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怪奇夜行〜実話怪談集〜


こちらはちょい試験的に公開していくものとなります。
仕様を変えたり、話が随時増えたり、あるいは投稿用にいじったりしていくかもしれません。  

第一話「覗き穴」


 幼い頃、祖母が珠の中を覗いてみろと言いながら、自前の数珠を貸してくれた。
 何という変哲もない木製の珠を連ねた数珠だったが、その中のひとつにだけ、珠のなかに細工がなされていた。

 若くして他界した叔父、つまり祖母にとっては息子であったが、その新盆か何かの集まりだったように記憶している。親戚も集い、私と同年代の子どもも数人揃っていた。
 親戚たちが祖母から数珠を借りて順に珠を覗いていく。祖母が言うには「中に仏様が見えたら、死んだ後には極楽に行くんだ」とのことだ。
 親戚たちは「本当に仏様が見える」とはしゃぎ、幾度となく珠を覗いていた。そうしてやがて私の手に渡されると、祖母は、おまえも覗いてみろと言う。
 木の珠の一部に覗き穴のような透明な部分が細工され、眼の前に持ってきて覗けば確かに珠の奥に描かれたものが見えるようになっていた。
 だが覗きこんだ私の眼の先にあるものは、仏様の絵ではなく、墨絵で描かれた地獄絵図のようなものだった。
「見えるでしょ」
 ひとつ下の従姉妹が言う。
 確かに見えた。しかし幾度覗きこんでも、そこには獄卒の鬼が描かれているばかりだった。
 鬼が見える。そう告げた私に祖母は怪訝そうな顔をして、私から受け取った数珠の珠を覗いた。そうして「そんなはずはない」と繰り返すばかりだった。

 歳月を経て、その時の事を祖母と話す機会があった。
 珠の中には仏様の絵が入っていて、覗くとそれが見える仕組みになっていた。だからそれ以外の絵が見えるはずはないのだ、と、祖母は言う。
 わずかな逡巡の後、祖母は改めて私に向き直り訊ねてきた。「本当は何が見えたのか?」と。そうして私が見た地獄絵図の話をすると、祖母は苦虫を潰したような顔をして、重たげに口を開いた。

「私も最近、鬼が見えるようになってしまったんだよ」

 祖母はそれからほどなくして他界した。
 お通夜の日、祖母が遺した数珠の穴をこっそり覗いてみると、こちらに顔を向けている鬼の一人と目があったような気がした。ニチャリと笑う。その手に引きずる、見知った顔によく似た肉塊をこちらに見せつけながら。

第二話「Cさんの話」

 十年ほど前に一時期交友のあった女性、仮にCさんとしておくが、Cさんは「自分には霊感がある」と吹聴してまわるタイプの人だった。
 Cさんは夜の無人となった寺社や祠に身を潜めて朝を迎えるのを好み、そうしてよく自分には古い狐の神が憑いているのだとうそぶいていた。それが事実かどうかは判然としないが、同行していた知己いわく、三峯神社にお参りした時は最初の鳥居をくぐる前に卒倒し、そのまま引き返したという。

 彼女は解離性同一性障害、いわゆる多重人格とされるものを患い病院に通っているとも自称していて、幾つかある顔の中には彼女の言う「古い狐の神」や「狐の神の従者」なども含まれていた。
 本当に治療していたかは分からない。彼女の強い妄想かもしれない。しかしそれでも、声音や顔つきが明らかにかわる事がままあったのは確かだった。
 いくつかある顔のなかで 「自分は古い狐の神だ」と名乗るCさん(仮)と夜の散歩に出た事がある。小さな公園で雑談を交わしていると、風もないのに周りの草木がパチパチと細かく割れる音がした。まるで複数人が周りを歩いているような音だ。Cさん(仮)は「この公園には子供の霊が何人もいる」と言い、不快をあらわに「静かにしろ」と、誰の姿もない闇の虚空に向けて声をかけた。その瞬間、それまでパチパチと鳴っていた音がピタリと止み、夜の静寂に立ち戻ったのだ。
 Cさん(仮)は満足そうに笑って足を組み替え、こちらに顔を向けなおす。その時の顔が女性のものではなく、男性のそれに見えたのは確かだった。もちろん、私の主観でしかないのだけれど。
 その散歩から後、Cさんとは連絡が取りにくい状態となった。彼女が言うには「狐の神と親しくしないでくれ。私は彼の嫁になるのだから」と。
 その後、Cさんは他者への傷害を繰り返したり、あるいは自傷を繰り返すようになったらしい。出先で突然暴れては卒倒し、病院に担ぎ込まれたりといったことも繰り返していたようだ。風聞するに、暴れる時のCさんは男性数人がかりでようやく抑え込む事が出来る状態だったという。

