見出し画像

旧暦卯年の元日に記す

旧暦のお正月を迎えるまでの数日間は、去年一年間を遡っても、指折りの散々な時間だった。

コロナに罹り、熱を出していたからだ。

それもかなりの高熱だった。コロナワクチンを打つたびに熱を出していたときは、いざというときに症状が軽くなるならこれくらい我慢我慢と自分に言い聞かせていたのだが、軽いどころか、39度台が二日間続き、完全に平熱になるまで四日もかかった。それでも、これが軽くなった方だという可能性も否定できないので、今はとりあえず回復した体をさすりながら、生きていることに感謝するしかない。

熱が最もひどかった初日の夜、ぼくは深く眠ることができず、一時間ごとに目を覚まし、汗びっしょりになっても熱が下がらない自分に首を傾げた。心拍数は120を数え、横になっているだけでジョギングをしているような状態に、起き上がるたびにはあはあと息切れした。食欲はあるが胃が受け付けず、食べる量はいつもの1/3ほど。そんなどう考えてもガス欠になっている状態で、なぜか脳だけが活発に回転し、その結果、目を閉じるたびに奇妙な感覚に包まれるようになった。

その感覚とは、ぼく自身がゆっくりとなにかに向かって歩みを進めている感覚だ。映像が頭の中を流れるわけでもなく、明確なルートを説明できるほどの論理性もなく、ただなんとなく、「ああ、ぼくはどこかに行くんだな。この道のりを全うすれば、体調も少しよくなるんだな」と、ぼんやりと歩を進めていた。いや、「歩を進める」という言い方さえしっくりこない。あの感覚の中で、ぼくはただ機械的に動いているだけで、目的性も主体性もなく、したがっていつ果てるとも知らずに、目を閉じるたびに、終わりのない歩みを続けていたのだ。

体調が回復するにつれ、すなわち頭がはっきりとし、理性と思考というものを取り戻すにつれ、歩くぼくが消えはじめた。あの感覚をもう一度捕まえて考え直そうとしているのに、「歩くぼく」は、まるで思考では捉えることのできない、異なる次元にいるかのようだった。それを少し残念がったが、締め切りのある仕事を抱えているぼくは、熱が完全に下がり切っていない体に鞭打って、いつもと同じ時間をかけて、1/3の量の仕事をこなし、いつもの倍の疲労に包まれて、また休んだ。

疲労の中で、ぼくは母のことを少し思い出した。一ヶ月前にコロナにかかった母は、ぼくと同様に高熱を出したのだろうか。今はコロナがすっかり良くなったけど、別のものとの闘いを――いや、「闘い」ではない。「闘病」などというのは、ぼくが最も嫌う表現の一つだ。それは完全無欠な人間という高尚すぎるイメージに立脚し、人間に必ず付きまとう病というものを、人間存在の一部であるはずの病というものを、初めから排除すべきものとみなす誤った価値観に基づく表現だからだ。闘ったところで病は消えて無くならない、共存し、共生し、それが自分の体の一部であることを受け入れつつ、新たな条件下でできるだけスムーズに生きていく術を模索すべきなのだ。

そんな観念論的想像は、散文的な、あまりにも散文的な現実の前で、数時間も続かなかった。ぼくは色々なところへ電話をかけなければならず、痛む喉と嗄れた声で説明、謝罪、依頼、感謝をした。電話のたびに、想像の中にある母は薄れ、現実にいるぼくの連絡を待つ、俗世間に侵襲された高齢の婦女に戻って行った。もちろん歩くぼくは、とっくの昔に時間のなかに埋れ、もはや消える寸前だった。

だからぼくはこうして書くことにした。記憶から消えたものを少しでも救い出そうと。そして、今のところ一方通行の時間に、少しでも逆らうためのヒントを得ようと。

と、とりとめなく書いてきたが、急になにかが降りてきた気がした。記憶から消えたものを少しでも救い出し、一方通行の時間に、少しでも逆らうためのヒントを得ること、このことを、卯年のぼくの使命としよう。

(了)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?