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ベトナム料理の女性シェフ33歳・広島【前編】「週3ランチのみ」キャリアを途切れさせない

 ベトナム料理と自然派ワインの店「CHILAN(チラン)」(廿日市市阿品)のオーナーシェフ、ドグエン・チランさん(33)は、生まれ育った東京から廿日市へ移住しました。飲食の仕事と家庭の両立を求めたのも理由の一つだそうです。キャリアを途切れさせたくないというチランさんに、そのためのマイルールを聞きました。(聞き手・新本恭子、写真・高橋洋史)

チランさんってこんな人
ベトナム戦争の難民として来日した両親のもと、東京で生まれ育った。主に都内のフランス料理店でシェフの経験を積み、2019年末に夫の地元である廿日市市に移住。20年、JR阿品駅(廿日市市)から徒歩7分のところに、ベトナム料理と自然派ワインの店「CHILAN」を開いた。21年、日本最大級の若手料理人の大会「RED U‐35」(ぐるなびなど主催)に参加。508人中ファイナリストの4人に選ばれ、REDで最上位の女性に贈られる「岸朝子賞」を受賞した。

営業は、土、日、月曜のランチ時間だけなのですね。どうしてですか?

 1歳の長男がいるんです。育児や家事と両立させるために、営業時間を絞りました。2020年9月にオープンし、当初は夜もやっていたんですが、その3か月後に長男が生まれました。保育園に預けて、義理の家族の協力を得ながら今の形を取っています。夜の営業をいつ再開するか、まだ決めていません。
 ランチでは、7皿のコース料理を出しています。前菜の生春巻きからベトナムカカオを使ったデザートまで。ソムリエの夫(藤井千秋さん)が選んだ自然派ワインを中心としたドリンクとのペアリングを楽しんでもらえたら。


週3日、ランチだけの営業は、驚かれるのではないですか。

 飲食業の人からすれば「なめてる」と思われるかもしれないですね。とはいえ、幼い子どもを抱えて100%の時間を現場には割けません。それを嘆くより、50%未満でも現場にいたい。どんな職業でもブランクはリスクですから。
 仕事と家庭を両立できるとは思えず、悩んだ時期もありました。でも、キャリアを途切れさせないことが大切かなと。何ができるのかを考えて、この形に落ち着きました。環境や条件次第でできないことがあるのは仕方ありません。手放す勇気と、状況が整うまでいったん温存しておく判断を大事にしています。

 何かを手放した経験は、これまでもあります。生まれ育った東京から夫の地元の廿日市市に移住する直前です。2年半、飲食の仕事から離れて、IT企業で事務の仕事をしました。開業資金をためつつ、副業にもできる新たなスキルを身に付けるのが目的でした。
 実際に今、子育てのすき間時間を使った副業として、企業の事務業務をリモートでしています。そうやって収入を安定させながら、限られた時間で、理想の店を作り上げている最中です。
 移住のタイミングは、東京五輪もきっかけになりました。新たに大きな施設をつくり、大勢が集まるイベントです。コンクリートジャングルや人混みが苦手だったので、東京を離れるいい機会かなと。夫の本業は酒類販売会社の正社員。こちらも辞めることなく、リモートで営業の仕事を続けています。

店からは瀬戸内海や宮島が望めるのですね。内装もすてきです。

 この店は、JR阿品駅(廿日市市)に近く、高台の住宅地にあって眺めがいいんです。一軒家の1階をリノベーションしました。客席はカウンターの8席のみ。内装は木、石、竹などを多く使っています。人工物より自然を感じる物が好きで、囲まれて落ち着くものでそろえています。元からあった床の間は、掛け軸で季節感を出しています。

オーナーとして、パフォーマンスを保つために心掛けていることはありますか。

 情緒を安定させること。そのために特定の人やモノに依存しないことです。第三者に対する怒りやストレスって、相手に期待しすぎるから生まれる感情だと思うんです。依存先をたくさんつくれば、一つ二つ期待に沿わなくても修正が利きます。そうすることで、感情に振り回されることが格段に減りました。
 昔は真逆のタイプだったんです。依存する相手を傷つけたり、自分が不安定になったりしたこともあります。でも怒りに支配されるより、笑う時間を増やした方が豊かだと気付きました。20代半ばに、感情の波に振り回されない「技」を意識的に身に付けました。技というのは、人に一方的な期待をしないことです。

シェフとしてはこれまでフレンチを専門にしてきたのですね。この店ではどうしてベトナム料理を?

 店を話題にするための戦略です。これまでに雇われていたのは、フレンチのビストロがほとんどでした。自炊は和食がメイン。ここまではどこにでもある。プラスアルファのフックを、と考えたときに、やっぱりルーツであるベトナムかなと。

 私にとってベトナム料理は実家の味なので、今でも母に教えを受けています。そのままでは家庭料理の域を出ないので、調理にはフレンチの技法を生かしています。食材の部位ごとに温度や時間を変えて火入れするような繊細な調理法です。それはおおらかなベトナムにはない魅力で、料理人にとっては武器になります。
 器はベトナムのビンテージが8割くらい。周りと同じことをやっていても抜きんでるのは難しい。少しずつですが細部までこだわりたいです。

何でもある東京と比べ、食材の調達は難しいのではないですか?

 移住して気付いたのですが、そんなこともなくて。広島にもユニークで研究熱心な生産者が多くいます。ここでは生産者さんにファンがいるのに驚きました。「この人の食材を使っている」と言うと、それを目当てにお客さんが来てくれる。東京ではあまりなかった経験です。
 食材は、魚醬など調味料も含めて、なるべく国産でそろえようとしています。日本、ベトナム、フランスの文化の融合を、お客さんに楽しんでもらえたらと思っています。

後編に続く⇩⇩⇩