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大極殿からの眺め

 都会に行きたいと思っていた。隣県の大阪へ出て、そこに住んで、スッキリした環境で働く。休日はカフェなんかでお茶をして、読書なんかも出来たらいいな。そう思っていた時期が私にもあった。

 大人になるまで住んでいた奈良は近鉄電車の沿線でなければ車が必須だ。特にそれが苦だと思ったこともなかったが、やはり買い物なんかは大阪まで出て、丸一日遊んで帰ってくる。そんな学生時代を過ごしていた。
 大阪で就職すると、奈良からの通勤時間がもったいなく感じて、一人暮らしを始めた。そして朝早くから夜遅くまで働いていた。休日の楽しみなんかそっちのけで、ただただ働いていたのだ。

 ある寒い朝、起きて顔を洗い、着替えてスーツのジャケットを着た姿を姿見に映して、私は愕然とした。目の下に染み付いた隈、傷み放題の髪、姿勢が悪く丸くなった背。誰だこれは。茫然としながら、それでも機械的に体は会社へ向かう。ふと、腕時計をした左手首を見ると、ベルトと皮膚の間に大きな隙間があった。会社に着いて、四階まで階段を上る。朝は荷物搬入があるのでエレベーター使用禁止だ、息が上がって苦しい。
 ロッカーに荷物を放り込んで、自分のデスクに向かう。しばらくして朝礼が始まって、途中で外線が鳴った。急いで受話器を取ると私の顧客から、その日の面談予定をキャンセルしたいという申し出だった。大きな契約の予定があったのに、先送りしたいと先方は言う。意志は固そうで、声も固い。申し訳ありません、すいません、いいえ、そんな失礼な事を思ったことはございません。どうしてこんなに毎日謝っているのだろうと、朝礼の邪魔にならないよう声を絞って電話口で謝りながら思った。

 帰りの電車で何だか涙が滲んだ。どうして私はこうなんだろう。どうして、どうして。苦しい、息が出来ない。好きな読書も碌にできていない。休日はずっと寝たまま。どうしてこうなったんだろう。最寄り駅でスーパーに寄ろうと、いつもと違う改札から出た時に、ふと心療内科の看板が目に入る。涙が零れだしそうになり、吸い寄せられるようにそこに入った。
 予約優先ではあったが初診アンケートを書いて、すぐに診察室に通された。医師を前に、苦しいんです、と言おうとして遂に涙が決壊した。

 今までの私の状況を話す私を、医師はじっと見ていた。途切れ途切れに話す私の言葉は聞き取りにくかっただろう。嗚咽が少し収まった頃に、やっと医師が口を開いた。
 「今まで抱え込んでしんどかったですね。頭が真っ白になったりするのは鬱の典型的な症状です。苦しいのは、過呼吸を起こしてらっしゃるのでしょうね。食事は……不規則と。これはすぐさま休職の診断を出すような症状ですよ」
自分の状態が普通ではない、と他人に冷静に指摘されて、それだけでホッとして涙は止まった。診断書が出され、翌日は会社に休む旨と診断書が出たことを上司に説明した。気遣ってくださった上司には悪いが、電話の後は過呼吸を起こして、もう頓服を飲んで眠るしか出来なかった。翌日からもしばらく、食事は更に疎かになり、寝っぱなし、という状況が続いた。

 これは結局治る要素がないんじゃないか、と思い立ったのは一週間ほど過ぎた頃だったろうか。親にしばらく実家に置いてもらえないか、メールで連絡した。すぐに返信が着て、車で迎えに来るという。その言葉に甘えて奈良の実家に帰ることになった。
 実家でもとにかく寝続けた。薬で深く眠っている筈なのに、朝起きるともう眠い。こんこんと眠り続ける私を、親は食事だけは三食食べさせるため起こすものの、そっとしていてくれた。

