「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」フィリップ・K・ディック

本を読む際、わたしはなによりも「あとがき」を読むのが好きだ。特に海外小説の場合、訳者によるあとがきに共感できればできるほど、その小説を読んでみたくなる。だから、「あとがき」から読むこともしばしばだ。
 
今回の浅倉氏は、ヴォガネットの「タイタンの妖女」も手掛けた訳者で、ぶっ飛んだ設定のSFモノが好きなんだろうな、と勝手に推測する。
 
浅倉氏によれば、小説家ディックの考え方は、「人間特有の能力とは感情移入する力である」と言うところに集約される。人間vsアンドロイドという物理的な違いを軸に据えるのではなく、人間性(=他人への共感)vsアンドロイド性(=無関心)という構造を、SFを題材に描いているという。
「電気動物にも生命はある。たとえ、わずかな生命でも。」
という主人公のセリフは、アンドロイドも親切心を持ちえるし、ディックはそれを人間性と捉えるという表明だ。
 
 
その考え方の他に、尚この小説になにか違うものを
感じる要因は、自信を持って確立された世界観にあるだろう。出てくる設定・小道具の、なんとリアルなこと。
サイエンス・フィクションでありながら、ハリー・ポッターのようなファンタジーであるとも言える。だが、ハードボイルドな語り口。アンドロイドを追い、追われ、息もつけない急展開のアクション・スリラーでもある。
色んな要素が詰め込まれすぎてて、最初は置いて行かれそうになる。
 
とにかく、今までに出会ったことのない小説だった。 
ちょっと力尽きたので、続きはまた今度にするが、
是非読んで頂き、これを話題に語り明かしたい作品である。

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