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桜が咲くと気持ちが焦る

桜が咲くと気持ちが焦るなと感じます。
最近、気温は寒いけれども
日差しが明るく暖かく、春が近づいていることを感じます。
家の近くの桜のつぼみはまだ硬いのですが、着実に育ってきています。

今年の桜の開花は
本州は3月16日に愛媛県の宇和島から始まり
東京の開花は3月19日と予想されています。
平年よりも数日早いとのことです。

桜はすごく好きな花で
桜モチーフの雑貨やスイーツは素通りできないほどです。
ただ桜が咲くとなんとなく焦るというか
ほろ苦い気持ちにもなるなとも感じます。
それは気持ちが季節に追いついていないためかもしれません。
寒いのが苦手なので春が来て嬉しいはずなのですが。

咲こうとする時期は
「もったいないな、まだ咲かないで欲しいな」と思ったり
咲いたら咲いたで
「まだ散らないで欲しい」と思わさせられます。

バラやアジサイ、紅葉を見ても
気持ちの焦りというのは感じないのに
本当に不思議だなと感じます。

年末とはまた違った意味で
「私は今年1年何をしていたっけ」と考えたりもします。

ソメヨシノというのが
一斉に咲く性質があるからかもしれませんし
時間の流れの早さ、儚さを
まざまざと見せつけられるからなのかもしれません。

年々、時の流れというものを早く感じます。
ご年配の方と話した時にその方が
「右を見て、左を見たら、もう1年終わってるのよ」
なんておっしゃられていて
「いやいや、もっとたくさんのこと
 色々やっておられるじゃないですか」と言ってたのですが
なんとなくお気持ちわかるなと思います。

私自身、子供の頃はもっと時間がゆっくりと
経過していたような気がします。
SNSもないしメールもないし
情報伝達や移動の速度が今よりももっとゆっくりだった時代性
というのもあるのかもしれませんが。

子供の頃に比べて大人になった時に
時間が早く流れるということについては
時間の密度が薄くなるためということを聞いたことがあります

生まれて1日目の子の1日というのは
人生の時間と等しく
その1日の出来事が人生のすべてであります。

一方、例えば70歳の方の1日は
70年×365日の単純計算で25,550日分の1日ということになります。
たくさんある日々の中の1日ということで
どうしても印象が薄くなってしまうのかなと思います。

コロナ禍の約3年ほど
私は振り返ってみるとあっという間だったなと感じるのですが
年齢が下がれば下がるほど
その子の人生に与える影響が本当に甚大だなと思います。
小さな子供ほど1日1日の出来事が
人生に与えるインパクトが大きいのだなと思います。

大学生の頃にKUMONの丸つけのアルバイトを
していたことがありました。
KUMONをやったことがある方はご存知だと思いますが
その子のレベルに合ったプリントを選んで
各自で取り組むというスタイルで
そのプリントのすべての問題が丸になるまでは帰れません。

ある男の子が、なかなか全部丸にならないという時がありました。
どうやら非常に焦っていたためのようで
というのも彼が大好きな
レンジャーものの放送時間が迫っていたのでした。

落ち着いてやればちゃんとできるはずなのに
連続して間違えてきてしまうので
私も「大丈夫かな…」と思いつつも
間違えてきている以上×にして突き返すしかないという状態でした。

そのうちどんどん彼が半狂乱になってきて
「俺、早く帰って○○レンジャー見なくちゃいけないのに!!!
 ああ…俺の人生終わった…」と言って
ゴロゴロと床を転がり出したので
「いや、そんな簡単に人生終わらないから。
 さっさと解いて、さっさと帰って」と言っていたのですが
なんとかかんとか解いて大慌てで帰っていきました。

彼が生きてきた時間や経験の中で
今日の 出来事というのが人生終わりそうな出来事だったんだと
「面白いなぁ」と思って見ていました。

大人になるとちょっとやそっとのことで
「人生終わった」という思いをすることが減り
格段に生きやすくなるなと思いますが
一方、同じ時間を過ごすのでも
その時間から得られる何かというのが
薄まっているのかもしれないなと感じます。

(ここからの話は本当かどうかのまゆつば話です)

年齢を重ねても若々しい人がいらっしゃるのはどうしてなのかというと
こういう方たちは好奇心旺盛で
いくつになっても新しいことにチャレンジするなどの
共通点があると言われています。

同じ時間を過ごしていても
3種類の時間の感じ方があるように思います。

1つ目は
やってみたいなと思ったことを夢中になって取り組んでいる時や
好きな人と楽しい時間を過ごしている時。
こういう時は物理的に5時間くらい経っていたとしても
1、2時間に思えたりします。
つまり時間があまり経っていないというように感じます 。

2つ目は
「つまんないな、早く終わらないかな」と思って過ごしている時です。
この場合、時間が長く感じます。

3つ目は
やることが多くて1日が飛ぶように過ぎたけれども
ふと振り返って
「私、今日何してたっけ?」と思ってしまうような時間です。
これは時間が空っぽになっている
無くなってしまったというふうに感じます。

1番目の、中身が濃い時間を過ごして時間が短く感じたという場合
その人の中ではその分の時間しか経過していないと言われています。

つまり
「ああ楽しかった。
 あれ?もう5時間経ってたんだ
 1、2時間だと思ってた」と思った時
物理的時間がどれだけ経過していたとしても
その人の中では1、2時間分しか歳をとっていないとのことです。

じゃあ飛ぶように時間が過ぎたけど何してたか思い出せない
「時間が空っぽだった」と感じる場合
歳をとってないってこと?という疑問が出てきます。
その疑問に対する答えは聞いていないのですがお
そらく「時間密度」=その時間どれだけ充実していたか
ということも関係しているのではないかなと予想しています。

できたら子供の時みたいに
その時間を目一杯味わえる時間を増やしていきたいなと感じます。

そんなことを考えながら桜のシーズンは
時間の許す限りあちこち見に行きたいなと考えています。

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