文章であることの意味
表現方法は多様化していっている。
今、若年代に最も勢いのある表現方法はYouTubeだろう。
個人的な主観だが、Twitterのフォロワー数を見ていると、
YouTuberのフォロワー数は多く、テレビタレントのフォロワー数は少ないように見える。
私もYouTubeをみることがあるが、多種多様な動画があり、各個人のニーズに合った動画を楽しむことができる。
そんな勢いもあり、表現の幅も広いYouTubeという形態だが、私はnoteに文字を綴っている。
なぜYouTubeを使わないのか?
顔お出したくないなから?と考えるが、顔自体はださなくても表現できることはある。
機器がないから?スマホ1台あればライブ放送できる。
じゃあなぜか?と考えるとそれは私が文章であることに意味を感じているからなのだと思う。
文章であることの良さは、リズムが読み手の自由なことが一番なのかなと思う。
動画の場合、尺が決まっているため、作者が与えたリズムで進んでいく。もちろん再生と停止を行うことによってリズムをとめることは出来るが、それにも止めるという行為が入る。
噛み締めるように読みたい文章や、一度目を閉じて呼吸を整えたくなるような文章、早く先の文字を追いたくなるような文章。
そんな文章はいいよね。
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