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猫がいても一人

寒くなると、部屋で育てているガジュマルの成長が鈍化する。
植物はどれだけ葉っぱを落としたり、その命が死に近付こうとも、
それを痛いとも苦しいとも言わないで死ぬときも遺言を残さないところがいい。
いい一生だったよとか、もっと水が欲しかったとか、そう言うことを伝えてこないから好きだ。


2ヶ月ほどまえ、突如としてうちに引き取られたキジトラの猫は、元の飼い主からの愛情を一身に受けたばかりに他の兄弟にいじめられ、傷だらけの状態で迎えられた。
この子に本物の愛を見せてあげると、母は早々に決め台詞を言ったが、猫が1、2週間ほど引きこもって家の中にいるのに姿を現さなかったので、一時は元の飼い主に返してしまう話まで出た。
今となっては、すっかり家族全員になついて、いろいろな声色を使って日夜自分の要求を伝えてくる。


そんな猫はガジュマルのそばにやってきてくんくん臭いを嗅いで挨拶をしたかと思えば、
踵をかえしてどこかにいってまたにゃーといった。
私は最近よく植物の世話を忘れているが、もともと強いガジュマルは、
水をたくさんやらなくても私たちが迎えた新たな家族や喧騒を暖かく見守ってくれる、気がする。
母は、飼育していたメダカを一匹、また一匹と死なせてしまった。
猫に餌をやるのがいそがしくて、メダカの餌を忘れてしまったからだ。


小さいころ、共働きだった両親のおかげで、
私は膨大な時間を抱えて昼も夜も寂しかった。
もしも、自分に弟と妹がいたならば、食事やお世話ができない代わりに、
本物の愛を注いで、片時も孤独にさせないと思っていたし、それが犬でも猫でも全然構わないからと、いくら両親にねだったかしれない。
ドラマ家なき子で、安達祐実さんと愛犬とのコンビをみて、幼ながらにこれこそが私の目指すものだと心の奥底をぐっと掴まれた。
しかし、そんな夢はいつしか忘れ去られていた。
いま、このように猫が日常にいて、こんなにも癒されているが、猫が鳴くその声の中には、構ってくれというメッセージもある。
私はすっかり大人になって、自分のやりたいことがやりたいのだ。
猫は、植物と違って、おしゃべりすぎる。
にゃーといえば、自分のやっていることを中断しないといけないし、
一緒に寝てあげたほうがいいきがして、罪悪感でいっぱいになる。
まるで私が幼いころに経験した寂しさを、猫に同じように味あわせてしまっているみたいだ。


だから私は猫をだきしめる。
だきしめると猫は、ごろごろいったかと思うのもつかの間、するりと腕の中から逃げていく。

追いかけると走って行ってしまい遠くでにゃーといっている。
私は仕方なく近寄るが、猫はもう別のことに気をとられている。

どれだけ理想を追い求めても、孤独からは逃げられない。猫も、私も。


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