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【雑感】1万人超参加:パンデミック条約反対デモ顛末記

はじめに

 私のnoteでは、1週間前から「つぶやき」にて4月13日パンデミック条約反対デモが開催されることについてお知らせしてきました。

 結果として、池袋のデモには主催者発表で2万人弱の人々が参加したようです。このデモは「打った人も打たなかった人も、右も左もない国民運動」と題している通り、老若男女さまざまな人が参加されました。
 多くの言論人も参加され、みな一様に「今日は本当に記念すべき日です」と言っておられました。

 ですがNHKをはじめマスコミはダンマリです。戦後の右寄りの人々のデモとしては破格の人数なのだそうです(主催者の人が元自衛官で、右寄りともくされています)。それでも報道しない自由を貫くって…すごいですよね。時事通信がほんのちょっと記事にして、それがYahooニュースになったようで、ある程度大勢の人が知ることになりました。

大紀元エポックタイムス(法輪功系の独立系ニュースメディア=反中共反グローバリズム)が、詳しく報じてくださっています(動画もあり)。

 写真は当日配られたシュプレヒコールのプリントです。記念品😃。

2024年4月13日 東池袋 反パンデミック条約デモ シュプレヒコールのプリント

 パンデミック条約の危険性などの詳しいところは、たくさんの発信者さん(YouTuberさんたち、Xの発信者たちなど)や有識者の方たちがご意見を出していて、すごく参考になります。ぜひぜひ検索してみて!くださいませ。

追記:noter さんでは空之まめさんの記事がわかりやすいかも。

 それでもほんの少しだけ、こちらからもパンデミック条約の危険性をお知らせするとしたら…憲法で条約を締結するには事前か事後に国会の承認が必要なことと大平三原則(条約とは名称によらず国家間の取り決めで新たな法律的な枠組み予算執行がある場合には国会の承認を必要とする)があるにもかかわらず、国会の審議も経ず、国民に内容も知らされないまま、憲法より上位の「条約」という形で締結されようとしていること。この条約が結ばれてしまえば、いったんWHOが「パンデミックだ」と宣言すると、私たちの言論の自由、移動の自由、身体の自由(ワクチンなどを打たない権利)などの基本的人権が侵害されてしまう恐れがあるのです。
 そんなことあり得ない!と思うでしょ。でもこのコロナ騒動の間、どうでした?数年間の自粛。そしてワクチンが始まる前はかえって死亡数が減っていたのに、ワクチンが始まった途端、超過死亡数が激増。mRNAワクチンはそもそも十分な臨床試験をしていない。それなのに超過死亡激増の謎について調査をしようともしない厚労省と厚労大臣。さらに利権臭ぷんぷんのJIHSの創設を決定(日本版CDCと言われています。CDC=米国疾病予防管理センターは利権の巣窟と言われていますマスコミはそうした大切な報道をほとんどあるいはまったくせず、YouTubeをはじめとするプラットフォームはバリバリの言論統制を恥ずかしげもなく敷いている(ワクチンという言葉すらBAN(アカウントが凍結され使用できなくなること)の対象です)。
 まさにチラシにある通り、

日本の主権を侵害するパンデミック条約反対!
公衆衛生の名を借りた全体主義を許すな!!

というわけです。
 ではでは私的2024年4月13日をご報告します。

当日のスケジュール

 下記のように、午前中は多くの登壇者による集会、午後は場所を移動してデモ行進という予定です。私は午前中の集会に参加すべく準備はしていましたが、若干寝坊気味で開始10分前ごろ到着。その頃にはもう、会場からあふれた人たちが大勢駅に逆戻りしていて、「ライブ配信をみよう」などと話しておられました。一応会場に行ってどんな様子かは確認しようと、歩いて数分の会場へ。会場までの歩道は人人人!みんな所在なげにガードレールに寄りかかったりしています。そういえばスマホでライブ配信を見ている人たちも多かったかも。周囲にいくつかカフェがあったので、そういうところにいた方も多かったのかもしれません。 