 そんな事を繰り返し、元々折り合いの悪かった親御さんからも追い出され、交際相手の元に引き取られたようなのだが、やはり自他への傷害等を繰り返した後、閉鎖病棟に入院する事になったそうだ。
 その後のCさんがどうなったのかは知らない。


第三話「影」

 私が生まれ育ったのは東北にある小さな集落だった。名ばかりの観光名所を幾つか抱えてはいたものの、どれもパッとはせず、寒々しい印象が色濃く寂れていた。

 生家は町の外れ、観光名所の一つである小さな山に囲まれていた。
 その山は当時はまだ観光地としての開発も届いておらず、訪う者も少なく閑散としていた。昼日中はやわらかな空気をたたえ迎えてくれている山は、夜ともなると近くを通る車も途切れ、ろくな街灯もなく、桜や松などの木々が山風をうけてザァザァと不穏な波音を立てるばかりの場所へと変じていた。うねる枝葉は得体の知れない生物の触手のようにも見えて、学校帰りなどにはそれに捉われないように走って帰ったり、歌いながら帰ったりしたものだった。

 私はよく森の中を散策して時間を潰していたが、山中にはどうしても好きになれない場所もあった。その一つは道路に面した場所で、そこだけ他に比べてもやけにうす暗く、空気も湿っぽく重かった。夕方を過ぎると暗澹とした空気はさらに色濃くなり影となって、時にはかろうじて女性と判るような形を持ったモノとして見える事もあった。
 その「影」はいつも同じ場所で俯いたまま立っていた。
 その場所では時折車の自損事故が起きていたが、「女性」が亡くなった事故があったかどうかは分からない。自損事故が起こるとはいえ、死人が出るような大きな事故が起きたという話はほぼ聞いたことがなく、かろうじてそれらしい噂を一度だけ聞いた記憶があるだけだ。何しろ真っ直ぐで見通しは決して悪くない道だったから。
 「影」は何をするでもなく、ただただそこに立っていた。それでも年々その影を囲む暗色は密度を増していた。
 いつか顔を上げてこちらを見るのではないかという不安があった。眼孔の無い双眸がこちらを見据え、何事かを呟くのではないか、と。ゆえに私はやがてその場所を避けて歩くようになっていた。

 私はやがて町を離れる事となり、その場所とも離れる事となった。最後のころにはありありと分かるほどの濃さを得た女性の影がそこにあり、私の他にも幾人かが同じような話をするようにすらなっていた。

 それから二十年ほどの歳月を経て、まさにその場所にお坊さんが訪れて読経していた、という話を聞いた。お坊さんはしばらく長い間その場にいたらしい。その結果どうなったのかまでは聞いていないが、直感として、たぶんあの影は今もまだ同じ場所に立っているのではないかなと思う。そうしていつか顔を持ち上げて誰かを定め、憑いていくのではないか、と。
 根拠もなくただ漠然と、そんな事を考えるのだ。

 

第四話「禁忌の沼」

 私が小学生だった頃、知り合いの家の息子さんが亡くなった。山間の小さな集落だったため、交友は無くても相互に顔は見知っているような環境だった。当時中学生だったその息子さん──A君は、友達数人で徒党を組んで少しばかりイキがっていた。

 ある夏の日、A君たちは学校をサボって遊んでいたのだという。とはいえ、近くのコンビニまで車移動で数十分を要するような田舎だ。めぼしい遊び場所と言えるような場所は、山の中や、自転車でしばらく行った先にあるバッティングセンターぐらいなものだった。

