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今更ですがはじめてアナ雪をみました

今年の正月休みは、一昨年から大ハマりしている比嘉愛未さんの過去ドラマをTVerで見る以外は、語学学習も兼ねて洋画や海外ドラマを見るようにしている。
と言っても、ケチな私はNetflixなどを契約することはなく、Amazon Primeでタダで見れるものだけを見ている。映画好きでもドラマ好きでも何でもないので、楽しく英語に触れられればそれで良い。

私は最近のMayJさんの雰囲気がとても好きで、ここのところ彼女のYouTubeを繰り返し見ていた。彼女は英詞の曲が素晴らしい。Let it Goは何度も聴いた。それでそういえばアナと雪の女王ってみたことないなあ、と思いAmazon Primeでチェックしたところ、199円で48hレンタルできるという。これは正月に見るのにもってこいだと思った。

アナと雪の女王は、最近劇団四季がミュージカルでやっているらしく、noteで検索するとその感想記事がわらわらと出てくる。映画は派生エピソードらしき作品やアナ雪2なるものもあった。
2013年に大ヒットしたディズニー映画の感想を今書くなんて今更にも程があるが、ここに残しておこうと思う。

この映画は、人を殺傷できるほどの氷の魔力をもつエルサとその妹アナの物語である。以下に簡単なあらすじを書いておく。

エルサはその魔力で過去にアナを危険な目に合わせたことをきっかけに、部屋に閉じ込められ、アナ含め誰とも交流せずに生活していた。
10年後のある日、両親が海難事故にあい、肉親は姉妹2人だけになってしまう。その間もアナとの交流はなく暮らしていた。そしてその3年後、エルサは女王として即位することとなり、民衆の前に姿を現す。多くの人々がエルサの即位を祝うが、その戴冠式でアナから突如結婚の意思を聞いたエルサは、必死に隠していた魔力を感情の昂りにより誤って民衆の前に披露してしまう。怪物呼ばわりされ居場所を失ったエルサは北の山へ行き、そこで氷の城を建て一人で生きていく決意をする。
一方、雪で覆い尽くされた国を助けるため、アナはエルサを頼り北の山に向かうが‥。

ざっくりとこんな感じだったと思う

この映画を見て一番引っかかっていたのが、エルサの魔法で瀕死の状態になったアナが、氷を溶かす「真実の愛」を求め吹雪の中を進むシーンだ。この時のアナの姿が、衣装から髪の色(魔力により次第に凍り変色していった)まで戴冠式のエルサの姿にそっくりなのだ。まさか偶然とは思えず、これが何を意味するのか考えてみた。

エルサの魔法は隠すべきもの、決して他者の目には触れてはいけないものであって、コントロールしなければならないものだった。エルサは感情を抑えることを強いられ、それでも危険ということで部屋に閉じ込められていた。特に「恐れ」の感情は、魔法を危険な状態にすると言われており、両親も魔法をコントロールすること=感情を感じないようにすることとしてエルサに教えていた。

しかし図らずも戴冠式で自分の魔力が民衆にバレてしまう。エルサはもう仕方ないと、諦めのような投げやりのような思いで、この両親の教えから解放されようとする。それでもやはり過去のトラウマ(アナを危険な身に合わせたこととそれにまつわるあれこれ)や両親の想いや教えからは完全には解放されていない様子がうかがえる。
北の山で自分だけの氷の城を作り、これで良いのだと自分に言い聞かせるように歌う、それが表題曲のLet it Goだ。蛇足だが、日本語版の歌詞はそのあたりのエルサの心情が掴みにくくなっていると感じた。

映画ではエルサが感情を押し込めようとすればするほど、魔力が強まっていった。感情は人を一定の活動に導くという意味でエネルギーといえる。感情は押し込めることはできず、そうすれば別の形で表れる。ストレスがたまると夜眠れない、お腹が痛いなどの心身の不調となって表れるというのは、そのひとつの例である。エネルギーは変換することはできるが、なくすことはできない。そして、太陽エネルギーがなければ世界中の生き物が絶滅するように、エネルギーがなければ生き物は生きられない。
感情は人間特有のエネルギーだと考えられている。人間にとってその感情を殺すということは、死んだように生きることと同義であると思う。

瀕死状態のアナの姿が、感情を押し殺すのに最大の注意を払わねばならなかった戴冠式のエルサの姿と重なることは、感情を殺すことが人間にとって死を意味することの隠喩であったのだと思う。

日本語では、思いやりのない非常な人間のことを「冷酷な人」と表現し、そっけない態度のことを「冷たい」と言う。感情はエネルギーであるから、温度をともなうものであるという認識の上で、感情のないことを温度がないとして「冷」という言葉を当てるのだと思う。英語でもcoolの定義の1つに「unfriendly or not showing kindness or interest in something or someone(Cambridge Dictionary)」とあり、この感覚は制作元のアメリカでも同じらしい。

エルサの魔法は火でも水でも電気でも何でもよかったはずだが、氷や雪の魔法としたことはこの前提に基づいている気がする。アナと雪の女王の原題が「FROZEN」であって「A Snow Princess」などではないこともこの映画のテーマがそこにあるのだと感じさせる。
ちなみに、王子様的ポジションである氷売りの青年の元に駆けていくアナが、エルサの危機を察して彼女を命をかけて守るクライマックスのシーンでも、アナの死は全身が氷漬けになることで表現され、姉妹の愛という感情がアナを生き返らせた。
Let it Goを歌うエルサが生き生きと見えたのも、抑圧され嵐が渦巻くような感情を素直に表出できたからだと思う。

最後に、この映画は当時クライマックスがプリンセスとプリンスの愛ではなく姉妹の愛であったことが大きなサプライズだったようだ。またヒロインが2人であったり、エルサが成人していたり、青年がアナにキスをする際に同意を求めたりするなど、色々な場面がこれまでのディズニー映画のお決まりパターンからは外れていて、画期的であったらしい。LGBTQ界隈では、エルサはレズビアンなのではないかなどという噂もあったらしく、驚いた。
私はディズニー映画とはほとんど無縁の人生で、見たことがあるのも成人後の「インサイド・ヘッド」1本だけだったので、クライマックスのアナの行動も予想通りだった。序盤からそれしかないだろう、そういう筋で書かれているだろうと思っていた。むしろ、ディズニーがこれまで典型的な「王子様とお姫様の物語」をずっと描き続けてきたということの方に驚いた。
いや、でもこの映画は2013年のものだから、当時の空気はそんな感じだったのかもしれないのだけど。

ディズニーも子供向けのおとぎ話のような作品だけではなく、もう少し成長した人間をターゲットにしたものも出すようになった、ということか。このあたりの考察はディズニーに詳しい人にお任せしよう。

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