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グローカライズ

 この町の人間はまどろんでいると、アキは言う。

 まどろんでいる。よく言えばのんびりしている。みんなどことなく朗らかで、潮が満ちると逆流する汽水の川のように、ゆるゆると、所在なさげでもある。集合時間を十分過ぎても許される「阿波時間」なんて言葉もあるくらいだ。

 年に一度、大きなお祭りがあって、その日の朝、町ははっきり目を覚ます。それから祭りが終わると、またゆっくりと、眠りにつくように静かになる。そんな話をしながら、アキは東京観光のパンフレットに折り目を付けていた。修学旅行を二カ月後に控えたある平日の出来事だった。

 四方を山と海とに囲まれた徳島では、県外に出るのにも一苦労だった。出張に慣れっこの父親は「安いもんだ」と言うけれど、大阪までの高速バス代三千円は、私たちには大金だった。そういう環境も手伝って、私たちは自分でも気が付かないうちに、この町にゆっくりと根を張っていく。町の外の出来事を、遠いことのように考え始める。事実、こんなに東京旅行を期待しているアキだって、今朝配られた進路希望表には地元の大学名を書き込んでいた。アキならもっと上を狙えるのに、当の本人はあっけらかんとして笑っている。少し呆れるほどである。

 対して私は、まどろみは停滞だと思えてならなかった。このままではどこかで行き詰ってしまう、そんな焦りがあった。焦りは日ごと成長し、やがて外の空気を欲するようになった。そうして周囲のゆるやかな停滞から目を背けるように、SNSへと没頭していた。

 クラスメイトと仲良くするための動画投稿は、それはそれで楽しかった。けれど、私の好みとは言えなかった。私は日常を装飾することよりも、もっと明確な事件を求めていた。毎朝目を覚ますと、目覚ましのスヌーズをオフにして、トレンドのランキングワードをチェックする。味の変わらない朝食を口に含みながら、この世の中にどんな出来事が存在するのか、掴もうとして手を伸ばす。俳優の訃報が上がれば、昔の代表作なんて知らなくても「お悔やみ申し上げます」と書き添え、議論の分かれる判決が出れば、「冷静になろうよ」なんて、当たり障りのないコメントを投じた。そうしてたまに返信が来ると、口論にならない程度のやりとりを心がけ、そっと画面を閉じるのだ。何かを成し遂げた気になるには十分だった。「いいね」を稼ごうなんて思っちゃいなかったし、偉ぶるつもりも全くない。私はただ純粋に、この目まぐるしい世界に介入したかったのだ。

 そんな私の生活に、戦争は音を立ててやってきた。きっかけは私たちの国が資金提供を決めたというニュースだった。ニュースは賞賛と批判とを巻き込みながら膨らんで、実に三日もの間、トレンドの一位を占め続けた。

 戦争は私にとって、もっとも縁遠い出来事のひとつだった。かつてこの町にも大きな空襲があったのだと語った祖父は、もう十年も昔に他界している。祖父は酔っぱらうとよく「終戦直後には鉄鍋が無かったけん、焼夷弾のふたを鍋代わりにしとったわ」と笑った。そしてそれ以外の一切を黙したまま逝ってしまったので、私は戦争と聞いても、歴史の教科書に載っているキノコ雲と、でかい鍋のことしか想像出来なかった。

 検索窓に「war」と打ち込んで現れたコンテンツは、私の世界の解像度を大きく変えた。動く戦車の操縦席をはじめて見た。弾丸が近くに飛ぶ音をはじめて聞いた。そして、人が撃たれるとどうなるのかを、はじめてちゃんとわかった。私は柄にもなく義憤に駆られていた。こんなひどいことがあってはいけないと思った。自分にも何かできることがあるかもしれない。そう思って、たぶん募金の窓口でも探そうとしたのだろう、「War」の後ろに「Japan」と付け加えて、再度検索をかけた。

 トップに現れたつぶやきは、けれども私の想像とは違ったものだった。それはわずか十分前の、現地の市民の投稿だった。彼はまず母国語で何かを記し、次いで「#Love Japan」と英語のハッシュタグを添え、最後に日本語で「わたしたちのともだち、ありがとう!」と書き込んでいた。

 投稿文には両国の旗の絵文字と、友愛を示す握手やハートのマークがふんだんに使われていた。私はその華やかをしばらく見つめ続けた。心の奥底に何かが芽生える気配がした。後から思えばそれは、心地のよい毒に他ならなかった。でもその時は、世界の、現在進行形の、のっぴきならない出来事に、初めて手を差し伸べられたと思ったのだ。

