見出し画像

人生を支えたコトバ

近頃なんだか、私もだいぶ長く人生を歩いているような気がしてきた。
沢山の人と出会って、別れて、そしてまた新たな道を歩く。
そうした繰り返しの中で私の手元には何が残っているんだろう?
そんなことを考えるようになった。

まず最初に思ったのは、
それは「人の言葉」「受け取った言葉」に支えられてきたということ。
それは、彼氏に振られたときのコトバとか、コンテストで酷評されたコトバじゃなくて、「私に向けて渡された言葉」
その、目には見えないけれど大切なものに支えられて今の私がある。ということだった。

たとえば、失恋して毎日泣いていた私を、少し豪華なレストランに連れて行ってくれた、大学で仲良しだった先生がいた。
とても強烈な先生で、二日酔いとか、ニンニク臭いまま授業をやる破天荒な先生で、初日の授業で「すまん、水を持ってきてくれ」と言われた私は、バケツに水を汲んで持って行った。先生が驚いた顔で「コップに水だ!」「二日酔いだ」と聞いて初めて、クラス中が爆笑したのだけれど、それ以来、なんだか憎めなくて、気づいたら、大学が終わっても、仲間皆で先生の家に押しかけていたり、出来もしないマージャンに誘われたりするようになった。
(話が脇道にそれちゃったので、もどる)
失恋して泣きはらした顔の私のテーブルに、もう乗らないくらいいっぱいに並べられた料理をみただけで、気持ち悪くなるほどだったけど、先生が一生懸命に取り分けてくれるのを見ていたら、今度はそれが嬉しくて、泣けて、泣けて、周りから注目を集めていたのを覚えている。
そしてそのとき先生が言ったのが

「お前が大人になったときに、きっとお前と同じような思いをする奴が出てくるから、そのときにちゃんとアドバイスできるような立ち上がり方をしろよ。それが優しさが繋がっていくということだから、覚えとけ」

だった。私は20代の頃からずっと、この言葉を胸に置いて生きている。
いつのまにか、ものすごい数の後輩たちに関わるようになった。
先生は私の鍵を握っていた。
アナウンサーになったばかりの頃、仕事もなくて真っ暗闇に放り投げられた気分でいたときに、先生のかわりにご挨拶に行った芝居で、
「夢は信じて行動すれば、きっと叶うから」
という台詞が、まるで自分に向けられた言葉のようで、劇場でボロボロ泣いたこともあった。
そして、演劇の力を知った瞬間でもあった。

そして、インタビュアーとして、有名アーティストを前にビビッていた私にディレクターが言った言葉。

「俺は、お前が失言したときに謝るためにいるんだ。もっと好きに、堂々と、自由にやれ。もう少し俺を信じて頼ってくれ」

私は今でも、頑張りやになる癖がある。
「助けて」とかなかなか言えない性質だ。
頼りにされることはあっても、頼ることはなくなっていく。だから乳がんになるまで、どこかで勘違いしていたんだと思う。
強くあらねばならない。と。私は強いんだ、と。

そして思い出した。病気から遡ること10年前に、主治医から「君の病気の一番の原因は、頑張っているという自覚がないこと」と言われたこと。
本当はものすごく怖がりだったこと。
そして、たった一人でもいい。自分をさらけ出せる人がいることが大切だと気づいたんだ。

思い返すと、私は本当に、たくさんの言葉に支えられて生きてきた。

今、世の中は、かなり不透明な時代になっているけれど、
この時代を動かしていけるのは、「愛あるコトバ」を持っている人じゃないかと思っている。人は愛には敏感だ。愛をもって向けられた言葉は必ず人を救っていくと思っている。

サポートして頂きましたら、甘いものなど食べに行かせて頂きます✨😌✨