 その日彼らは山中にある沼近くで遊ぶ事にしたのだそうだ。
 持ち寄った菓子類を食べながら遊んでいた彼らは、ひぐらしが鳴き始めた時間になり、そろそろ解散しようかという段になって、そこにいるはずのA君の姿がない事に気がついた。しかし彼らはA君はいつものように先にフラッと帰宅したのだろうと、さほど気にせずにめいめい帰宅して行った。
 事実、A君は一度帰宅していたという。夕飯を食べ、風呂も済ませた後、夜の内に彼は再び姿を消した。そうして捜索の結果、数日後に例の沼地の中で遺体となって見つかったのだ。
 その沼地はひどく浅く、子どもの足首辺りまでしかない場所だった。底に泥が溜まってはいるが、それでも決して深くはなかった。その中でうつ伏せで横たわり死んでいた彼の死因は知られていない。ひどい有り様だったと風聞した記憶はある。

 ところで、その沼地は近寄ってはいけないとされていた場所だった。冬は雪に閉ざされるが、夏になると怪しい女が現れて手招くのだという。見初められるとその女との淫靡な経験を果たした後に沼に沈められ、そのまま連れて行かれるのだという。むろん、ありがちな都市伝説的な噂でしかない。しかし事実、町の大人達は好んで近寄る事の無い、忌避された場所でもあった。だからこそA君達は遊び場としていたのだ。

 A君が実際になぜ亡くなったのかは分からない。けれども、私もその沼地近くを通った時、口笛のような音を耳にした事がある。やはり夏の夕方、ひぐらしの鳴き声が林間に響いていた時間帯だった。何かが跳ねたような音も聴こえたような気がした。
 しかし私は聴こえないフリをして、足を止めずに通り抜けた。

 けれど、もしもあの時足を止めて振り向いていたら、果たして何が見えたのだろうか、と。ほのかな好奇心は正直なところ、今現在も無くはない。


第五話「踏切」

 部活で仲の良かった先輩は先輩と同クラスの男子と交際していたが、高校を卒業した後は先輩は都市部に、彼氏は県内に就職した。それからは遠距離恋愛と彼氏が車を買ったというので、先輩はお盆休暇に帰省し、彼氏と二人でドライブに行こうという運びになったらしい。
 とは言え、デートスポットというような洒落た場所があるわけでもない。しばらく走った後、二人はどちらからともなく県内でも心霊スポットとしても有名な某山に行ってみようという話をし始めたのだそうだ。

 北国の山間にある小さな集落だ。夏は都市部に比べると幾らか暑さも弱い。開けた窓から流れ込む風の涼やかさも手伝って、二人はすっかり盛り上がり、怖い話をする事に興じていた。

「そういえば山に行く途中に踏切りがあるんだって。そこがヤバいらしいよ」

 彼氏が述べた話に先輩は軽い返事をした。その返事の軽さが気に入らなかったのか、彼氏は「今から行ってみよう」と言い、そのまま現場に車を向けた。
 現地に着いた時はまだ昼過ぎだった。踏切の辺りは民家もまばらで田んぼや空き地が広がっていた。車から降りる。半袖の肌をジメジメと汗が広がっていく。
 古い単線の線路だ。脇に花や缶ジュースがあった。列車の往来も滅多に無い。こんな場所で事故も無いだろう。彼氏はにじむ汗を拭いながら缶ジュースを軽く蹴飛ばした。先輩が気付いた時には缶は鈍い音をたてて路傍に転がり、中から液体と共にぞろりと蛆のような虫の群れが這い出てきた。

「ねぇ、良くないよ」
 先輩は諌めたが、彼氏はヘラヘラと笑うばかりだったという。

 それから再び車を走らせたが、彼氏は目的地としていた山に向かう方ではなく、道を外れ、山の中へ中へと向かい出した。先輩が声をかけても「平気平気」とヘラヘラ笑うばかりで会話がならない。怖くなり、先輩は大きな声で「やめてよ」と怒鳴りつけたのだという。
 その時、彼氏が何事かを叫びながらブレーキを踏み、来た道をバックで戻り出した。やがて山を抜けて公道に戻ったが、彼氏はそれから口の中で何かを呟くばかりだった。