 春が来て、朝ごはんを食べて、ベランダに差し込む日差しが暖かそうだな、と私はベランダに出た。
 目に緑が飛び込んできた。近所の草木に咲く花々、お日様の匂い。なんだか凄く新鮮に思えた。色んな鳥の声が聞こえる。風が優しく髪を揺らした。
 何となく散歩に行こうと思った。この時期なら平城宮跡が気持ちよさそうだ。お風呂に入って、久々に化粧をした。目の下の隈は消えて、でもぼんやりとした顔が鏡に映っていた。

 ちょっと出てくる、と親に言うと心配そうではあったが、行き先を告げると、気を付けていってらっしゃい、と送り出された。
 電車に乗るのも久々だ。平日ラッシュを過ぎた時間帯なので、車内はまばらに観光客らしき人がいるだけで静かだった。大和西大寺駅で降りて、東側に向かって歩き出す。ああ、懐かしい。そんな感想が自然に出てきたのも久しぶりだった。
 ずっと寝ていたので体力が落ちているのを感じる。ゆっくり地面を踏んで歩く。歩道が狭いので気を付けないと車にぶつかりそうになる。自然、足下を見て歩いていた。ふと歩道が広くなったので前を向いた。佐紀町の古墳の緑が目に入った。緑が生き生きしている。

 もう少し歩くと大極殿が目に飛び込んできた。青空の下、堂々とそこにある。その向こうに若草山や春日奥山が見える。目を南に動かしていくと、空気が澄んでいたのだろうか、吉野の山々が段々になって見えた。そこから近くに目線を戻していくと朱雀門、大極殿と、人気のない草原が広がっている。
 大極殿の道を挟んだ土手にしばらく座り込んで、ぼうっとそれを眺めた。ふと、お腹が空いてきたような気がした。そんな思いを抱くのも久々だった。近くにコンビニも何もない所で、すぐ腹を満たせるような物を私は持っていなかった。親に持たされた水筒を鞄から取り出して、お茶を口に含む。ほっとするような味がした。

 あぁ、帰ってきたなあ。突然そう思った。空腹という感覚をじんわり味わう。日が高くなって暑くなってきたので、立ち上ってパンツに付いた草を払う。元来た道を今度はしっかり前を向いて歩いた。
 もう一度電車に乗って実家に帰ると、昼食が用意されていた。親はすでに食事を終えていたが、温め直してくれた。味がした。懐かしい母の味だ。昨日までも同じような物を食べていた筈なのに。
 そうか、と気付いた。会社の通勤でしか外出していなかったので季節を感じていなかった。適当な総菜やコンビニで食事を済ましていたので、季節感を感じる場が全然ない生活を送っていたのだ。
 奈良は山に囲まれた盆地で、建物の高さ規制があるので高台に上ると遠くまで見渡せる。ここが私の帰る所だ、と心から感じた。

 それからは体力を取り戻すために、たびたび幼い頃に訪れた場所に歩きに行った。あの頃はつまらないと思っていた景色の数々が、とても眩しく目に映る。
 夏のセミの声、カエルの鳴き声。額の汗を拭く。
 秋になると稲刈りと脱穀の音が農地近くの住宅街に届く。虫の音が夜を満たす。
 冬は底冷えで寒いけど、それさえも何だか生きている感じがした。
 ああ、私はこの街が好きなんだな、と思った。私は色んな必要な感情を削ぎ落してしまっていたみたいだ。そう気付いてからの回復は早く、頑張り過ぎないでください、と医師がストップを出すくらいになった。

 一年間、奈良で過ごしたのは改めて自分の育った街に目を向けられる機会になった。大阪に戻っても散歩に行ったり、公園の緑を眺めたり、自然を感じる方法は近くにあったのに私は忘れていたようだ。復職ももう近い。でも世界を見る目は確実に変わった。ただある、という存在感を見せつけた大極殿のようにはなれないが、小さな季節の移り変わりを見つける目を身に付けられた。
 あの風景を眺めるために、季節ごとに訪れる楽しみが出来た。帰る場所、と言ったら私の中では永遠に奈良になるのだろう。色々な所に訪れるために、まずは体力をもっとつけなければいけないけど。

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