日本の主権を侵害するパンデミック条約反対
公衆衛生の名を借りた全体主義を許すな

午前の部:集会:牛込箪笥区民ホールにて

 スタッフの腕章を巻いた方のお話を聞くと、もう集会の会場には入れないので、デモの集合場所の案内をされていました。

無理やり!?会場で記念撮影。
ご協力してくださったスタッフさん、ありがとうございました。

我那覇真子さんの配信によると、集会が9:30開始、9:15開場のところ、早い人では7:00ごろには並びはじめ8:30には定員に達したとのことでした。配信を見ると会場まで歩道沿いに長蛇の列でした。
 案内のスタッフさんは何人もいて、みなさん丁寧で親切な方ばかり。それから会場には入れなくても配信者さんたちのおかげで、ライブ中継を見ることができました。

集会会場から東池袋デモの集合場所へ

 これは、もう東池袋に行った方が良さそうなので、天気も良かったし、飯田橋駅まで歩くことにしました。途中、神楽坂商店街の坂を登ったり降りたり。お行儀悪いけど「腹が減っては戦はできぬ」で、美味しそうなブーランジェリーでカスクートを買って食べ歩き。無事、地下鉄 飯田橋駅につきました。4駅ほどで池袋駅へ。本当は東池袋駅で降りれば良かったみたいだけど、乗り過ごしたっっ。(それでも時間はたっぷりあるし問題なし、です)

集合場所の確認&慰霊碑へお参り

 近代史家の林千勝さんが「池袋には『いけ・ふくろう』というダジャレで、たくさんのフクロウの像がある」と言っていました。地下道でいくつかフクロウのレリーフを見つけたので、撮影📸。それから集合場所の上の方には商業施設に付随する公園というか、花壇が。撮影させていただきました。

 集合場所の東池袋中央公園は巣鴨プリズン跡地です。A級戦犯が処刑されたところでもあります。インドのパール判事は日本を擁護する判決文を早々に提出しましたが、極東軍事裁判が終わるまで公開されることはありませんでした。日本の世論を警戒したGHQの決定です。どんな主権国家にも交戦権があります。しかし日本の為政者は「戦争を始めたこと」自体を罪とする(平和に対する罪)、それまで影も形も、慣習法としてもなかった罪状で裁かれました。「ハルノートのような最後通牒を突きつけられれば、ルクセンブルのような国家でも自尊自衛のために戦うだろう」とパール判事は述べたそうです。A級戦犯の人々は「公務死」によって亡くなったとされています。今でもたくさんの千羽鶴が捧げられていました。
 なんか記念碑の正面から撮影するのは忍びなくて、正面からはお参りのみさせていただいて、裏面のみ撮影しました。午後からのデモの参加者たちでしょう、ひっきりなしにみなさん、お参りしておられました。

台湾独立派の拠点、新珍味でランチ

 予備校教師で著述家の茂木誠さんが、自身のYouTube番組で池袋西口の新珍味を紹介されていました。創業者は台湾、日本、大陸を股にかけた気骨のある人物で、晩年には蔡英文総統も会いに来るほどだったとか。それじゃあランチは、ここでしょってことで、来訪しました。11:30の開店ちょうどに入店。名物のターロー麺を注文。酸っぱくて辛くて汗かく〜。ボリュームもあって午後への腹ごしらえにちょうどよかった!

いよいよデモ行進!

 1時少し前に集合場所について、ぼーっとしていたら、演説が始まりました。もう、その頃には東池袋中央公園は満員状態。主催者判断で少し早めに演説などが始まったようです。でも聞こえないのよ。後ろの方にいたのでは。だから自然と公園の中央へと進んでいました。そのうちシュプレヒコールのプリントが配られます。それから班わけみたいのがあって、私は「5班です」と言われました。何班あったんだろうなぁ。班ごとに分かれて出発していくようです。1班が何人ぐらいだったんだろう?主催者の予想では、1時半の時点で3000人、三々五々集まって計5000人ほどと。でも予想を上回る人出で、多分途中警察と出発方法や警備体制などで調整があったようでした。だいぶ公園内で待たされました。その間、東京 日野市議 池田としえさんが、ずっと司会をしてくださって、順次参加者を呼んでシュプレヒコールをしてもらっていました。これがまた盛り上がるんですよ。後ろの人たちには聞こえていたのかなぁ。途中、後ろを振り向くと、公園の上の部分に人が鈴なり!ちょっと私には想像がつかないのだけれど、私が公園からデモに出発する時点で、以前デモに参加したことのある人が1万から1万2000人と言っていたようです。