 その後諸々の事情があって別れたそうだが、別れた後彼氏は先輩に振られた事を理由に灯油をかぶり自死したのだそうだ。自死した現場は自宅から離れた場所──向かう予定としていた山の近くの、あの線路踏切の傍だった。

✴ 

第五話「行進している」

 Aさんはその夜、S県の某所で車を走らせていた。
 深い森の中を貫く形で長く伸びる公道で、当然だが両脇は鬱蒼とした森で挟まれていた。とは言え、時おりすれ違う車も無くはなく、しかも年に数度は走る機会のある道路であったから、Aさんは何という事もなくのんびりとハンドルを握っていたという。

 その森は一般に自殺の名所としても知られる場所であり、鬱蒼とした樹木やそれらが落とす陰、あるいは自殺の名所として名を知らしめているがゆえの影響か、確かに空気はどこか重々しくも感じられるような気がする。しかし夜とはいえ二十一時をまわったばかりの時間帯だ。思い出したようにすれ違う対向車の明かりが、ふと思い出したように浮かぶ怖さを忘れさせてくれる。コンビニがあったら買い物しよう。そんな事を考えながら、Aさんはふと視界の先に見えた何かに気がついた。

 闇の中に薄白く浮かぶそれは、右の森から出てきて道路を横切り左の森の中に消えていく。動物だろうか。わずかに速度を落としながら走る。しかし視界の先を横切るそれは、断続的ではあるが次第に数を増やしていた。
 動物の横断を連想して、Aさんは車を止めた。
 道路の右側から白い何かがぞろりと現れた。先ほどよりは明瞭に見えるようになったそれが何であるのかを確かめて、Aさんは小さな悲鳴を口にした。

 薄白く浮かぶそれは人間だった。いや、人間に似た何かだった。白い影のような、モノクロ映画の映像のそれがまるで行進しているかのように森から出てきて道路を渡り、森に消えていくのだ。

 はやくこの場を離れなくては。咄嗟に考えてハンドルを握る。そうしてゆっくりと車を走らせて、白い何かの列が途切れた瞬間を見計らって一気にアクセルを踏んだ。横目に、白いものがいくつか、窓のすぐ向こうにいるのが見えた。

 どうにか通り過ぎたところで、車を走らせながらバックミラーを覗きこむ。
 道路の上、Aさんの車を見送るように、白い何かがいくつか立ち止まり、こちらを見ていたという。



第六話「贄の務め」

 その集落は比較的最近まで「村」とされていたが、近年最寄りの町と合併した。住所からは「村」という記載は無くなったが、環境的にはそれまでとさほど変化のない場所だった。

「何年か前にデカいスーパーが出来たんだって」

 高校卒業後、都心に就職したAさんは言う。

「でも店長さんが店の中で首吊って死んで、それからすぐに潰れちゃったって」

 ほどなく建屋には新しい店舗が入ったが、それもすぐに撤退したのだそうだ。Aさんいわく「オーナーが駐車場でガソリンかぶって火をつけて死んだの」だと言う。
 私が、彼らの死は何が原因だったのかと訊ねると、Aさんは携帯をいじりながら続ける。

「あそこは村の入り口だから」

 その村は山の麓にあり、近隣の町は小さいながらも湯治の場として密かに知られていた。その影響もあって村を通りかかる余所者も多く、かつて、中には病をもたらす者や狼藉を働く者もいたという。
 村の者たちはそれを「厄」と呼んで厭い、その厄を村に入れないようにするための手段を村の拝み屋に問うた。拝み屋は応えた。

「村の入り口に贄を住まわせ、厄を贄に負わせるといい」

 それから村の者たちは村の入り口に小さな家を建て、湯治で訪ってきた余所者を住まわせるようにしていたのだという。

「うち、母親は元々村の人なんだけど、父親は母親が町の飲み屋で働いてたときに引っかけた余所者だったらしくて。それから母親が他に男作って逃げてから、おじいちゃんが新しく家建ててくれたんだよね。あの場所に、余所者の父親とうちらのために」

 Aさんは淡々と話を続けている。

「父親はアル中になったけどしばらくは生きてたし、姉が行方不明になった後は私が殴られてた。正直、はやく死なないかなって思ってたけど、私が高校出るちょっと前に首吊ってね」

