年ローンだってもう少し負担が減るのに。 それでなくったって最近値上げ値上げでお手上げよ。
今日だって保護者との会議があって、給食費値上げのことですごくもめたのよ。やんなっちゃう」
「ははあ、それでおまえ僕に八つ当たりしたんだな」
「…そうよ。あなた、私疲れてるの。温暖化でバカみたいに外は暑いし、この先どうなるのかしらね」
「そうだなあ。人間が作り出すエネルギーってのは効率が悪いからね。 原子炉だって核融合の熱で水を沸騰させて、その蒸気でタービンを回して電気をつくっているだけなんだからね。 基本的なところは昔っから何にも変わっていないのさ」
「あなたは透明になってから随分客観的にものを見るようになったわね」
「え、そうかい。もしかしたら僕はもう僕じゃないのかもしれない。記憶だけが残っているけれども、 本当は違う人間かもね。宇宙人に寄生されたかな」
「やだあ、あなたったら」
「ははは。もしそうだったら、僕は地球を救おうと思うよ。実はこの三年間、いろいろ調べ物をして、無限ループをうまく活用する方法が見つかりそうなんだ。
地球の自転こそ有益だ」
「パパ、なあにそれ」
「コンピュータの命令さ。エネルギーさえあれば、ループは永遠に命令を実行し続ける。 そうさ、タービンで電気をおこすなんて原始的なことはもうおさらばさ。 人間は忘れてるだけなんだな。昔は環状列石とかいろいろあったのに…」
「パパは本当に宇宙人なの」
「はは。どうかな。でも、僕が本当のところどうであれ、ママもお前も宇宙で一番好きだよ」
「あら、あなたったら。ふふ」
「ははは」

その日の夜は、パパと宇宙ゴマをして遊んだ。

このコマと一緒なのさ。
くるくる回るエネルギーをそのまま拝借すればいい。
うまくできるさ。きっと。
お前、パパのことを忘れないでおくれよ。
こうしてお前と遊んだこともね。




パパは次の日、いなくなっていた。
透明じゃなくって、本当に家のどこにもいなくなってしまった。

「地球の軸を探しに行きます」

こんな冗談みたいな書置きひとつを残して。




その後わたしは100年生きた。
地球は随分きれいになった。水も空気も。
大気もだいぶ冷え、夏に30度になることはまれだ。

でも、わたしはあの暑い日のそうめんが忘れられない。
パパの作った、あの美味しいそうめん。


今日も夕日が沈む。風が吹く。
地球はゆっくり、ゆっくり廻りながら黄昏に染まっていった。


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