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いつもの店、いつもの人

長い長いエスカレーターに揺られ、下北沢の改札を抜けると、パラパラと霧雨が降り注いでいた。傘をさすか迷うくらいの弱々しい雨なので、傘は閉じたまま、オオゼキの方に歩き出した。すれ違う人々の服装には程よいゆるさがあって、ああ、下北沢だなあと思った。

この街にきたのは19時から上映の映画を観るためだ。金曜日に有給を取ったはいいものの予定があるわけでもないし、最近友人とも疎遠なので単独行動である。ここ1年くらい、人と会う機会がめっきり減ったせいか、感情が固まりかけている。体育の自由時間に、周りのクラスメイトが次々にペアを組んでいくのに自分だけ相手が見つからない時のような、どこにも居場所のない不安が常に胸の片隅にある。

上映までしばらく暇があるので、時々行くカフェで時間を潰すことにした。古本屋の隣にある、こじんまりした赤茶色のビルの階段を登り、2階のガラス戸を前に開けると、木目調のカウンター席に案内された。アイスコーヒーを注文し、ぼんやりスマホを眺めていると、カラカラと気持ちの良い音が耳元に聴こえた。ミニサイズのピッチャーに入れられたガムシロップと、ミルクが2個付いている。

ふと、以前もアイスコーヒーを注文した時、ミルクを3個渡されたの思い出した。コーヒーはブラックで飲むから必要なかったけど、未使用のミルクが捨てられるのはもったいない気がしたので、その時は2個だけ使用したのだった。

ところが今日、テーブルには2個のミルクが置かれている。店長に「ミルク2個のお客さん」として顔を覚えられたのかもしれないと思ったら、些細なことなのにとても嬉しくなった。グラスにミルクを注ぎながら、じんわりと胸に温かいものが広がっていくのを感じて、思わず頬がゆるんだ。

外に出ると霧雨は止んでいて、道路脇の街灯がぼんやりと薄闇の街を照らしていた。肌寒さを感じさせる空気は、夏の終わりと秋の訪れを告げている。映画館への道を歩いていると、この街に以前よりも親しみを感じている自分に気づいた。通いたい店ができた途端、よそよそしかった景色に色がついた。またあの店でコーヒーを飲もう。今度はブラックで。


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