 ザマアミロって思ったよ。

 その時になってようやくAさんは携帯をおろし、顔を上げた。痩せた頬、ツヤのない肌。メイクはされているものの、落ち窪んだ眼に光は無い。

「おじいちゃんは村に住め村に住めってうるさかったけど、学校の先生に車乗せてもらって逃げて来た。死にたくないもん」

 そう言って、Aさんはテーブルの上のケーキをひと息に食べ終える。

「うちらの家は無くなって、入れ替わりにスーパーが出来た。これからも何かしら店舗は入るだろうし、ちょうど良いんじゃない?」

 カ、カカ。Aさんは面白そうに笑う。しかし眼光は深い暗色をたたえたままだった。

 

第七話「追ってきた」

 Kさんは昔池袋の某病院で夜勤シフトメインで働いていた。結論から言うと彼女は後年自死を選んだのだが、これはまだ彼女が生きていた頃に聞いた話。

 ある年、とあるビルから女性が投身自殺した。ご遺体はKさんが働いていた病院に運ばれたが、とても酷い状態だったという。幸いにも、という言い方は不謹慎かもしれないが、Kさんは別の仕事があったため、あまり接する事なく済んだらしいのだが。
 しかしKさんはその後出勤するたびに妙な音を聞くようになった。深夜の病棟巡回中、一階に戻って来るタイミングで、窓の外でドスンという音がするのだという。窓を開けて確認するもそこには深夜の闇があるばかりで何も無い。それを数日繰り返した後、今度はドスンという音の後にズルリズルリと何かを引きずるような音がするようになった。Kさんはその音を聞いた時、何故かあの時の投身自殺をした女性を思い出したらしい。あの酷い状態だったご遺体と目が合ったような感覚を覚えて身を震わせたのだ、と。

 ズルリズルリという音は日に日に窓から遠く離れていき、やがてドスンという音も聞こえなくなった。彼女も次第にその音の事を忘れていった。
 しかしある夜の休憩中、眠気覚ましに外の空気を吸おうと病院の出入り口から外に出ていたKさんは、耳の端にズルリズルリという音を捉えてしまった。視線を向けた先に見えたのは、潰れた身体を引きずりながらこちらに向かって来ているあの女性の姿だった。

 Kさんはその後その病院を辞め、自宅に引きこもるようになってしまった。
 なんとなしに、彼女の様子が気になった。最初の内こそ自宅を訪ねていけば笑顔で迎えてもくれていたが、それも次第に回数が減り、やがて電話も出なくなってしまった。

 まだ話を聞けていたころ、私が彼女から聞いたのは「部屋の窓の外で音がするようになってしまった」という話だった。彼女は薄く笑みながらタバコを忙しなく吸い、ボソボソと口を開いて続けた。
「追いかけてきたんだ」と。

 その後、Kさんは自宅の近くにあるビルの屋上から身を踊らせた。奇しくも彼女が恐れていた女性と同じ手段での自死だった。
 遺書も何も遺されておらず、Kさんが何故痛ましい最期を選んだのかの理由は定かにはならなかった。

 彼女の死から二十年は過ぎたが、今こうして改めて思い出してみても、私には、Kさんが病院で体験したという話と彼女の自死との間には、やはり何かしらの因果関係があるように思えてならないのだ。もちろん、その真偽を知るすべはない。



第八話「俯く人」

 私は東北の小さな集落で生まれ育ち、物心つく前から山や森に近く暮らしていた。
 冬場は雪で覆われてしまうが、標高はさほど高くはない。子どもの足でも、数十分も登れば集落の向こうにある町までを広く見下ろすことの出来る丘に着けるような環境でもあったため、私はちょくちょくその丘に行っていた。
 針葉樹と広葉樹からなる混合林で、落葉の積もる土壌はところどころに小さな沢もあり、湿った感のある場所だった。とは言え、クマやイノシシといった動物に関する目撃事案も特に報告の無い場所でもあり、私は警戒する事もなく野山を歩きまわっていた。

