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分岐点といえるほど大それたものではないけれど、人生の選択肢の話。

冬が近づくと街もスーパーマーケットもクリスマス装飾に飾られて、あっという間に年の終わりを感じさせる冬。

あの人生の分岐点で、タイミングで、電車に乗って、あるいは飛行機に乗って、または徒歩であの場所まで行って、あの人たちに会いに行って、もしくは偶然会って。たくさんの選択肢を選び決め覚悟を取ってきたじぶんの、現在の立っている場所をいま振り返って考える。

例えば、「ヴァンショVin chaud(ホットワイン)」という言葉を聞けば、アヌシーというスイス近くの街のマーケットでGenepi・薬草漬けアルコールを入れた強めのものを友人と飲んだ光景を思い出し、隣人のカップル宅で鍋で作って持って行ったものを暖かい部屋の中で飲みあれやこれや尽きることのない話をした景色が浮かび上がり、小さな寮のキッチンで友人と腹を抱えながらフルーツがたっぷり入った鍋からおたまでコップに注いだ深夜1時すぎの会合が頭をよぎり。

「ノエルNoël(クリスマス)」といえば、皆で手作りの美味しいご飯を食べながらプレゼント交換会をし、マミーに江戸切子のグラスをプレゼントして喜んでくれたこと、そして大事なものの棚(一軍棚)に飾り続けてくれたことが真っ先に浮かぶし、STAUBの肉焼グリルをあげたあの大切な友人を思い出し、友人家族宅でお昼から夜までフルコースの食事会をした上でマリオカートをしたりボードゲームをしたりして最高の贅沢を尽くし。

ひとつひとつの思い出が詰まった戸棚を開くと、とめどなく胸がいっぱいになる。
作家・須賀敦子さんが「ミラノの風景」を書いた理由に少しでも近づけたのだろうか。彼女はイタリアで、ミラノで出会った大切な家族や友人、あらゆるひとたちのことをいつまでも忘れずにいたい。書くことによって薄れていく記憶を留めておきたい。そうすれば永遠に褪せることはないから、そして彼らが生きた軌跡をほかのひととも分かち合える。彼女も執筆する前にはそんなふうに感じたのかもしれない。

全てのであったひとたちが、今も幸せでいてくれますように。そう願いながらわたしはまた人生の岐路に立つ。どうせ後悔は何一つしないだろう。心の準備は既にできていると襟を正して覚悟を決める、道を選ぶ。

なんだかんだ、散々文句を言ってもフランスのことが大好きなんだな。わかっていたんだけど、まあこういう愚痴を言えるのは愛情に他ならないし、文句を言っても離れないのはフランス人と似たようなもんだ。

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