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【映画『カラオケ行こ!』】青い春は、スポットライトに照らされて


映画『カラオケ行こ!』を観たよ

映画『カラオケ行こ!』ポスター

 土砂降りの土曜日の朝8時、私は映画館にいた。
お目当ては、映画『カラオケ行こ!』
 このnoteでは映画『カラオケ行こ!』の感想を熱量そのままに書いていこうと思う。ネタバレが含まれるため、まだ観ていない方はまた今度会おうね!

真綿のような14歳という時期に

 原作『カラオケ行こ!』と映画『カラオケ行こ!』の違いとして、より映画の方が聡実の変声期への向き合い方の変化が描かれていた気がする。

 「2人が今出会った意味はここにあるのだな」と思ったのは、聡実と狂児が屋上で南銀座の町を見下ろしているシーンだ。うろ覚えで申し訳ないのだけど、聡実が「変声期を迎えてしまったからボーイソプラノが今までみたいに綺麗ではなく汚くなってしまうかも」と言い、それに対して狂児が「汚いものがダメだったら、この町(=南銀座)は消えちゃうよ」みたいなこと返すところがある。

 美しい声で、正しい音程で歌ってきた聡実に「綺麗ではないことや、はみ出していることは決してダメなことではない」と説教がましくなく教えてあげられるのは狂児だけであったと思う。真綿のように何でも吸収する14歳のこの出会いは、彼の今後の人生に「寛容さ」や「ゆとり」など丸みのある考え方を与えた気がする。

あの日々は都合の良い夢なんかじゃないよ

 原作と映画ではラストは異なる。
 映画には、聡実が『紅』の英語歌詞を和訳してあげるシーンがある。ここで聡実が和訳してくれたことによって『紅』がどんな歌なのかを観客は理解することが出来る。このシーンはラストに大きな役割を果たす。

 人生最後のボーイソプラノを捧げたあのカラオケ大会の日以降、連絡が取れなくなった狂児を惜しむように聡実が思い出の地を巡るシーンで『紅』の英語歌詞の和訳が流れる。

 「When I had looked at the shadows on the wall, I started running into the night to find the truth in me.(壁に映る幻影を見たとき、自分の中に宿る真実を見つけるために夜に駆け出した)」は思い出の地を巡る聡実の行動とリンクしており、「All of you in my memory is still shining in my heart.(記憶の中の君は今も心の中で輝いている)」は狂児の名刺を見つけて彼は幻影なんかではなかったと確信する部分と重なっている。

 出会うはずのなかった2人のひと夏は、現実と思うにはあまりにも刺激的で、幻想的で、夢のような時間だったのだと思う。でも、あの日々は君たちがちゃんと積み上げたものであり、決して一瞬で醒めてしまうような夢ではない。映画館にいた私たちが生き証人になるよ!

コンテンツ紹介:あいみょん『双葉』

 私的な映画『カラオケ行こ!』のイメージソングは、あいみょんの『双葉』である。この曲は、あいみょんが日本全国の18歳世代の喜怒哀楽が詰まったメッセージからインスピレーションを受けて書き下ろした曲。

 映画の狂児からは、1人の大人としてまだ14歳の聡実を温かく見守る目線が感じられた。『双葉』の歌詞には、聡実の元を去った後も、変わらず彼の健やかな成長と光に満ちた未来を願う狂児の姿が想像できる。

 映画には3年後の聡実の姿は登場しない。きっと名前通りの素敵な男性になっているだろうけど、その過程で悩むときもあるだろう。そんな時は歌詞にある「君の夢の中へ 遊びに行くからね 心の傷も酷い言葉も 受け止めてあげるぞ」のように狂児が夢に出てきて、ヘラヘラとした笑みと軽口で慰めてくれてたらいいな。

 今日もここまで読んでくれてありがとう!
またね!

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