見出し画像

異国から異国へ(幕間狂言2、記憶喪失)

記憶喪失

2000年の夏、鄭州外国語中学校高等部の始業式の1ヶ月ほど前、入学予定の学生たちは、市内にある「解放軍砲兵学院」という軍事学校へ連れて行かれた。中国の高校、大学の必修科目である軍事訓練を受けるためである。

軍事訓練とは言うものの、さすがに実弾射撃したりすることはない。隊列、行進、起床、整理整頓の練習を繰り返しやらされ、食事やトイレまでも「ルール」を守って行う寮での共同生活を1週間過ごすものである。当初は学生が管理されることに慣れさせる目的もあったと思われるが、軍人さんも忙しいと見え、ばりばりの将校が学生の指導にあたることはなく、担当教官は大抵20歳以下の新米兵士である。入隊2年未満の彼らは、ぼくたちと同じ、暇さえあれば遊び倒したいお年頃の男の子である。その結果、女子にはからかわれ、男子とは先輩後輩のようなズブズブの関係になることが多く、「軍事」という言葉の物々しさはなく、かなりきつい部活の合宿のような感覚である。

そんな軍事訓練初日の朝、ぼくは父と一緒に砲兵学院に向かい、門のところで荷物を受け取り、「じゃ、1週間後に」と別れた。照りつける太陽の下、久しぶりに会う日本語クラスの友人と同じ班で整列し、ほかの班の列に旧友の姿を見つけ出しては、ウインクしたり合図したりした。

ーーもっとその日のことを書きたいが、残念ながら、記憶はここまである。

その次の日や、軍事訓練の一週間のうちに覚えていることはいくつもあるが、初日だけは、門に入った後と整列のシーン以外は、なにも覚えていないのである。「忘れただけだろ?」とあなたは言うかもしれない。違う、そうではない。忘れたことを思い出そうとするとき、ぼくの場合は、頭の中でもやもやとしたイメージが漂い、正しいものを掴み取ることが出来ないもどかしさに囚われるが、軍事訓練の初日は全く違う。イメージなどまったくなく、なにもない漆黒な真空が広がるだけ、記憶のきっかえになるようなものさえない。あの日の午後から次の日の午前までの出来事は、ブラックホールに吸い込まれるかのごとく、ぼくの脳からすっぽり抜け落ちたようで、おそらくそれは、これまでの人生で唯一経験した記憶喪失だろう。

記憶喪失の原因は簡単だ。初日の午後の隊列の訓練のとき、気をつけの姿勢を30分保ったぼくは、猛暑のために意識を失って転倒し、頭を打ったからだ。

「横で『ドン!』と大きな音がしたと思って見てみたら、おまえが倒れてたんだ。顔に全く血色がなく、目はギュッと閉じていた。オレ、おまえが死んだかと思ったよ。教官はすぐに脈を測り、人中を強く押しておまえを起こそうとした。かすかに目が開いたのを見てから、木陰におまえを移動させ、そのまましばらく休んでいたさ。」

次の日の午後に、隊列のとき横にいたシンくんが述懐してくれた言葉だ。当然なにも覚えていないぼくは、「本当?」と疑念を呈しながら、心のなかでは本当だろうと認めていた。その言葉は、昼食時に起きた出来事を完璧に説明してくれるからだ。

軍事訓練では、炊事に使った鍋を洗うのも学生の仕事である。その日はちょうどぼくの当番になり、50人分のご飯が作れそうなサビだらけの大鍋をヒーヒー言いながら擦っていると、背後から女の子が近づいてきた。

「ねぇ、あんた大丈夫?倒れたって聞いたけど。」

振り返ると、ショートカットに眼鏡の女の子がいた。深刻そうな表情は本当に心配してくれているようだが、ぼくは感謝感動というより、戸惑った。

「えっと…どなたですか?」
「ふぇっ?」
「いや、お名前は?ぼくのこと、知ってるんですか?」

あからさまにショックを受けた相手は、今にも泣き出しそうになって去っていった。何だったんだと首を傾げながら洗い終わり、寮に戻ってさっきのことを伝えると、女の子の特徴を聞いた仲間から驚きの声が上がった。

「どなたですかっておまえ、それ中学校んときおまえと隣席の萌ちゃんだろうが!結構仲良かったじゃん!覚えてないの?」
「ああ、萌ちゃんなら知ってるけど、そんな顔だったっけ?」
「重症だなこりゃあ……」
「重症ってなにが?」
「それも覚えてないのかよ!!」

心配した誰かが教官を呼びに行き、ほどなくして、身長190cm近くある日焼けした大男が入ってきた。

「オレのことは覚えてるか?」
「教官です。」
「名前は?」
「……」
「自分のことは覚えてるか?」
「たぶん大丈夫かと…」
「じゃ、今からオレがおまえの個人情報を言うから、合ってたら『はい』、間違ってたら『いいえ』だ。いいな?」