 戦況の確認は私の日課になった。遠い国の戦争は今や私自身の戦争だった。まだ知らない事の多い私にとって、戦争の背景や各国のスタンスを理解するのは難しい。けれどもあの時「ありがとう」と書き記した、名前も性別もわからない誰かの安寧を、祈らずにはいられなかった。

 速報が日本語のニュースになるまでにはタイムラグが存在する。そのことに気が付いてからは、現地の「情報通」のアカウントを眺めるようになった。仮名でもアルファベットでもない文字を翻訳機能にかけ、誤訳を頭の中で修正しながら読み進め、信頼の置けそうな数人をフォローして通知が来るように設定した。そうして私の日常は変質していった。「南の戦線では10キロ前進した」「東の町では5台の戦車が破壊された」。そんな情報が、晩ご飯の献立や、明日の小テストの隙間に割り込んでくるようになった。

 私たちの町と現地とでは、六時間近くもの時差がある。おまけに空襲は時間に遠慮なんてしないから、通知は深夜遅くに鳴り響くこともあった。そういう時、頻繁なスマホのバイブレーションを聞きながら、私は遠い土地に思いを馳せる。広い平原。なだらかな起伏。ほとんどが農地で、そのさなかにぽつりぽつりと、村や町がある。徳島とは全く違う景色、生活、文化。そんな美しい土地に鉄が降る。緑の大地に這うような泥の後が残る。少しでも早く戦争が終わってほしい。それは間違いなく、本当に間違いなく本心だった。けれどもふと、私の祈りには何かが欠けているのだと、思うこともあった。私は次第に、戦況に引きずられるようになっていった。誰かが「これでやつらはおしまいだ」と投稿すると、私も「いいぞ、その調子だ」と感じた。そして彼らが戦況の不利を報告した日には、なんだかそわそわして、物事が手に付かなくなっていた。

 ある日、たしか数学と古典の授業の合間のことだった。机の陰で戦況確認をしていると、画面に反射して、肩越しにのぞき込むアキの姿が映り込んだ。

「何見とん、ミホ」

 アキは前の男子の席に跨いで座ると、私の机に頬杖をついて尋ねた。

「今さ、戦争しとるやん」

「あーね。何かニュースでやんりょったわ」

「どうなっとるか気になってな、現地の情報調べとったんよ」

「へぇ」と間の抜けた相槌を打つアキに、スマホの画面を見せる。

「わ、全部英語やん。読めるん?」

「翻訳機能があるから」

「なるほどね……これはどういう地図なん」

 アキは興味無さげでいて、それでも話題を逸らしたりしなかった。スマホの画面には東部の激戦地の地図が示されていた。双方の勢力範囲が赤と青で色分けされ、衝突のあった場所に戦車のマークが付けられている。

「昨日の夜に結構大きい戦闘があってな、こちらの戦車が3台やられたんよ」

「こちらって、どちら?」

「こちらは、えっと、この青い方」

「ふぅん……この、プラス1.5ってのは?」

「これは1・5平方キロメートルの陣地を取り返したってことで」

「取り返したってことは、取られとったん?」

「まあ、たぶん……」

「1.5って、多いん? 少ないん?」

「それは……」

 言葉に詰まった。アキとの問答を繰り返すうち、自分の中にいつからか生じていた、何らかのひずみが、少しずつ大きくなっていることに気が付いた。

「なんか、ゲームみたいよね」

 アキは頬杖をついたまま、事も無げにそんなことを言う。

「ちょっと前から流行っとうやつ。陣地に色塗りあって、多い方が勝ちなんじゃろ」

「これはゲームじゃない」

 叫ぶ、と言うほどではないけれど、少し大な声が出る。アキは不意を突かれて目をぱちくりさせた。ゲームじゃないんよ。もう一度小さく繰り返す。言葉の意味に嘘はない。でも口に出してみると、なんだかしっくりこない。すごくつまらない、手垢のついた、教科書に出てくるような表現に、私はどうして翻弄されているのだろう。混乱を押しのけるようにして、私は自分の生活に戦争が入り込んできた経緯を、詳らかに語って聞かせた。その間アキは前髪を指でつうと整えたり、爪の先を見たり、校庭を眺めたりしていたけれど、聞き終わると一言「ふぅん」と言って黙ってしまった。それはさっきとは違う、ちょっと真面目な時の「ふぅん」だった。

 授業が終わってから塾が始まるまでには、いくらか時間があった。同じ塾に通う私たちは、見つけた時間に菓子を買って食べるのが常だった。城山公園の側の和菓子屋で、いちご大福とういろうを一つずつ頼む。しばらく待っていると、店員さんは丁寧に包んで手渡しをしてくれる。いつもならば公園のベンチで適当に駄弁るのだけれど、その日のアキは「ひょうたん島クルーズに乗ろう」と言った。

