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2045年のあなたに~漫画家こうの史代さんがウォールアートに描いたヒロシマのLove&Peace

 戦時中の呉市などを舞台にした漫画「この世界の片隅に」で知られる広島市西区出身の漫画家・こうの史代さん。戦後100年の2045年に向けた願いをおりづるタワー(広島市中区)の壁に描く「ウォールアートプロジェクト」に参加しました。巨大なキャンバスに描いたのは、梵字(ぼんじ)の般若心経今ここにいない誰かと一緒にLove&Peaceを願う思いを込めたそうです。こうのさんに、その思いについて詳しく聞きました。
 (文・加納亜弥、写真・山田太一)

おりづるタワーでウォールアートに取り組んだこうの史代さん

河野さんのインタビューの動画はこちら⇩⇩⇩

カープ帽のハトに始まり、コイで終わる

 幅24㍍、高さ4㍍。東側スロープの壁面に、広島ゆかりの9人のアーティストが絵を描いた。16日間かけて完成させた。こうのさんは2月中旬から広島入りした。

 壁に描いたのは、サンスクリット語の般若心経を梵字にしたものです。カープ帽をかぶったハトから始まり、右に読んでいき、カープ帽をかぶったコイが終わりの印。平和の象徴であるハトと、広島の象徴であるコイを、単語の隙間に埋めるように描きました。コイとハトなので、ラブアンドピースカタバミの葉っぱも描いています。ばらしたらハート形になるので。

カープ帽をかぶったコイに「C」の字を入れるこうのさん

般若心経  慰霊の思い

 お経の一つで、葬儀や法事でよく読まれる般若心経。お釈迦(しゃか)様の教えの本質的な要素が凝縮されていると言われる。

 8月6日に平和記念公園に来てみると、「平和祈念」「慰霊」の二つの大きな面があると感じます。知っている(被爆した)人が亡くなっていき、被爆した方と時間的に遠ざかるにつれ、慰霊の面は年々薄れてしまう。そして平和祈念の面が強くなるんだと思います。でもこの一帯にはかつて確かに、幾多の「慰霊」の念が込められていた。それは2022年を生きる私たちと関わるはずだった魂であったことを記しておきたいと思いました。

今ここにいない大切な誰かと、一緒に見ている気持ちに

色をかぶせた文字を遠くから見ると、大きな手が握手をしているように見える仕掛けだ

 現代ではなじみが薄い梵字。しかし作品では、あちこちに花や手、雲を重ねた字が潜んでいる。般若心経に柔らかいイラストを融合させた、新しい「こうの史代」ワールドがそこに広がる。

 般若心経には「色即是空」という言葉、そして「無」という言葉がたくさん出てきます。色を表す字にはイモカタバミのピンクの花を、空の字には雲をあしらいました。無の字には、「無い、無い」と手を振っている細工を入れました。般若心経は、形のあるものもないものも、実は表裏一体であるということを説いています。
 私たちも見えない世界の、今そこにいない誰かと、実はつながっている。いまここにいない誰かと、時間を共有してる。このスロープを降りて壁画を見るとき、一緒にいる人はもちろん、一緒にいない誰かのことも思いながら、その人とともに自分がいるんだと思いながら歩いてもらえたらうれしいです。

「散歩坂」と名付けられたスロープ沿いに、巨大壁画が登場する。1色の梵字だけだった制作当初から後半になるに従い、だんだんとこうのさんカラーがにじみ出てきた

壁画を引き受けた理由

 1995年に漫画家としてデビュー。巨大壁画は初めての挑戦だ。

 この話をいただいた時は、普段の漫画の作品と違うので、普通に絵を描くんだったら…と1度お断りしました。でも1カ月間ずっと悩んでいて。そんなときに、般若心経を梵字で書いたものを見つけました。ここ(壁画)にはこれを描きたい、描かないといけないという気持ちになりまして。三十三間堂(京都市東山区)にお参りした時、千体千手観音立像を見たんです。いろんな仏師の人が、競作みたいに何体かずつ造った。そのわくわく感が伝わってきたんです。そうすると、このプロジェクトがそれに近いものに思えて。こんな機会は一生、もうないだろうと、無理を言ってつなげていただきました。この作品ありきで、ここに来た。いろんな幸運が重なりました。見えないものに導かれたような思いがあります。
 描き始め、1色の時はすごく荘厳な感じだったんだけど、終わってみるとちょっとおちゃらけた感じになっちゃった。制作中は、高いところが思ったより怖かったです。あと、風と雪が強くて寒かったので、何度かヘルメットをかぶったまま帰りかけました。

ヒロシマを描いて見えたこと

 漫画家としてデビュー後、しばらく原爆を描いてなかった。「知らない者が軽々しく踏み入れる領域じゃない」と思ったからだ。しかし編集者や周囲の勧めもあり、「夕凪の街 桜の国」で初めてヒロシマを描いた。

 「夕凪の街 桜の国」も「この世界の片隅で」も、原爆資料館(広島市中区)に行ったりして、お世話になりました。いつの間にか私も大人になって、次の世代にそういうのを伝えていく役割を持つようになった。今まで分かりやすく語り伝えようと頑張ってくれた人たちの苦労が、身にしみて分かってきました。感謝の念を深く感じた。今回の壁画は、その気持ちを込めました。

ウクライナへの思いと、広島に大切にしてほしいこと

 制作中は、ロシアによるウクライナ侵攻など、世界の平和を脅かす出来事もあった。「表現者として発信できること」を報道陣に問われると、それまで朗らかだった表情が一瞬、厳しく引き締まった。

 帰ったら、とりあえずしかるべきところを探して寄付しようと思っています。そのくらいですね…。今のところはまだ、よく分からない。ここで何か言ったら、世界が平和になるなんて、そんな簡単なものではない。簡単に魔法の言葉をここで言うことはできない。残念ですが、申し訳ないです。

 ここに足を運んだ人たちに、広島のどんな思いを託したいか。そんな問いには、あくまで等身大の答えが返ってきた。

 いつも思うんですが、私は東京に長く暮らしていた。広島には修学旅行で行ったよ、という人がたくさんいる。そういう時「みんなに優しくしてもらえた」と言われると、ちょっと誇らしい気持ちになる。広島人の良さが、将来につながっていけたら。広島がいいところだったな、とみんなに思ってもらえる場所でありますように。