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日常と、『ゴッホと静物画』展のある絵の前で

 雪が降り始めた。12時半頃、お昼を食べようと席に着いた時はまだ降っていなかったのに、食べ終わってふと窓を見たら白いふわふわが音もなく降り注いでいた。眺めているときれいだけれど、能登半島地震で今も避難生活を送る方々や復興支援に携わる人々、受験生のことなどを思うと、どうか積もらずに交通機関も止まらず動きますようにと心から願う。

日常

 さて、そういえば2月だ。1月はのんびりしていたようで意外にも外出する用事が割とあり、気づいたら2月に入っていた。というのも、11月の終わりごろから発症した蕁麻疹がなかなか完治せず、年が明けても忙しなく通院しなければならなかった。最近やっと落ち着いてきたが、他にもいくつか気になる症状があったのでその都度病院へ行き、バタバタしていた。
 症状もつらかったし、私はお医者さんと話す時の緊張が得意ではないのでそれにも疲れを覚えたが、なにより心をすり減らしたのは、食べものや着るものにまであれこれ気をつかって過ごすことだった。食べられるものが制限されたり、この寒いのにヒートテックや熱い湯船を肌が拒んだりするのは、思っている以上にストレスになった。

 でも、しょうがない。それでものすごく落ち込んだりすればきっともっとストレスになるし、そもそも落ち込むことには何の意味もない。……って、わかってはいても、何気なくボーっとした時とか灯りを消してから眠るまでの時間とか、そういう“一人の空間”になるとやっぱり多少は気落ちしちゃう。不安が頭をもたげちゃう。それでnoteの更新も止まっちゃってたわけだけど、でももう、ある程度のそういう自分は許しちゃって、泣きたい時は泣けばいいけど、その分楽しい時嬉しい時はちゃんとそれはそれで噛みしめようって。最近、そんなふうに思うことを習得した。窓の外の雪もきっといつか止むんだから、それと同じに、苦しい状況もずっとは続かないって。こういうつらい時だからこそ、なにか身につけられるものもある。そう思う。


 ……えへへ、なんか不幸自慢みたいな、弱音を吐く会みたいになっちゃってるかもしれないけど、そんなつもりは全然なくて。なんていうか、何でも物事には、表と裏の両面があるんだなーって、そんなようなことが淡々と、少しずつわかってきたということを書いておきたかった。

 1月は確かに病院通いの日々だったけれど、明るいことももちろんあった。元旦はおばあちゃんがうちに泊まりに来てくれて、私も作るのを手伝った母のおせちをみんなで美味しく食べたし、初詣にも行った。親戚のお家にも遊びに行ったし、お墓参りにも行けてよかった。それに、どうにかこうにか少しでもかゆみが引いている時を狙って、『ゴッホと静物画』展にも滑り込みで足を運んだ。行きたい行きたいとソワソワしながら長らく体調と相談して、満を持して行ってきた。

ゴッホと静物画展

 『ゴッホと静物画ー伝統から革新へ』展、本当によかった。そういえば静物画だけって初めてだな……、もしや全部花と果物……!?(全然それでも良いのだけど)と思ったりしたのだけれど、なるほどまさかそんなことはなく、様々な画家の作品があったが中でもゴッホの選んだモチーフは彼らしく、特におもしろかった。麦わら帽子とか有名な≪髑髏≫(どくろ)とか、鳥の巣もあって新鮮だった。初めて知る彼の花の絵もあって興奮したし、ゴーギャンやルノワールにも会えて嬉しかった。感動のポイントは常に尽きなかったけれど、ルノワールの≪アネモネ≫の、模様も含めた花瓶の立体感の美しさには息をのんだ。
(写真で伝わるかどうかわからないけれど💦、これを読んで下さっている方にもおすそ分け↓)

 

 そして、私が最も見たいと胸を躍らせ(パンフレットに画像が載っていたのでそれで見れるとわかっていた)、実際、見れてよかったとこの上ない喜びを感じたのが、ゴッホの≪靴≫である。オランダのファン・ゴッホ美術館から、遥々やってきた≪靴≫ーー。くたびれた靴、よごれた靴。何もない地面、無造作な靴紐……。一見、そこにあるどの作品よりも、暗い画面でパッとしない。でも、運よく誰もいない時で、その絵の真正面に立った途端、私のなかに突然ある曲が流れ始めた。………… ♪息を切らしてさ… 駆け抜けた道を… ふり返りはしないのさ………。

 ま、「まったくもってその通り!」そう叫びそうになった。今、この絵の前に立った瞬間、ドクドクし始めたこの心臓、この感じ。泥臭さのなかにある爽やかさ、くたびれているのにどこか身軽な感じ。雨の日にわざと履きつぶして、あえてこの姿で描いた靴。そこにゴッホが感じていたもの、この絵と私のリンクするとこ、今、私がなによりも、一番欲していたメッセージ。それがぶわっと、ミスチルの「終わりなき旅」という歌にのって一気に私の胸に押し寄せてきて、私はふらつきそうになる錯覚を覚えながら、ただただ呆気にとられて突っ立っていた。果てしない道のその先から、心の奥深くから、とても励まされた気持ちになった。


 そう、こういう経験があるから、美術館に行くのをやめられない。偉大な画家に会いにゆくのを、会って対峙したいという衝動を、これだから抑えることができない。
 改めて私は、ゴッホが、絵画が、美術館という場所がより好きになった。そして今回の“静物画だけ”の展示はなんだか、ゴッホは狂気の天才じゃないって証明してくれるような展示な気がして、嬉しく思った。天才という言葉を使うなら、彼は努力や集中力の天才で、常に彼なりに学習を重ねて自分の腕を自分の力で磨き続けた人。だから彼の絵にはいつも探究と苦悩による迫力があって、その夢中さが魔法となって画面全体にかかっている。私はそんなふうに感じます。やっぱり美術館で絵と向き合うと、色々な感情が渦巻くけれど不思議と心が落ち着いて、とてもいい時間を過ごすことができる。写真を撮る時にゆずり合って微笑むやさしい世界も好きです。


🌱

 ……久しぶりにnote書いたなぁ。体調のこととか進路のこととか、去年からあれこれ思い悩み過ぎて色々パンクしそうになっちゃってたけど、(っていうかしてたけれど、)でも今年からは少しずつ体制を立て直していきたいなと、わくわくどきどきしながら計画を立てていることもある。そのことについてとか、またこうやって楽しかったことの記録とか、気持ちの整理とか。なんにせよ、私にはやっぱり「書く」って手段が自分に合ってるんだな、文章が好きなんだなぁって、じわじわと改めて実感。だから2024年も、この場所と一緒にゆっくりマイペースに歩んでいきたい!です。


 最後まで読んで下さり、ありがとうございました(^^) 🌷🕊️


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