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昭和の記者のしごと⑪ニュースを作る

第1部10章“ニュースを作る“ 阪神淡路大震災の場合

首都圏にとって大問題を提起、答は阪神大震災の現場に


1995年(平成7年)1月17日、阪神大震災が発生した時、私は首都圏にローカルニュースを放送する部の責任者(首都圏部長)でした。首都圏としてどんな放送を出していこうかと考えました。誰でも思いつくように、首都圏であんな大地震が起きたらどうなるだろうかと、首都高速道路やガス網をチェックする企画の取材を指示しました。首都圏は安全か、というテーマで首都圏を取材するのです。しかし、切実なテーマなのに、実際にそうした企画を取材して放送してみると、さっぱり面白くない。説得力がなく、心を打たないのです。
 考えてみれば話は簡単です。首都高速道路について管理している公団に聞くと、「あれほどの地震が起きたら倒れます」とは言いませんが、「安全です」とも言いません。何も言わないのです。無責任というより、言う材料を持たないのでしょう。つまり、阪神大震災は、首都高速道路は安全か、という首都圏にとって重大な問題を提起しましたが、その回答を出すのは阪神大震災の現場であり、首都圏ではありません。どの程度の耐震性のある高速道路の柱が、どんな力を受けて倒れるのか、それを知る手がかりは現場にしかありません。

送り込んだ大取材団


そう考えて阪神大震災の現場に取材団を送り、その取材結果を首都圏で放送することにしました。取材団は首都圏部の記者に横浜、浦和、前橋など関東の各放送局の若手の記者、カメラマン、ディレクター、アナウンサー。これは若い人たちに未曾有の大災害の現場の取材を直接経験させるという狙いもありました。
最初に避難所の被災者を対象に緊急アンケート調査をすることにしました。地震直後、被災者はどう行動したか、何を持ち出したか、何が欲しかったか、今どんな悩みをかかえているかなど、首都圏の住民が今聞きたいことを被災者に直接聞こうというわけです。地震から3日目の19日から20日にかけて現地に入り、21日、朝から2ヶ所の避難所で一斉に聴き取り調査に入りました。
 調査用紙を片手に、私も19人取材しました。住んでいた木賃住宅が全壊、行き場のない1人暮らしの84歳のお年寄りから「大阪と九州に息子が居るが、息子のところには行かない。世話になりたくない、というのではなく、世話をかけたくない。世話になれるほど息子たちを好い目にあわしておらんもの」と言われ、その健気な気持に胸が熱くなりました。

“テーマを持った現地ルポ”


 「今後心配なこと」という設問の答の圧倒的多数が「住宅」でした。公営住宅に入っていた人が「今度は地震で壊れないようなしっかりしたものを造るよう、市によく言わなきゃ」などと、のんびり構えているのに対し、木賃住宅が壊れ、行き場のなくなった人や、多額のローンをかかえたままマイホームが壊れた人たちの絶望感は慰めようのないほど深かったのです。日本は福祉としての住宅政策に欠けているとか、住宅は公営のものを中心とし、必要な人が必要なときにはいるようにしなければならないなどと、さまざまな思いが浮かびましだ。
 息子の世話にはならないという84歳のお年寄りを始め、避難所に高齢者が多いのにびっくりしました。神戸が特殊というのではなく、日本には今、高齢者が多いのだと思い至りました。取材チームで相談して、高齢者に絞ったアンケート調査をすることになり、これは5本の全国放送の企画に結実しました。
 地震から8日たった1月26日付で現地の取材班に私から出した、激励メモが残っています。

「我々が目指しているのは“テーマを持った現地ルポ”なんだと思います。来週からの10回シリーズのタイトルを“阪神大震災で見直し!防災体制”としましたが、防災体制の見直しにつながるテーマを持って、現地をルポする、ということであります。そしてこのテーマを全国自治体の動き(関心、発想)の中から引っ張り出してくる、ということでありまして、各地の自治体の各地での動き自体は取材の中心ではありません。『現場は情報の宝庫』と言われますが、今回は特にそうであります。我々が取材すべき、伝えるべき情報は被災現場にしかありません」
 地域(ローカル)放送も地域の中に安住していたのではその責を果たせません。地域が求めるテーマの答えを求めて、どこへでも飛び出し、取材しなければなりません。そのことを痛感したのが阪神大震災の取材・放送でした。

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