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日本が高齢者の介護保険料引き上げへと進む裏事情

報道によれば、11月6日に開催された社会保障審議会(厚生労働大臣の諮問機関)で、65歳以上の介護保険料について、410万円以上の高所得者については引き上げ、世帯全員が市町村民税非課税となっている低所得者については引き下げる案が大筋了承されたとのことだ。
ただし、介護サービス利用時の2割負担の対象範囲の拡大については引き続き検討となっている。  
本件に限らず、最近、高齢世代の負担増が話題に上ることも多くなった。
これはどうしたことだろうか。

擬制家族としての社会保障制度

日本の社会保障制度の致命的な欠陥は、負担と給付の大きさを、支える側ではなく、支えられる側が決めることにある。
それは、1950年代、60年代の農村部に残存していた家父長制的な家族観が影響しているからに他ならない。  
つまり、日本の社会保障制度は、全国民を一つの家族であるかのように擬制して、家父長たる高齢者が子や孫にあれこれ指図する構図を、世代間の助け合いを美名の下に、制度化したものだ。  
伝統的に家族に重きを置くはずの保守的な政治家が、本来は家族を破壊していく社会保障を強力に推進してきたのは常々疑問だったが、社会保障に、伝統的な家族の幻影を見たからだとすれば、その疑問も氷解する。

社会保障は世代間の助け合いという欺瞞

そもそも社会保障を、老若男女問わない個人の本来のリスクに備えた助け合いではなく、世代間の助け合いとして矮小化し、制度設計した時点でボタンの掛け違いがあった。  
経済も人口も右肩上がりの時代にはなんとか取り繕うこともできたが、人口ボーナスが失われた90年代以降には、社会保障制度の困難が徐々に明らかになってきた。 
しかし、官僚機構の無謬性を守りたいがために、その失敗を認められないから、現行の社会保障制度の実質的な破綻に目を瞑り、弥縫策での対応に終始してきた。
そんななかでは、社会保障制度が生み出す世代間格差の存在は不都合な真実でしかない。  
世代間格差を指摘すると「社会保障制度は世代間の助け合いだ(から、世代間格差は存在して当然)」と問題の所在と影響を全く理解していないかのような紋切り型の批判しか返ってこないのも当然だ。

世代間格差解消策としての全世代型社会保障

ただし、実際には国も世代間格差の問題を認識はしているので、その対処策として出てきたのが全世代型社会保障である。
高齢世代への寛大な給付にはほぼ手を付けず、代わりに現役世代への給付を増やすことで世代間格差の解消を図ろうとしたのだ。  
しかしながら、高齢世代も現役世代も給付を受ける全世代型社会保障を維持するには全世代で等しく負担を分かち合う必要がある。
そのため、全世代が広く薄く負担する消費税をメインの財源として期待され、2012年の消費税法改正において社会保障目的税として位置付けられた。
この改正が「コンクリートから人へ」が叫ばれた旧民主党政権時代であるのも偶然ではなく必然なのだ。  
社会保障を支えるための消費税というコンセンサスが少なくとも政府や財界にはある一方、国民の間では大平正芳内閣の一般消費税以降、とにかく付加価値税の評判はすこぶる悪く、現在にもそれが続く。
その結果、本来は社会保障目的税と位置付けられる消費税で財源を賄うのが期待されているにもかかわらず、岸田文雄首相も早々に消費税の凍結を宣言したので、血眼になって消費税以外に財源を求めているのが現状だ。

結局、赤字国債頼み

しかし、経済の凋落と、異次元の高齢化、少子化が進行し、インフレも復活して利上げも射程に入ってきた日本にあっては、これまでのように赤字国債に依存するのは不可能なのは明らか。
だからこそ、国防力強化にしても異次元の少子化対策についても増税が検討されているのだ。  
そこで、先の社会保障審議会で検討された介護保険の例で言えば、所得の高い高齢者が狙い撃ちにされたという訳だ。
これは、介護給付の約75%は高齢世代が受け、負担の約54%が現役世代であるため、高齢世代の給付は高齢世代が負担するという世代内再分配の強化と評価できるだろう。
しかし、こうした特に高齢世代内の所得再分配の強化は、今後至る場面で俎上に登ることを覚悟しなければならないだろう。
今までであれば、社会保険料の引き上げに対して現役世代の拒否感は弱かったものの、五公五民の国民負担率や、岸田首相も最近手取り所得を重視する発言を繰り返したことで、かえって所得税よりも社会保険料の負担が重いことが白日の下に晒され、現役世代の抵抗が強まったからだ。

求められる社会保障サービス需要の適正化

要するに、擬制家族に必要なサービスを全て社会化していく全世代型社会保障の推進は、今後あらゆる方面に課題を発見し社会化(つまり、税負担化)していくのは必至なので、介護保険のみならず、これまでは見逃されてきた高齢世代の負担増も当たり前となるだろう。全世代型社会保障の負担からは誰も逃れることはできない。  
しかも、内閣府が経済財政諮問会議に示した試算によれば、2050年の1人当たり平均介護費が19年比で75%増の23万5000円に達するとの見込みだ。平均医療費も22%増の40万1000円になる。
同期間で20~64歳の現役世代は19年6925万人であったものが50年には5147万人と、19年比で▼25.7%と大幅に減少する。
このまま現役世代に負担増をそっくり負わせるのは不可能だ。  
こうした高齢世代も現役世代も負担増が嫌ならば、社会保障給付のスリム化を進めるしかない。  
社会保障給付をスリム化する有力な手段としては、先の社会保障審議会で介護保険に関して検討されている自己負担の引き上げが挙げられる。
現状では、言葉が悪いのは予め謝罪しておくが、高齢者向けの社会保障給付の多くが8割引き(自己負担2割)、9割引き(自己負担1割)で供給されている。  
所得の多寡にかかわらず原則3割自己負担である現役世代と比しても不公平だ。
そもそも経済学の原理に照らしても必要以上に医療や介護のサービスを受容する超過需要が生じているのは明らかである。  
社会保障サービスの値引き率を引き下げる(自己負担を上げる)ことで、社会保障サービスの需要の適正化を図るのが、社会保障給付を削減するはじめの一歩としては妥当だろう。

またもや増税眼鏡と言われる岸田文雄内閣総理大臣は、ここでも増税をしかけています。
この人は、経済政策をせず、増税で経済政策をしようとする馬鹿者ですね。
子供でも欲しいものがあれば、小遣いを遣わずに我慢をしたりするのに、大切な国のお金を無駄にバラマキ、国民に負担を与える。
まるで釣りの撒き餌さに騙されて、釣り針に引っ掛けられて釣りあげられて食べられてしまう魚、時には大きな網でガサっと引き上げられるのが日本国民というイメージでしょうか?
そして、国会に関する2020年度一般会計歳出予算各目明細書をみると、衆参両院の要求ベースの予算は、衆院が666億7254万円、参院は413億8903万円で、合計1080億6157万円にのぼり、これを365日で割ると、1日あたりの費用は2億9606万円となるのを国民の皆さんはご存じでしたか?
何のために国会議員は国会をしているのですか?と言いたくなります。
そして国会議員が国会に参加しなくてもお金が貰えるのですよ。
もっとまともな政治、議員により日本の経済改革を行ってもらいたいと思いませんか?


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