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【ドイツ留学】人生に「一貫性」は必要か。 



人生に「一貫性」は必要か。
人は己の人生を歩む上で、どれだけ一貫した生き方をしていくべきなのだろうか。

ドイツ・ミュンヘンに留学中の大学生、桜です。


最近、人生について考えていました。


公立の中高を出て大学に入り、いわゆる普通に(勉強はそこそこ頑張った)生きてきた自分。
対照的に、周りを見れば、幼い頃から続けてきたダンスや野球で食べていけるまでになっている同級生たち。

私が昔から尊敬してきた人は、夢や目標など一つ自分の軸を強く持って意思決定をし、すべての行動はその実現に繋がるという生き方をする人が多いです。
大谷翔平や本田圭佑などスポーツ選手によくみられる、小さいころから夢を持ち何年もかけてそれを叶える姿を、「有言実行」と世間は評価します。

それは恐らく「諦めない力」「継続する力」が見えやすいからだと思うんですよね。



私もいつしかそういった生き方に憧れて、人は人生に一貫性を持つべきだ、一貫性こそが努力の正しさである、と考えるようになった気がします。

何故ならきっとその方が、成果や成功が一つのストーリーのように明確で、見ていて分かりやすいから。
「目に見える成功」とそれまでの「分かりやすい課程」が自分の価値(とくに客観的な評価)を高めるから。


ここで言う一貫性とは、すべての行動は唯一の目標を達成するためのもので、目標達成のためになることを選んで継続して行うような生き方のことです。


そのために私は、大学受験から一貫してドイツという国を目指し、大学入学後には、ドイツ語の勉強から言語以外のドイツにおける専攻分野の模索、さらにはドイツ留学の実現に至りました。

しかし、私のこういった考え方が自身を苦しめていることに薄々気づきはじめたのが、望んでいたドイツに遥々やって来て4か月が経つ最近のこと。


ドイツに来るまでの私は、
ドイツ語をここまで極めたのだから将来的にこれを生かす生き方を見つけなければと、自分の武器のひとつであるはずのドイツ語が自身の人生を制限するもののひとつとして、一種の強迫観念のようなものに襲われていました。

興味のある研究分野がドイツの他にできて大学院への進学を考えた時も、
ここに進むからにはドイツ語を、さらにはドイツ語に取り組んだこの三年間を捨てることになる、
そして選んだこの道を意地でも人生の主軸にする覚悟が必要である、

と言うふうに、
いわば一貫性のない努力や行動は人生にとって意味がない、まったくの無駄だという風に考えていました。



最近になって、日本の同級生は就活を始めるなど、自分がこれからの人生どう生きていくかを決定する段階に立っています。

一方の私は、帰って日本で就活する・ドイツで進学・日本で進学、その他諸々のまだ間に合う選択肢や挑戦してみたい選択肢が溢れているがゆえに、どの道にするか決めあぐねています。

大学進学後、興味関心の変化から研究したい分野が自分の専攻以外にできたのですが、それを研究する道を選ぶと、言ってしまえば「ドイツに来た意味がなくなる」。
色々なことを勉強して選択肢が広がった今、その経験を積んだことが逆に自分の視野を狭めてしまっている気がしています。



先日、友人とこの話をしました。


私は一つ確固たる目標をもって、なりふり構わずただその目標へ向かう人生こそが美しいと思っていた、
だから大谷翔平や本田圭佑のように揺るぎない何かを持てていない自分が嫌だ、と。


その友人が尊敬する人物は、高杉晋作だそうで
幕末の長州藩で活躍した彼は30歳で亡くなるのですが、29歳までの人生で何をしても失敗続きだったそう。
しかし亡くなった30歳の年で、29年間の失敗のすべてが伏線となる大きな功績を残したそう。


それを聞いた私は
仮に自分が30で死ぬとして、残り10年、まだまだ失敗できるし挫折できるかも。
高杉晋作自体が私の考えに影響を及ぼしたわけではないですが、この話を聞いてなるほど確かにと思わされました。



ここまでたくさん勉強をして手にした、目の前にずらりと並ぶ選択肢。
どれもやってみたいけれど、どれも飛び込むのに勇気がいる。

すべてに一貫性を求めるという凝り固まった考え一つで、これらの中から一つだけ、人生何十年もかけて取り組むものを選ばなければいけない人生など、なんて貧しいものだろう。
一つを選んでみて失敗すればすべてが終わってしまうほど、自分は薄っぺらい人間じゃないのでは?

むしろその選択肢の中に一つや二つくらい、皆をあっといわせる意外な方向転換があってもいいのではないか。


失敗も成功も挫折も貫徹も、さまざまを経験した先に私の人生なりの「一貫性」がうまれる、そういうもんなのでは?



ドイツに来て得た新しい知見や、いい意味で冷めることができた”海外へのあこがれ”。
海外の価値観がすべてではないし、自由にはある程度の代償がつきものだし、かといって日本にいてはこの事実に気づくことができずにいました。
ドイツに留学し実際に暮らしてみることでしか気づけなかった、自分のやりたいこともたくさん見つけました。

自分がこの先どこの国でどんな仕事をして生きていくのかわからないけれど、


この一年ドイツで暮らした経験も、仮に他分野で研究の道に進んで得る経験も、それらを全く生かさない就職をすることがあっても、
それらすべてが自分の人生の分岐点で決断の決め手になる可能性を秘めています。

もしかしたら、すでに知らず知らずのうちに、日常生活で巡らせる考えの節々に自分の20年間の経験が影響しているかもしれないと考えると、なんだかわくわくします。




よく「大きい人間になりたい」「分厚い人間になれ」という人いますよね。


私、正直ずっとあれわからなくて。
言ってることが全然明確じゃなくて、やっていること・やりたいことに一貫性もなくて、結局何がしたいの?って思っていました。


でも最近分かった気がします。
だから今回noteに書こうと思いました。



現時点で自分が持っている選択肢の中で、できること・やりたいことに、今の自分が持つ精一杯の力で取り組む。
人生はなるようにしかならないし、その時にできることを頑張ればいい。

先日祖母と電話した時に書き留めた祖母の言葉です。



なぜここに来たのだろうと立ち止まったとき、その道を選んだ確固たる理由を持っていなさい。
やりたいことをやりたいと言える理由がちゃんとあれば、どこへ行こうが「こいつおもろいな」ってなるし、どこへ行ってもやっていける。

これは父と電話したときに言われた言葉。



一つ一つの行動に動機とある程度の自信をもって、今できることを頑張れば、
言ってしまえば、死ぬときの走馬灯はより美しいものになるだろう
そう信じてみようと思います。


5年前、今の自分が何をしているかなんて全く想像もつかなかったのだから、5年後10年後の未来を無理に想像して決めつけてしまうのはやめにします。


もう年の瀬ですね。

こちらドイツでは、クリスマスが終わって行事がひと段落し、仕事も学校も休みのため町は静まり返っています。

私の住むミュンヘンも全然お店が開いていないので、セールや忘年会で賑わう日本にいるのとは少し違った年末を過ごしています。


サムネイルは先日の夕焼けにしました(マジックアワーというのかな?)


町が静かすぎて少し寂しく日本の年末番組が少し恋しいですが、散歩にでも出かけて紛らわせようかな。

中途半端に書き溜めているnoteの記事たちも少しずつ公開したいと思います。


皆さん、よい年末年始をお過ごしください。


それではまた!

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