 この町の中心は、複数の川に囲まれた中洲のようになっていて、その形から「ひょうたん島」と呼ばれている。そのひょうたん島を一周する遊覧船は、たまの観光にはちょうどいい娯楽であった。

「ええ、でも、どうして今ごろ」

「まあ、ちょっと目を覚ますためにさ」

 新町川沿いの船着き場まで自転車を飛ばすと、ちょうど次の船が出るところだった。百円を払い、ライフジャケットを付けて船に乗り込む。川面に合わせて船はゆるりと揺れる。お遍路の装束を着た外国人が数人と、子ども連れの家族が一組乗り合わせた。船は思いのほか大きな音を立てて滑り出した。

 両岸が青い石で装飾された新町川を抜け、Yの字型の三ツ合橋をくぐる。ここらの景色は味気なく思えたが、アキはむしろ喜んでいるようだった。

「見てミホ、家がみんな背中向けてる」

 言われてみれば、家々はみんな川の方に背を向けている。道路側が正面なのだから、当然と言えば当然だ。けれども長く住んでいて、初めて意識する景色は新鮮だった。

 城山を右手に助任川を下る間、アキは治水の話をそらんじた。川の左岸は右岸よりも低くなっている。かつて、川が溢れた際に広域の浸水を防ぐ目的で、遊水の工事がなされたのだという。アキは船のモーター音に負けじと解説を続け、側に座っていた家族が時折、感心したようにうなずいた。

「意外と長いんなぁ」

「一周三十分くらいあるらしいで」

「わりとでかいんやな、ひょうたん島」

 地元の大学の側を通り過ぎ、昔動物園のあった公園を眺めて、福島橋をくぐると県庁横のアリーナにたどり着く。視界がぱっと開けて、真正面に悠々と眉山が映える。

「気持ちえかろ」

 アキは眉山を見ながら言った。私は黙って頷こうとしたけれど、言葉はまだ続いていた。

「このひょうたん島が、ちょうど1.5平方キロメートルくらいなんよ」

 微笑みかけた口元がひゅっとひきつった。果たしてアキに他意はなかったのかもしれない。けれどもその一言は、私の見失っていた何かを呼び起こすのには十分だった。

 とてつもないものが頭上を滑空するイメージが、脳裏を駆け巡った。警報が鳴り響き、次いで眉山の背後から、尾を引いて3、4、5発とミサイルが射出された。驚いた鳥たちは山腹から一斉に飛び立った。船のモーター音は履帯を回す音へと変わる。右手の、城山のある方面が強く光ったかと思うと、少し遅れて低い轟音が体を叩く。見ればそこかしこにぬるりと黒煙が上がっていた。和菓子屋のあたりだろうか。背を向けた家たちは大丈夫だろうか。耳をふさぎかけた手を止めて、ぎゅっと握りこぶしを作った。たった一晩の出来事だ。今はその正体が、以前よりはっきりとした輪郭と、質量とを伴って見えるようだった。音は次第に遠ざかり、やがてガタンと揺れたかと思うと、船は元の、新町川の船着き場に戻っていた。桟橋でライフジャケットを脱ぎ、半時間ぶりの地面に足を付ける。地面は私が憶えているよりもずっと、ひんやりとして硬い。

「どしたん、酔った?」

 アキが心配そうな声でこちらに手を差し伸べた。私は首を横に振りながらも、素直に手を取った。胸のあたりがまだ少し苦しかった。出来事を自分の身体に落とし込む時、人は痛みを覚えるらしかった。

 塾へと向かう道すがら、私たちは自転車を押してゆっくりと歩いた。信号から信号までの数十メートルが、今はかけがえのないもののように思える。もし北の橋が落ちたら、西のダムが崩れたら、私たちはいったいどう振舞ったものだろうか。

「ミホはさ、県外の大学行くん?」

 狙ったようなタイミングでアキはつぶやいた。どうしてと聞くと、「そんな顔しとったけん」と言う。

「この町は、なんか、ぬくい水の底みたい」

 アキはいつかのまどろみを、ぬくい水と言い換えた。

「生存に困らない、いつまでも過ごしていられる温かい場所。でも昼間さ、思い知らされたんよね。うちが身のまわりの事しか見えとらん時、ミホは世界の事で悩めるんだ」

「そんなに立派じゃない」

「すごいよ、やっぱ。ミホは一度この町を出てみたらいいと思う。うちらと違ってさ」

「そんなに立派じゃないんだよ。まだなんにも分かってない。まだなんにも……」

 見上げた空はどこまでも青く澄んでいる。

 それだって目に見える範囲の空だ。

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第六回阿波しらさぎ文学賞の応募作品です。5000字程度。
結果は一次通過止まりでした。次頑張ります……!

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