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宇宙庭園とねずみ(9) バルティナ 

 5分ぐらいで、さっきの男の子が「お待ちどうでござる」と言って、バルティナを持って戻って来た。

 トッ、コトッ と僕たちの前に陶器のカップが並べられ、僕はそれに目を奪われた。
 ねずみの前に置かれたカップは、ちゃんとねずみサイズの小さなものだった。2つのカップにはどちらも〝ねずみ〟そっくりのイラストが描いてある。少し太っちょの、銀色の”はり”を持つ〝はりねずみ〟。

 まさか、この店のオーナーは〝ねずみ〟なのか? でなきゃ、これほどのエゴを振りかざせないだろう。ただ、イラストのモデルはともかくとして、カップは相当素敵のものだった。上品さと温かみがあって、そこに作り手の魂が感じられる。おそらく丁寧に一つ一つ手作りしたカップなのだろう。

「素敵なカップだね」と僕は感想を漏らす。

 ただ、ねずみは僕の感想には答えず、ぴょん とテーブルに飛び乗り、それからクールな感じでバルティナに口をつける。

 一口飲んで納得したように頷くねずみ。その姿は、どこかおっさんヽヽヽヽを彷彿とさせる雰囲気があり、僕は思わずニンマリした。本当に、このねずみは何者なのだろう? ずっと見ていても飽きない、むしろずっと見ていたい気分になる。

 それから僕も、いよいよ噂のバルティナを一口飲んでみる。

「……お、おいしい」

 コーヒーともココアとも違う。苦味と甘味が程よくブレンドされたそれは、僕の喉を軽やかに滑走していった。独特の香りは、深森を連想させる。森で育ち、森の恵みをギュッとつめこんだ特別な植物でできた飲み物、そんな感じがした。

 ねずみがドヤってくるかと思ったが、ねずみは何でもないよう顔で森を眺めながら、美味そうに〝バルティナ〟を飲んでいる。確かにこの飲み物を前に、理屈なんてどうでもいいのかもしれない。だから僕も黙って、バルティナをまた口にする。

 ────!! さっきよりさらに美味く感じるのは気のせいではない。飲む度に森が深くなって、その優しさに包まれていく、そんな感覚だった。

 ふぅーなんていって、ねずみはあっという間にブルティナを飲み切る。
 気持ちは分かる。バルティナには、喉の渇きをダイレクトに解決する、ビールのような爽快さが含まれている。1時間も森を歩いたんだ、喉が渇いていて当然だった。

 そこへ、そのタイミングを待っていたかの様に、先ほどの男の子がおかわりのカップを持ってやって来る。さっきとは違うデザインの陶器のカップ。ただ今回のカップにも、ちゃんとねずみのイラストが描いてある。

「気がきくんだな」と僕は言ってみる。

 それでもねずみは黙ったまま、新しいバルティナをコクコクと飲み始める。バルティナを知ったかぶったことを、まだ怒っているのだろうか?

「……バルティナはさ、僕の最高傑作だよ」

 2杯目を飲み干したところで、ようやくねずみが口を開く。

 〝僕の最高傑作〟? なんと、バルティナを考案したのは、ねずみということなのか? オーナーだったら、確かにメニューの考案するのかもしれない。しかし、これだけおいしい飲み物をつくるとは、大した才能だった。

「びっくりしたよ。ものすごく美味しい。君が何杯でも飲めると言った意味が分かる。僕だって何杯だって飲みたい!」

 そこでようやく、ねずみが笑顔をみせる。少し照れたような、バツの悪そうな笑顔。お世辞ではなく、素直な気持ちだったから、ねずみにそれが伝わり僕も安堵する。

「タクトを唸らしたかったからね。君と同じくらいの傑作を作りたかった。早く飲んでもらいたかったけど、君が飲むまで、随分とかかったもんだ。……まあ、結果的に満足してもらえたようで、良かったよ」

〝随分と長いこと〟……話の流れからすると、この店のメニューを以前僕も考案して、それが結構美味しかった。そして、ねずみは負けじとバルティナは開発し、僕に評価してもらおうと思ったものの、僕はずっと部屋から出なかった。そういうことなのだろうか?

