見出し画像

意識高い系の人について思うこと


意識高い系の人について。


まず、私は意識高い系の人が得意ではありません。
どちらかというと苦手です。


現在大学3年生で、ドイツに一年間の留学をしていますが、
大学に入ってから一気に関わる人の幅が増え、
「いろんな人間がいるんだな~」と感じる機会が増えました。

いわゆる意識が高そうな人もたくさん見ます。


私は、彼らの中には
“意識が高い人”と“意識高い系の人”の二種類がいると思っています。
私が苦手なのは後者のほう。


今日のは、ミュンヘンの学生寮で晩御飯を食べながら書く、ただの独り言です。


結果の伴わない「見せる努力」


私は“意識高い系の人”のどこが苦手なんだろう?とじっくり考えてみました。

多分これだ、と真っ先に出てきたのが、彼ら「見せる努力」をするのがとても上手だと思うんです。

私は幸いなことに高校や大学では少数の良い友人に恵まれ、彼らは皆ここで言う”意識が高い人”ばかりで”意識高い系の人”はいないと思います。
そんな友人たちはみんな、努力を誇示せずとも地道にコツコツ頑張り、着実に結果を出しています。

でもいわゆる”意識高い系の人”って、「これを今から頑張ります!」の瞬間が一番盛り上がってる気がしてしまって。
最近でいうとSNSですよね。
活動始めます!が沢山載りだすと、また始まった~ってなる。
それでいて、気づかぬうちに消えるように静かになって、時間が経つとまた「新しいこと始めます!頑張ります!」がくる。
結局何がしたいのか、何を成し遂げたのか、と思う。

結果が出ない努力に意味がないと言いたいわけではありません。
先に述べた友人らのように、本当に意識が高くて結果を出している人たちや、結果が出ずとも出すための苦労をして努力している人たちは、心から凄いなあと思います。
”意識が高い人”の意識の高さと努力量は尊敬しています。

だからこそ、結果を伴わせる気のない威勢がいいだけのハリボテの努力を見る側に良く見せることに精を出しているように見える“意識高い系”が、私は苦手です。


影響されることなく生きてゆきたいですね。

能ある鷹は爪を隠すって、まさに言い得て妙だと思います。


万人に共通する「成功」がある?


そして“意識高い系の人”は、成功とはつまりこれである、そして皆成功したければこのような努力のプロセスを歩むべきである、という一つの信念を、皆口をそろえて共有してくる気がします。

私は本をよく読みます。
自伝なんかは、読むだけで彼らが人生をかけて得た経験を盗ませてくれる、素晴らしい本だと思います。
そしてたまに興味本位で、「成功者の〇〇」などという題のいわゆる自己啓発本も読みます。
しかしそこに書かれているのはいつもよく似たことで、
人生の法則はこうで、“成功”するためにはこれをするべし。


けれど、人生における成功は人それぞれ。

私はそれこそ、組織で偉い地位につくよりも、お金をたくさん稼ぐよりも、人々に影響を与えられる人になるよりも、
そこそこの地位でそこそこの生活レベルでいいから、自分の行ってみたい場所に行けるだけ行って、自分のやってみたい事をやれるだけやって、そのために必要なお金さえ稼げればいい、
自分が死ぬときの走馬灯をより美しいものにすることこそが人生の成功だと思っています。


だからこそ、押しつけを感じる成功者の自己啓発本にはあまり共感しないというか・・・

こうしろ、こう生きろ、そうすれば自ずと“成功”への道は開かれる。

その成功を成功と捉える人にとっては素晴らしい生き方かもしれないけれど、そうでない人にとっては押しつけでしかない。

自己啓発本の著者でなくとも、“意識高い系”の人からはこんな意識が感じられて、
各々が目指すものにマイペースで向かえばそれでいいのになあ
むしろ意識が低くてもいいじゃないか。
みんな違ってみんないいのになあ

と思ってしまいます。


そういう気づきを得られるという意味でも、これからもたまに自己啓発本は読んでいこうと思います。笑


人と比べがち


私の周りの”意識が高い人”と”意識高い系の人”で見られる差は、
自分の努力を周りと比べているか
だと思います。

本当に努力意識が高い人って、自分の決めたゴールへなりふり構わず努力してます。
本人は意識の高さに気づいていない場合が多い。


でも、いわゆる意識高い系は、
「こんなレベルの低い環境にいるけど私だけは頑張っている」とか
「こんなに頑張っている人たちがたくさんいて、その中で私は抜きんでて頑張っている」とか
頑張るっていうことにそういう前置きを付けがちだと思うんです。
人と比べることで、自分の意識の高さを客観的に保っているというか。
そして自分より意識が低い人を下に見ている気もします。

さらに、自分の人間関係までもを自分のステータスと見ていたり。
価値がある人間とつながっているということをアピールして、自分にまで価値がある人間というレッテルを貼ろうとしている。

やっぱり見ててしんどいな、と思うんですよね。
でもだからと言って、知り合って”意識高い系”だったら全員が全員関わらないというわけにはいかない。

影響されないように生きていくの、難しいです。


私は私のやり方で頑張ります


かく言う私は、常に向上心を持つ意識の高い人になりたいのかというとそうではない。

でも、努力するべき場所で適切に努力できるほどには、”頑張れる人間”でありたいと思うのです。

そうすれば、私の思う人生の成功はきっと死ぬときの走馬灯で見られるんじゃないかな、そう信じたいです。


以上、私の独り言でした。


沢山考えると疲れてしまいました。

サムネイルは、ミュンヘンにある私のお気に入りの図書館です。

今日はKindleで、私の好きな文学を、それもめちゃくちゃ簡単なやつを、読みたいと思います。


今日の買い物への道

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?