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自分を愛さなきゃいけないのか?

写真は地元の美味しいぜんざい屋さんです。
海が恋しい日々です。

今日は安息日なので教会に行ってきました。

教会では、神様の話がたくさんできるのでほんとにありがたいなぁと思っています。


聖書を知る前の私は、社会のモヤモヤとか、社会の行く末とか、世の中の状況に嘆いては、どうすることもできず、話の合う人も見つからず、苦しかったなぁと思います。

友達にもなかなか共感されることではないので、本音で話せる事はあまりありません。

聖書と出会ってから、神様ってすごい!聖書すごい!聖書とか神様の話をもっとしたい!

と、思うようになります。

するとやっぱり教会に行きたいなぁと思うんです。

ネット情報だけで1人で勉強しているよりも、直接会って、話ができる、話が合う人たちがいるんだと言うことを知ったときにほんとに嬉しかったのを覚えています。

そして、聖書のわからないところも先輩方に質問ができます。

私の通っている教会は、
いわゆる「教会!」みたいな感じではなく、

教会ってこんなイメージでした私は。笑


貸しスペースの一室で集まって礼拝をしている感じです。


初めて行った時に、あまりにもアットホームでとても話しやすくて、とても温かい気持ちになりました。

(過去2回他の日曜礼拝の教会に行った上で、あったかさが違いました。)

立派な建物とか飾りとかは全くいらなくて、心から神様を愛していて、神様を心から賛美している人たちが集まることが教会だと思っています。

そして、今日は交わりの時間の時に、かねてから私が疑問に思っていた質問を牧師先生にしてみました。

それは、

聖書的に自分を愛するとはどういうこと?

ということです。
先週に他の兄弟姉妹が、他者を愛することはもたろん大事だけど、自分を愛することも大事

と証をしていました。

自分を愛する?!とは。。

私は、正直、
私って私のこと愛さなきゃいけないんだっけ?

と思ってしまいました。

私は、聖書を知る前までは本当に愛が欠落していて、他の人に対して心に寄り添った行動や言動ができませんでした。

そして、よく友達に、まこは自己肯定感が低すぎるじゃない?って言われました。

なんだそれは。!

私自身は、本当に自分が信用ならないし、何をしでかすかわからないし、人の気持ちもわからないし、何のために生きてるかもわからないし、

でも、心の隠れた部分で、人をジャッジしたり、自分の方が優秀なんだみたいな、ことを思っていたと思いました。
だから自己肯定感が低いつもりは特にないと思いつつ、空っぽな性格の自分のことは嫌で、、

ということで、自己肯定感とは何か、自己肯定感を上げるにはどうしたらいいのか、自己肯定感を上げると、他の人も愛せるようになるのか、

それをわかりたいので、自己肯定感あげようキャンペーンを実施したことがあります。

自己肯定感上げ系の自己啓発本を何冊か読みました。

毎日自分と対話する、自分のことを褒める、自分の悪いところも認めてあげる、どんなこともありがとうと言う、

おーー!ぽいぽいそれっぽい!

最初は、お!何か変わりそう!
とテンションが上がるのですが、

その思考法だと、自分の悪いところ、欠点を開き直って、ありのままの私でいいやみたいな結論になり、現状維持でしかありませんでした。

性格を直したいのに、性格が治らないんです。

という過去の経緯もあり、
聖書を知ってからは、自己肯定ではなくて、
自己否定が大事なんだと言うことを学びました。

ここの自己否定とは、自己を卑下することではなくて、悔い改めるということだと思っています。

自分がいかに罪人であったかを認識して、
それを悔い改めて、
神様に前に全てをお捧げして、
神様の力で、神様に似た形に作り替えてもらうことなのだと思っています。

聖書の光が、私の間違っていた部分とかを全て照らし出してくれて、教えてくれて、何が正しいかを導いてくれます。

暗くて、寒くて、負傷して、どこにいるのかわからない真冬の山の中で遭難していた私を、

神様の光が正しい道に引き返してくれたのです。

神様が私たちのことをとんでもない位愛してくださっている。

それはわかっているつもりなんですが、
だから、自分を自分が愛する必要があるのかと思っていたんですよね。


そして今日、いろんな方のお話を聞きながら、私の中でふに落ちたのが、


神様は、イエス様の死を捧げる位、私たちのことを愛してくださっていて、救ってくださって、
それぐらい価値がある私たちの命で、私たちのことをほんとにいつも想いを馳せてくださっているんですね。

私は独身未婚なので、子供に対する思いとか、愛はまだ経験したことないのですが、
親が子供に対する思い、愛、その関係から神様が私たちに対する愛を感じることができるようにしてくださっているんですよね。

やっぱり結婚制度、家族制度ってとっても尊いとしみじみします。

それぐらい価値のある命を与えられているのだから、その管理者として、自分の健康を守ったり、自分自身が穏やかに過ごせるように努力すること、要するに、自分を大切にすることが自分を愛することなんだなぁって。
という結論に至りました。

だから、自分の身体に傷つけたり、悪いものを食べたり、自虐をしたり、そういったことをするべきではないですよね。

神様から与えられている価値のある私の命です。
それは他の兄弟たちも同じように、神様がとっても大事にしている価値のある命です。

だから、自分のことも他の兄弟姉妹のことも愛することが神様が求めていることだなぁって思いました。

だから私はよく自虐ネタ、ポンコツネタに走ってしまうことが多々ありましたが、ほんとにそんなことしたらいけないなぁと思いました。

自分の嫌なところは神様に相談して悔い改めて作り替えてもらうしかありません。

それと、ほんとに、他の人に対して、絶対に悪口や、批判の言葉はしてはいけないです。

みんな神様が思いを込めて与えている命、
どんな人も愛されています。

神様が大事にしているものを私も大事にしたいと思いました。

神様が愛している一人ひとりに対して、いつも愛を持った言動と行動ができますように。

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