「……すまない。でも、これ、本当に美味いよ」

 それから僕もバルティナを飲み干して、少し期待したけど、男の子はやって来なかった。

「待ってたら、おかわりをもらえるのかな?」

「……」

ねずみは質問には答えず、じっと僕の顔を見つめる。

「もしかして、お代わりは君だけの特権とか?」

 ぼくは苦笑いをしながら聞いてみる。

「……ねえタクト、バルティナもいいけど……どうだろう、モンドの復活として、タクトも新作を作ってみたら?……折角、クムラに来たんだし」

 ……モンドとはつまり、「新商品の開発」のことなのか?
 いや、いままでの話からするとモンドはもう少し大きな概念のように感じるのだが……。

「……あのさ、本当に申し訳ないんだけど……正直、モンドとは何か……どうやったらモンドができるのか、全く覚えてないんだ。冗談ではなく本当に」

僕は意を決して打ち明ける。もうこれ以上は誤魔化せない。

「……今はっきりしたけど、やっぱりタクトは記憶を失っているよね。それも大分。それを信じたくはなかったから、僕もずっと、明言を避けてきたんだけど……」

「……そうみたいなんだ」

 ねずみの顔が明らかに歪んだ。
 ねずみは森の方も向いて、両手で飲み干したカップをいじる。感情の整理をしている、僕にはそのように感じた。

「…………まあいい。理由はわからない。けど、それが起こっているなら、そういうことなんだ。ただ……今回外に出られたことはいい傾向だと思う」

「……うん」

 僕はなんと言っていいかわからず、相槌を打つ。

「でもだったら尚更、とりあえずモンドしてみるといい。ここなら比較的、モンドしやすいはずだよ」

「…………分かった。ただ、……まずどうしたらいいかな?」

 ねずみの期待には応えったかった。

「ミツルところに行ってきなよ」

「ミツル?」

「……さっきの男の子だよ」

「ああ、あの子はミツルっていうのか」

「……そう。キッチンにいるはずだから」

 ねずみがより一層、悲しい顔をする。僕が現実世界でも突然記憶を無くしてしまったら、やっぱり家族や友人は、こんな顔をするのだろうか。ただ、記憶を無くしてしまった方だって、やはり辛い。

「ちょっと行ってくるよ、頑張ってみる」

 そう言って、僕はねずみを残して、ミツルが消えて行ったキッチンに向かう。ねずみを傷つけてしまった心苦しさはあったけれど、ずっと嘘をつき続ける訳にもいかない。お互いに今の状況は正しく理解した方が、事態はより早く、良い方向に向かうはずだった。

 少し躊躇しながら、キッチンスペースに入る。ミツルが僕を名前で呼ぶからには、ミツルとも以前から面識があったと考えるのが普通だった。

 ミツルはキッチンの少し奥まったスペースでスナック菓子の準備をしていた。

「やあ、モンドするの?」

僕に気がついたミツルが、さっそくそう言った。

「……ああ、ただ─」

「やり方を忘れちゃったんだって?」

 ふたりはテレパシーでも使えるのか? ミツルはすでに状況を理解していた。ただ、ねずみと違って、その顔はそこまで深刻そうではなかった。

「残念ながら、そうみたいなんだ」

「でもタクトはモンドしたいんだよね? さっき、ねずみちゃんの〝バルティナ〟を飲んで、自分もモンドしたくなったんでしょ?」

「確かにそれはあるな」

 バルティナの感覚がいまだに口に残っている。
 森を感じる、素敵な飲み物だった。自分もつくれたら、そう思ったのは確かだ。

「だったモンドできるよ! ねずみちゃんはタクトの新作を待ってる。ここはいっちょ、ねずみさんを唸らしてやろう!」

「……うん、そうだね。ただ、モンド……というか、どうやって飲み物をつくったらいいのか……」

「作ろうとしている飲み物の名前は決まってるの?」

「名前?……」

「まずはそこからでござる!」

そう言って、微笑むミツル。その笑顔に僕の緊張も少しとれる。

「う〜ん……〝モプーア〟かな」

 しばらく考えて、僕は適当に思いついた名前を口にする。

「うん。いいね。じゃあそれはどんな飲み物?」

 続けて、ミツルが質問する。

「むずかしいなぁ」

「タクトが今飲みたいものでいいんだよ」

「今飲みたいのはバルティナなんだけどな」

 僕は正直に言った。

「ははは、バルティナは美味しいよね。ねずみさんがタクトの好みを考えて、タクトのためにモンドしたんだから、当たり前と言えば当たり前かぁ」

「そうなんだ……」

 ねずみはそんなこと一言だって言わなかった……。
 ここの世界の僕は、何故もっと早く飲んでやらなかったのか。誰をどう責めたらいいか分からないながら、胸が痛かった。

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