 公園を出ると、まず警察の人たちがずらっと。私服の人もいて刑事さん⁉︎かな?まあ、もありなん、です。歩道からはみ出さないように。歩く方向を交通整理してくれています。横断歩道も警察の指示で駆け足したり。車道を歩いたり。デモっていろんな人たちの協力なしには成り立ちません。これも集団結社の自由や言論の自由があればこそ、です。だっていつもの道路の使い方じゃない使い方をするんだもの。車にも人にも事故がないように。みんなが気を遣っている。警察の人たちにも感謝です。あの時道路を走っていた運転手の方たちにも。
 シュプレヒコールの文言もよく練られたものなのでしょう。誹謗中傷などの言質を取られないように。話し言葉としては言いづらいところもあるけど、取材されても、こちらの趣旨がよくわかるようになっていたんだと思います。主催者の佐藤和夫さんをはじめスタッフのみなさん、配信者のみなさん、ホント、頭が下がります。私みたいに現地にポッと行って、行進するだけ、で参加できるんですから。
 一緒に行進した人も穏やかでいい人たちばかり。飽きずにずっとおしゃべりもしながら、もちろんシュプレヒコールも叫びながら、池袋の街を歩きました。みなさん、気兼ねなくこの話題で盛り上がれるのを楽しんでました。身近にいないんですよね、この話題で盛り上がれる人たちが。ま、今はそれも仕方ないのでしょう。
 街ゆく人たちの反応も極々ほんの一部を除いて、よかったように思いました。なんか変な目で見られる感じはありませんでした(私が鈍感なだけ?それとも前の人たちのおかげで場が温まっていた??)。
 第1班が14時ごろ出発して、私たち第5班は公園で1時間待機して、15時ごろ出発。そして池袋周辺を1時間ほどデモ行進して終着は16時ごろ。最終便の人たちの出発は17時ごろだったとか(終着かな??)。確かに16時ごろはまだ公園付近にたくさん人が残っていました。

ハシゴして講演会へ

 公園まで戻ってきたところで、流れ解散。行進をご一緒した人たちとは名残惜しかったのですが、私は次の予定の講演会参加へ。党員ではないのですが、参政党さんが池袋から比較的近い成増で茂木誠さんの講演会を開いてくださったのです。行かない手はないじゃないですか〜。

 茂木さんが「東池袋でデモに参加した人」と言って手を挙げてもらうとほとんどの人の手が上がっていました。みんなハシゴ組〜。茂木さんもYouTuberとしてデモを取材しておられたようです。
 予備校の先生らしく、図などを用いながらわかりやすく現在の政治状況などを解説してくださいました〜。なんか縄文がキーワードだった印象です。

終わりに

 長い1日でしたが、これがはじめの一歩です。きっと。日本はずっとグローバリズムにやられてきたんです。ザビエルの昔から日本を狙ってきたグローバリストたち。信長、秀吉、家康は貿易に魅力を感じながらも、日本を守る方策も同時にとってきました。秀吉の明国を相手にした朝鮮出兵があったからこそ、スペインなどカトリック勢力は日本の軍事力に恐れをなし、日本を軍事的に支配しようとはしなかった(もちろん戦場になった朝鮮の方々にはお気の毒なことだったと思います)。江戸時代は「鎖国」したと言われていますが、実際には窓口をうんと絞った、自国の守りを固めながらの交易で情報もたくさん入っていた。それが明治になって、富国強兵まではよかったけれど、国の内部にグローバリストの手先や共産主義の手先が入ってしまって、そしてきっと日本人自身の理由もあって、終戦。…GHQの占領で何もかもが骨抜き状態に。
もう一度、日本を日本人の手に取り戻すための第一歩。それが2024年4月13日東池袋デモの歴史的意義だと思うのです。
参加できたことを誇りに思います。
 誰に誇るの?私には子どもはいないけど、孫の孫のそのまた孫の世代、7世代先、200年後の日本列島に住む日本人たちに誇れるように


おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために

ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。

大阪府立大の井上正義名誉教授の声明もすごく大事なことを伝えてくださっています。

蔡英文総統も会いにくる、すごい人=池袋新珍味の店主

大手新聞に広告掲載断られてもアマゾンランキング1位!

多分講演会の元ネタなのでは、と思う。読んでないけど


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