 しかしある日、私に懇意にしてくれていたものがこう告げてきた。
「陽が沈んだら山に来てはいけない。そして、山中でずっと同じ場所から動かず俯いたままの人がいたら、近寄らずすぐに離れなさい」
 それがどういう意味を持つのか、私には長く分からなかった。そもそも、山菜採りに来る人もちょくちょく見かけられる場所なのだ。そういう人は俯いていたりしないだろうか。気にする必要もない話だ。その話はよくよく聞かされたが、さほど気にすることもなく流すように聞いていた。

 ある時、私はいつものように山に遊びに行った。その日は自宅から近いいつものルートではなく、むやみに広く作られた駐車場から入る散策用のルートにした。あずま屋があったりするハイキング用の道だ。
 天候はあまり良いとは言えず、針葉樹の葉陰による薄暗さが増していた。
 まだ夏の時期で、夕方より少し前だった。ひぐらしこそ鳴きだしてはいたが、いつもならばまだ明るいはずの時間帯だった。私はひと休みしようとあずま屋に足を向けた。そうしてあずま屋に向かう階段に足をかけてすぐに、言い知れぬ違和感を感じて歩みを止めた。

 あずま屋の横の松の木の下に人がいる。小さく揺れながら、俯いたまま立っている。

 雨が降り出してきた。周りの枝葉にパタパタと当たる。風が冷たくなり、半袖の手先がヒヤリと冷えていく。

 あずま屋の横の人は動かない。俯いたまま、やはり小さく揺れている。

 あれは
 あれはたぶん、生きている人ではない。

 そう思いついた私の脳裏に、ふと、小さな頃から言い含められてきた言葉が浮かび上がった。

「陽が沈んだら山に来てはいけない。そして、山中でずっと同じ場所から動かず俯いたままの人がいたら、近寄らずすぐに離れなさい」

 初めて理解出来たような気がした。
 私は階段から下りて踵を返し、一気に走った。後ろは振り向かなかった。そうして駐車場まで戻り、ようやく足を止めて振り向いた。雨雲が広がる重々しい暗さの中、パタパタと降る雨の音にまぎれてひぐらしが遠く近くで鳴いていた。

 余談ではあるが、その日私があずま屋に向かうより数日前に、あずま屋の横で首吊りした人がいたらしい。発見された時には既に亡くなっていたとの事だった。



第九話「憑いている」

 ある日の夜、友人らとの約束に向かい電車で移動している最中、座席に座る若い男性を目にして驚いた事があった。

 平日という事もあってか、座席はすべて埋まっていた。つり革に掴まり立っている人も多かった。私はドアのすぐ近くに立ち、その男性に目を向けた。
 男性は若い女性の膝上に乗り座る格好だ。男性を自分の膝に座らせている女性は男性の背中から腕をまわす格好でベッタリとくっついていた。そうして抱きつきながら男性の顔に自分の顔を寄せつけて、かなりの至近距離から男性の顔を覗きこんでいるのだ。

 この乗車率の中でベタベタするってすごいな、と思いながら目を逸らし、しかし違和感を覚えてすぐにまた男性に目を向けた。
 男性はイヤホンをつけて携帯をいじっている。手にはT県の観光名所の紙袋を持っていた。旅行帰りなのだろう。確かに大きめなバッグも足元に置かれていた。そうして、やはり女性は男性にベッタリと張りつき男性の顔を覗きこんでいる。周りにいる他の人間にはまるで関心ないようだった。

 私はさらに気が付いた。男性は女性の膝上に座っているのではなくシートに座っている。決して女性の膝の上に座っているわけではない。そうして、男性はおそらくは一人で行動しているのだ。ゆえに、女性は男性の意にかかわらず、不自然な形で男性の背にくっついているのだ、と。そう、たとえるならばおんぶの体勢だ。

 T県のその観光名所は自殺の名所としても知られている。思いついたとき、私は何となく理解した。
 女性はおそらく男性に憑いてきたのだ、と。何がきっかとなったのかはわからない。もしかすると単純に女性の目を惹いたのかもしれない。あるいはもっと他の要因があったのかもしれない。
 その後私は電車を降り、男性はそのまま電車に乗ったまま過ぎて行った。やはり男性の顔を覗き込む格好になっている女性を背負いながら。
 男性がその後どうなったかは、当たり前だが私が知るはずもない。



