ちょもりのネタ帳

不登校・不登園の3人の子どもを持つ父親。人生を遊ぶ自然派。バイブルは『アナスタシア』。

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不登校・不登園の3人の子どもを持つ父親。人生を遊ぶ自然派。バイブルは『アナスタシア』。

最近の記事

動き出した楽園づくりの夢

「みつばち村」というお金がなくても幸せに生きていける自給自足の楽園をつくろうと思い立って早15年。 とはいえ、始めるためのお金がない、家族ができた、仕事が忙しい…などなどの言い訳を繰り返し結局何もできていなかったのだが、ようやく機が熟したのか、その一歩を踏み出すときがやってきた。 兵庫県の西宮名塩というところで畑付きの古民家を運良く借りることができ、2拠点生活を始めることになったのだ。畑を含め全体で約700㎡(幅15mの50mプールくらい)というそこそこの広さがあるこの場

    • 二人の兄弟(寓話)

      『アナスタシアシリーズ』の中でアナスタシアは、著者のウラジーミル・メグレさん、そしてその向こう側にいる読者たちの理解を助けるために‟寓話”を駆使して語り掛けてくれている。今回は、その数多くの寓話の中から、僕が1番好きな寓話を紹介したい。 その寓話は『二人の兄弟』という話で、『アナスタシア4巻 共同の創造』の中で紹介されている。僕はこの寓話を読んで、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。僕はその頃、‟叡智”や‟真理”と言われるようなものを必死に探し求めていたのだが、その行為

      • アナスタシア4巻『共同の創造』がとんでもなく魂を震え上がらせる件

        僕は今、『アナスタシア』シリーズを1巻から読み直している(『アナスタシア』シリーズは全10巻で、日本語版は今のところ8巻の上まで出版されている)。これで読み返すのは何度目だろうか…。 で、今ちょうどシリーズの“核心”と言われている4巻の『共同の創造』に差し掛かったところなんだけど、これがもうまじでやばい…。 4巻では冒頭からアナスタシアが“創造のはじまり”の物語を語り始めるんだけど、これがもう鳥肌たちまくりーの、魂が震えまくりーので、僕は今、悶絶している。。 どのように

        • 愛について

          愛とは何でしょう? 愛とは、相手のそのまんまを認めること。尊重すること。相手を変えようとするのではなく、そのままを受け入れ、心から相手の幸福を願うこと。奪うのではなく、与えること。 僕は妻と愛し合っている。そして、愛する人と共にいることほどの幸福はないと実感している。だから、自分の子どもたちには絶対に、心から愛する人と出会ってほしいと思っている。 そのためにはどうしたらいいか?まずは、自分自身の心を開いていないといけない。自分の本心を知り、自分に正直に生きてないと、たと

        動き出した楽園づくりの夢

          ちょもりについて

          自己紹介をしたくなったのでしてみる(身元がバレないように注意しながら)。 僕の夢は2つあって、1つは「スマホを手放すこと」。 スマホは現代社会では手放せないアイテムの一つだけど、僕はある時、はたと気がついた。「スマホにめっちゃ時間を奪われとる」。。 はっきり言って、今は僕もめっちゃスマホを使っているし、その恩恵に授かっているわけだけど、冷静にスマホと向き合ってみたら、僕が許可を出していないのに勝手に電話は掛かってくるし、LINEもいちいち通知が気になるし、faceboo

          ちょもりについて

          アナスタシア

          これはとんでもない本だ。 「あの世に1冊だけ持っていけるとしたらどの本にする?」と聞かれたら、僕は即答でこの本を選ぶ。 『アナスタシア』 “人間とは何か?”について、これほど核心を突いた本はない。 僕はこの本を読んで、本来の人間の凄さを知った。生きる目的を知った。いや、思い出したと言ったほうがいいだろうか…。眠っていた魂が大きく揺さぶられ、何度もハッとさせられた。 これほど一人の人間に影響を与えることができる本を、僕は知らない。 この本が、一人でも多くの方に届きま

          人生は遊びだ

          人生は、遊びだ。 しなければならないことなど何もない。 毎日を楽しみ、笑い転げ、喜びを放射するために、僕たちは生きている。 それ以外にすることは何もない。 それなのに人間は、勝手に苦しんでいる。 自分のため、、将来のため、、老後のため、、子どものため、、家族のため、、 何かと理由をつけて、自ら苦しみを買って出ている。 ふざけんじゃない。人生をバカにするんじゃない。 何のためにこの完璧な地球が存在すると思っているのだ。 誰も苦しまなくていいように、誰も働かなく

          陸にあがろう

          みんながみんな、幸せになりたいと思っているのに、そうはなっていない。 すべての親は我が子の幸せを願っているのに、そうはなっていない。 なぜ? 感情を殺してしまっているから。 男の子なんだから泣きなさんな!女の子なんだからもっと優しくしなさい!そのくらい我慢しなさい!怒るんじゃない!笑顔が一番大事よ!あなた自身のためにもっと頑張りなさい!友達いっぱいつくらなきゃダメよ!… 怒りや悲しみは邪悪なものとして忌み嫌われ、笑いたくもないときに無理やり喜びを強要されてきた。

