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見逃した映画、期限付きノスタルジー

時計の針は12時を少し過ぎている。ベッドにうつ伏せになり、ぼやけた頭でそれを眺めていた僕は、12時15分開演の映画を予約していたことを思い出し「んああ!!」と悲痛な叫び声を上げた。どうやっても間に合わない。思えば一度9時ごろに目が覚めたのに、睡魔に促されるまま二度寝してしまった自分の怠惰さにほとほとうんざりした。1900円のチケット代と、せっかく有給をとれた金曜日の予定が一瞬で無に帰してしまった。

ちなみ観る予定だったのは「サマーフィルムにのって」という伊藤万理華主演の作品で、先週も観たから、今日で二週目になるはずだった。時代劇オタクの女子高生が仲間と共に映画を作る話で、主人公の「好き」がどんどん周りを巻き込み映画作りに熱中していく彼女達の時間がとても眩しく、羨ましくも感じた。ラストシーンが解釈しきれなかったのでもう一度観たかったのだけれど、この有様である。

洗面所で顔を洗い、トーストの上にベーコンエッグを乗せて食べる。いい加減飽きたな。でも別に変えようとも思わないのは面倒くさいからか、それともそれなりに気に入っているからなのか、まあどちらでもいいか。インスタントコーヒーはいつも通りまずくて、サラリーマンの眠気を覚ますためだけに存在する忌むべき飲み物、というフレーズが頭に浮かんだ。そういえば『ノルウェイの森』のワタナベが新宿駅で飲んだコーヒーを「新聞のインクを煮たような味のするコーヒー」と称していたけれど、もしかしてこんな味のことを言うのかもしれないと思った。苦くて濃くて不味い。

窓の外は霧雨が降っていて、向かいの家の屋根瓦を黒く染めていた。映画の予定が潰れて特にやることもないので、一人がけのソファにもたれて太宰の短編集を読むことにした。文学部だった大学時代よりも、社会人になってからの方がたくさんの小説を読むようになったのは、多分、一人でいる時間が増えたからだ。思い出は頭の隅にこびりついていて、ときどき予想外のタイミングで蘇るからもうよくわからない。昼休憩から戻ってオフィスのドアを開ける前や、キッチンでニンジンとごぼうを炒めているときに、好きだった女の子のサラサラした黒髪や、笑うと一層細くなる彼女の目元が、まるで一昔前の映画のワンシーンみたいに、ぼんやりと浮かんでくる。いつか思い出すこともなくなるのだろうけれど、そのいつかが訪れるのはもう少し先らしい。

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