第十話「仏壇の引き出し」

 生家には小さな仏壇があり、横に広い形の引き出しがついていた。その引き出しを開けると中には本が入っていて、それを見つけてからは親の目を盗みつつ手にして広げていた。
 それは幼い子どもであった私の手のひらほどの大きさで、頁数は少なかった。和装本であったのは憶えているが、表装は記憶していない。一枚の紙をつづら織りにしたようなものだったかもしれない。
 
 黄ばんだ紙に、墨絵で鬼と人間が描かれていた。
 いわゆる地獄絵図というものだったと思う。地獄の獄卒から責苦を受けて苦しむ亡者の絵だ。流血箇所だと思うが、ところどころが朱で塗られていた。
 私はそれを見るとたまらなく恐ろしい気持ちに囚われ、見るたびに身を震わせた。自分もいずれこうなるのだろうかと考えると怖しかった。それでも何故かたびたび引き出しを開けて手にしては、飽きもせずに頁を開くのだ。

 歳月を経て成長するにつれ、私はいつしか引き出しの事も忘れてしまっていた。が、ある夏の日にふと思い出し、そういえばあれはどんな本だっただろうか、と気になった。また久しぶりにあれを見てみようという気持ちになり、そうして仏壇に向き合った私は、そこにあったはずの引き出しが無い事に気がついた。
 幼い頃に幾度も開いた引き出しがない。仏壇を買い換えたということはなかったはずだ。しかしそもそも引き出し自体が存在していないのだ。
 であるならば、幼い私はどこからあの本を取り出していたのか。いや、そもそもあの本は存在していたのか。しかし私は確かにあの本を手にしていたのだ、しかも一度や二度ではない。比較的に頻度高く引き出しを開けていたはずだ。あの恐ろしい地獄の責め苦を描いた本。

 今でも不思議に思う出来事のひとつであることに変わりはない。



第十一話「観客」

 映画館で働いていた事がある。
 業務はチケットのモギリや、観客が引いた後の劇場内の清掃等だった。観客が一人でもいれば、上映後の清掃は必要だ。その日もわたしは清掃用具を持ち、エンドロールが終わり場内が明るくなるのを控え待っていた。

 その時の上映タイトルはホラーで、お世辞にも売れているとは言い難いものだった。その回も観客は一名こっきり。間違いなくチケットは一枚しか売れていなかった。

 明るくなった場内からおっかなびっくりしながら出てきたのは四十代ほどの男性で、廊下で私と出会うと驚いて飛び上がっていた。

「いや、怖かったよ」

 男性はそう言って笑った。

「ホラー映画なのに俺しかいないのかと思って、さすがに怖くてさ」

 そう続けた男性からゴミを受け取りながら、私は「ん?」と首をかしげた。男性はよほど怖かったのか、ひとしきりそこで私に話しかけた後に満足そうに帰って行った。

「俺しかいないのかと思ったけど、もうひとり客がいたからちょっと安心した」

 その言葉に違和感を持ちながら劇場内に入ってみたが、やはり他に人はいない。他の映画を観た人がそのまま別の劇場内に入る事例は確かにある。しかし私はエンドロール前に待機していた。が、出てきたのは男性だけだった。では、男性が見ていたもうひとりの観客とは誰だったのか。

 同じような事例はその後も幾度かあった。いずれもチケットが一枚しか売れていない時だった。

「ああ、たまにあるよ、そういうの」

 何気ない雑談の中でそれを話題に出した時、マネージャーが事もなさげに肯いた。

 いわく、営業終了後に新作のフィルムチェックをしている時など、やはり誰かがシートに座っているのだという。性別や年頃や顔も姿も分からない、でも確かに誰かがいる。
 それも何回か繰り返す内に慣れたんだけどね、と言って笑った。

「でも映画好きに悪い人はいないと思うから大丈夫だと思うよ」

 根拠も無くそう続けたマネージャーに、私は肯かざるを得なかった。
 ただ、個人的に気になる事がある。同席する"彼ら"に関する目撃話はなぜかホラー映画の時に集中しているのだ。
 ──霊的な存在はホラー映画が好きなのだろうか? 
 転職してしまった今となっては、その後どうなっているかを確認する事は出来ないのだけれど。

 



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