          “愛”さえあれば、すべてはきっとうまくいく

          うちの子どもたち(小4男・小2男・4歳女)はみんな不登校・不登園だ。それでいて僕たち夫婦は共働き…。え?ほんなら両親が働きに出ている間、子どもたちはどないしてんのん? 僕たち夫婦が出勤した後、日中は基本的に子どもたち3人だけで過ごしている(一応おばあちゃん・ひいばあちゃんとも同居しているので、どちらかがいることもあるが)。それで、子どもたちだけで何をしているかと言うと、基本的にはゲームとYouTubeだ。 ゲームやYouTubeなんて、僕たちだってできることならやらせたく

          “愛”さえあれば、すべてはきっとうまくいく

          ちょもり家の子育て④(おやつ)

          ちょもり家にはほとんどルールがなく基本的に自由なんだけど、こればっかりは自由にさせてらんない!ってことがいくつかあって、そのひとつが“おやつ”だ。こいつはなかなか手強い。。 おやつってみんなどうしてる?結構難しくない? 僕は、本音で言うと、できるだけおやつは食べて欲しくないと思っている。基本的に市販のおやつには砂糖や添加物が大量に入っているから。あまりにも不自然なものはできるだけ食べさせたくないと思っている。 でも、僕自身がおやつ好きで(なんじゃそりゃ!)、コーヒーと共

          ちょもり家の子育て④(おやつ)

          ちょもり家の子育て③(服選び編)

          うちは服装もフリーダム。フリーダム過ぎて、長男と娘は家の中ではいつも裸ん坊(パンツは履くけど)。たとえ冬でも服を着ることのほうが珍しい。もちろん外に出るときは服を着るのだが、どの服を着るかは必ず本人に選ばせる。「今日は寒いよー」とか「暑いみたいだよー」とかの情報提供はするが、それ以上の口出しは極力しない。あまりにも選ぶのに時間がかかり過ぎて、急がないといけないときなんかはちょっと誘導するけども。。 そして次男に関しては、2歳くらいの時から女の子の服をやたらと着たがった。我が

          ちょもり家の子育て③(服選び編)

          ちょもり家の子育て②(子どもたちの“世界”を侵さない)

          ご飯エピソードの続きをば… うちでは“全員揃って食べる”ということも重視していない。もちろんみんなで食べたほうが楽しいので、ご飯の準備ができたら「ご飯できたよー」という声掛けはするが、それでご飯を食べるか、それとも遊びを優先するかは子どもたち次第だ。 この時に僕が一番意識しているのが、子どもたちの“世界”を壊さないということ。例えば、レゴブロックに集中して何かを創り上げようとしている時。子どもたちはレゴの“世界”に没頭しているわけだ。その世界を“ご飯を揃って食べる”という

          ちょもり家の子育て②(子どもたちの“世界”を侵さない)

          ちょもり家の子育て①(ご飯も自由)

          うちでは「自由」を最も大切にしているが、具体的にどのように子育て(生活)しているのか紹介していきたい。 まず家族構成だが、僕たち夫婦に小4(男)・小2(男)・4歳(女)の3人の子どもたちがいる。そして、妻の母、妻の祖母も一緒に暮らしている。子どもたちからしたら、おばあちゃんとひいばあちゃんだ。この7人で、割と都会の一軒家に住んでいる。 実は“一軒家”というのはすごく重要だと思っていて、僕たちが家を選んだ時にこだわったポイントだった。というのも、子どもって基本うるさいじゃん

          ちょもり家の子育て①(ご飯も自由)

          子育ては一筋縄にはいかない

          僕が子育てで大切にしているのは、「自由」と「この世は天国だと実感させること」の2つだけだ。彼らの自由意思をできる限り尊重し、「人生って最高!」と思ってもらえるように努めている。 しかし、その実践がいつもうまくいっているかというと、全くそんなことはない。失敗の連続と言ってもいいくらいだ。「自由」と「天国」って口で言うのは簡単だけど、それを実践していくのは一筋縄ではいかない。いつも道に迷いながら、葛藤しながら、もがき苦しんでいる。 特に、今小4の長男の子育ては本当にチャレンジ

          子育ては一筋縄にはいかない

          この世は天国

          ある宗教では、「この世は苦行である」と教えられている。「あの世で天国に行くために、できるだけ徳を積んでおかなければならないのだ」と。 僕はこの考え方に断固反対だ。「この世は苦行?天国に行くために苦しむ場所?」ー全身全霊を込めて「はぁ(*´Д`)?」と言いたい。 そもそも死後の世界なんて、誰にもわからない。天国があるかどうかも誰にもわからない。そんな不確定事項を目標にして、そのために苦しみに耐え続けるなんて、僕には考えられない。 だけど、これと似たようなことが今の学校現場

          勇気をもって、自由にさせよう

          人間は完璧であるー自分にとって何が必要で、何をすべきかは本能的にちゃんとわかっているーという前提で話を進めていきたい。 この前提に立った時、私たち大人にできることはほとんどなくなる。そもそも‟教育”なんて言葉自体がおこがましいことに気が付くと思う。そもそも完璧である存在に、何を教え込もうというのか。 僕たち大人ができるのは、とにかく子どもたちを自由にさせてやることだ。好きなように遊ばせてあげることだ。決して、彼らの本心を‟抑圧”するようなことだけはしてはいけない。子育てに

          勇気をもって、自由にさせよう