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「二〇二〇年七月四日 巻浦市民病院は十二階建ての本館と、八階建ての西館と東館、五階建ての駐車場からなる総合病院で、病床数は巻浦市内で最大の六二十床を誇っている。」

わたしにしては珍しく、複数の作家による短編集です。
アンソロジーを購入するのは珍しいのですが、作家陣のなかに馴染み深い有栖川有栖氏がいたこと、以前読んだ辻村深月氏がいたこと、最近よく目にする米澤穂信氏がいたことが、購入に至った理由でした。
新しい作家を開拓したい、というのが一番の動機です。

辻村深月、他著『神様の罠』(文藝春秋社、2021)

一作目は、乾くるみ氏による「夫の余命」と題された短編です。
冒頭の文章がそれ。
わたしは乾氏の作品を読むのははじめてですが、パズラーのような真相がだんだんわかっていく系の話は好きなので、すぐにのめり込みました。

ところで、最近「モキュメンタリー」という言葉を目にしたのですが、この作品もそれに該当するのでしょうか。
おそらく「ドキュメンタリー」の真似事、という意味の「モック・ドキュメンタリー」(mocには英語で“模擬”とか“偽の”という意味があります)からきているのだと思います。
ドキュメンタリー風の創作、という意味でしょう。

日記形式というか、ドキュメンタリー形式というか、とにかく物語は、各章が日付からはじまり、そのころの出来事が淡々とツヅラれています。
日付は遡ったり、先に進んだりと、時間の流れは一定ではありません。

「夫の余命」というタイトル。
そして書き出しの総合病院の描写。
夫はこんなに大きな総合病院に入院しなければならないほどの、大病を患っているのでしょう。
悲しい物語を読むことになるのか、ちょっといやだなあ、と思いながら読み進めました。
ところが、悲しみの感情で溢れるどころか、淡々と、夫と妻の出会い、デートの思い出、病気を宣告されたこと、別れの悲しさなどが、ひたすらに淡々と綴られています。
もうすでに、「夫」に対する感傷はすべてなくなってしまったかのようなドライさです。

そして最終章。
また二〇二〇年七月四日に戻ってきた日付の章を読んで、わたしは最初のページに戻りました。
とても先の作品を読み続けられませんでした。
もう一度読み返して、ようやく納得しました。

いやあ、作家ってすごいですね。

これに驚かされたので、乾氏の他の作品を本屋さんでぺらぺらと探してみたのですが、わりと青春系ミステリを書く方らしく、その時はあまり気分ではなくて買わずじまいでした。
いずれまた、気分が向いたときに読むべき作家として、心に留めておこうと思います。

それにしても、ミステリというか、謎解きというか、謎が散りばめられた文章というのはいいですね。

最近、ネット上で話題になっているモキュメンタリーホラーを読んでしまったのですが、これもすごく気になっています。
ただ、まだ完結していないのと、どうにも恐怖感が現実に侵食してきてしまう気がして、ちょっと距離を置こうとしているところです。
怪異を信じているわけではないのですが、脳が悪影響を受けるだろうなとは思っているので。

閑話休題。

さて、他の作品はというと、辻村深月氏の作品は普通に楽しく、有栖川氏の作品はまさかの「学生アリス」だったので、久しぶりに江神さんを摂取できて、わたしはほくほくです。
なのでこの短編集の収穫は、江神さんの新規話と、乾氏の発見かなあと思っています。

アンソロジー、普段は買わないですけど、たまにはいいですね。
それにしてもやはり、ミステリというか謎モノを書く作家は力量が恐ろしいなあと思いました。

大きな総合病院。
夏。
なるほどね。


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