なにを言っているんだろうこの人は。昨日会ったばかりなのに、ぼくの個人情報なんてなにも知らないだろう。こんなことして意味あるのかなと思いながらも、一応うなずいた。

「よし。じゃ、早速だが、おまえは子供の頃、日本にいたな?」
「えっ?なんで知ってるんですか?」
「次、日本にいたのは、4年間だな?」
「えっ?えっ?」
「日本に行ったのは、お父さんが向こうの大学で研究するからだ。そうだな?」
「いやいや、ちょっと待って下さい!なんで知ってるんですか?誰かが教えたでしょう?」

そう言って周りにいる日本語クラスのメンバーを眺めたが、彼らもぼく同様、「なんで知ってるの?」と驚いている。教官はといえば、にやにやしてぼくを見つめ、「誰からも聞いてねーよ。おまえが教えてくれたんだよ」と言った。

「ぼくが?そんなことしました?」
「昨日の午後、おまえが目を覚ました後、一緒に運動場を何周も歩いたんだ。そのときにおまえの記憶を確かめるために、同じことを繰り返し聞いたさ。受け答えを見て大丈夫だと思ったんだが、なんだ、そのこと自体覚えてないのか?」

もちろん、覚えていない。映画のように頭痛がすることはないが、思い出そうとすると漆黒の空間が広がるだけで、なにもわからないのは、正直不気味な感覚である。茫然として首を振るぼくを見て、教官はそれ以上からかうことをせず、「まあ、友人のことは覚えてるから、大丈夫だろう」と能天気に言い、ぼくたちを運動場につれて行き、午後の訓練を開始した。

本当にこの状態で訓練するのかと、整列する同じ班の仲間を見て、ぼくは不安になった。昨日やったことはなにも覚えていない。ほかのみんなが1日分練習したのを、ぼくはどうやって身につければいいのだ。なにより、自分の身体は本当に大丈夫か、病院へ行ったほうがいいんじゃないのかーー

「気をつけ!」

そう教官の声が轟いた瞬間。ぼくの身体は言うことを聞かなくなった。背筋はピンとまっすぐ伸ばされ、足はかかとが独りでにぴったりとくっついた。胸は張り、顎は引き、丹田には力が込められる。親指以外の指四本はくっつき、中指はズボンの脇線に当てられ、親指の先は人差し指の第二関節の側面に添えられている。それはそれは完璧な気をつけ姿勢を、ぼくはほかのみんなと同様、寸分の狂いなく一瞬で取った、いや、取らされたのである。

「よーし!張もいいぞ!覚えてるじゃないか!」

覚えているわけじゃない。今でこそ姿勢の要点を説明できるが、それはその後の数日間で繰り返し叩き込まれたからだ。あの瞬間のぼくは、全くなにもわからないまま、ただ身体の素直な反応に任せていただけであった。肉体のぼくはゾンビのように昨日の午後から蘇り、時間を巻き戻して転倒寸前の姿勢を維持しようする。精神のぼくは完全に肉体の制御を失い、自分がどういう姿勢を取っているのかが手にとるようにわかるのに、指一本動かすことさえ出来ないのである。

「休め!」

その声で、ぼくの身体はようやく開放された。人知れず足の親指を動かしてみて、これが確かにまだ自分の体だと確認する。これが、「体が覚えている」ということだろうか。いや、そんな生易しいものではない。一瞬ではあるが、たしかに、ぼくの肉体は精神を凌駕したのである。その感覚は山下泰裕が痛みに耐えて金メダルに輝くような感動ではなく、むしろ、人間の理性を信頼するぼくに戦慄を覚えさせた。全員が大粒の汗をかいていたが、ぼくだけは猛暑もなんのその、冷や汗で背中をびっしょり濡れさせていた。

幸い、その後の数日間で倒れることはなく、むしろ初日に倒れたためにぼくの班だけ訓練が緩くなるという塞翁が馬の状況も発生した。訓練でやったことはしっかりと覚え、教官の名前が「とんかつ」と同音で爆笑したことも思い出した。一週間後には、ほかのみんなと同様、汗臭い軍服を脱いで私服で帰宅し、ドアを叩いた。

しかし、誰も出ない。おかしいな、息子が帰ってくるとわかっているのに、なんで誰もいないんだ?さらに力強く叩くと、お向かいさんのドアが開いた。

「あら、張くん、帰ったのね。お父さんは今日急な会議が入ったから、時間通りに戻れないってさっき家に電話してきたよ。だからお母さんが帰ってくるまで家で待ってて。」

階段に座って待つことも覚悟したぼくは、おばさんの親切な言葉に素直に甘えることにした。待つ間にお茶とお菓子も頂き、母が帰ってくると、「ありがとうございます!」と丁寧に頭を下げた。「いいのよ、また遊びに来てね!」とおばさん。ぼくは心から感謝し、母と自宅に入るなり、ずっと疑問に思っていることを聞いた。

「向かいのおばさん、なんて名前だっけ?ああいう顔してたっけ?」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?