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新旧対立のその先に。人間が作る社会に向かう中で何が求められるのか(文化の読書会:キンステッド『チーズと文明』(9)「新旧両世界のあいだ 原産地名称保護と安全性をめぐって」)

Cheese and Culture: A History of Cheese and its Place in Western Civilization
By Paul Kindstedt

日本語訳はこちら。

今回は第9章「新旧両世界のあいだ 原産地名称保護と安全性をめぐって(The Cultural Legacy of Cheese Making in the Old and New Worlds)」を読んでいきます。

読書メモ

原産地名称保護と安全性という2点のケースに表れる新旧世界の違いについて。

原産地名称保護

アメリカ側の意見
・ヨーロッパからの移民が自国のチーズをアメリカに持ち込んだのが始まり
・以来長い年月が経っており、土地の起源というよりもチーズの製法に正統性を見出すべきである

ヨーロッパ側の意見
・気候や風土といった土地の環境と、土地の民族によって受け継がれてきた技術や習慣が、食べ物の特徴や質を決める(テロワールの中心概念)
・土地の伝統的な食は、その土地以外で生産することは出来ない

<原産地呼称の流れ>
1919年 フランスでAOCワインの設立
1925年 フランスでロックフォールチーズがAOCに→食べ物へも適用

GIチーズ
フランス、イタリア、スペイン、ギリシャで多い
:ローカルな農民文化が20世紀まで続く
イギリス、オランダ、デンマークでは少ない
:19、20世紀で食の工業化が進んだ

原産地名称保護は食のマーケティング問題とも絡み、新旧世界を分断
Cf. パルミジャーノ・レッジャーノ

生乳とチーズの安全性

アメリカ側の意見
・食品の安全性確保のために生乳はチーズ製造から排除すべき
;食の工業化を推進し、進歩の名の下に伝統製法を排除してきた歴史

ヨーロッパ側の意見
・チーズの特徴を決めるのは生乳なので、生乳をチーズ作りから排除できない
;伝統的な食文化を持ち、食の工業化を疑問視してきた歴史

等価性の原則
一方のルールにもう一方も従う必要がある
しかし、近年消費者の動きも無視できなくなりつつある

<消費者の動き>
・アメリカでも、技術至上主義で低価格志向の工業的な食に対して疑問視する声が市場に出てきてきる
・持続可能な農業、動物保護、オーガニックな食、職人の生産物、平飼い、牧草飼育などの高まり

文化の動きは食のシステムにも変化を与えるけれど、経済面での現実もある。今後どうなっていくのだろうか?

私見

新旧対立のその先に

アメリカVSヨーロッパ、新旧対立を見ると、ぱっと見ではヨーロッパの勝利に見えます。

チーズもそうですが、本書が書かれた2012年から10年経った今、工業的な食に対する嫌悪感はより多くの人が共有する感覚になってきました。オーガニックやサステナビリティやアルティジャナーレなどのキーワードは食の領域にますます入り込み、’感度の高い人々’や’マダム’たちのものであった食の選び方は、’普通の’私たちにも広まりつつあります。

もう少しレイヤーを上げても、ルールメイキングではヨーロッパが世界をリードしているように見えますよね。

しかし、この動きの下に渦巻いているのは、社会構造の変化だと思います。

「ラグジュアリー」からのヒント

たまたま本読書会に参加するきっかけになった『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』のレビューを読み返しており、ヒントになりそうなことをメモがてら引っ張ってきます。

<ラグジュアリーの未来>
これからは、「違い」の中に「上」「下」の構造がなくなり、透明性が高まり、個々の人間らしさが尊重される社会になっていきます。
その中で、豊かさや魅力的な美として目に映るのは、フェアで開かれた包摂性があり、人間の尊厳や内発的な感情が大切にされた結果として生まれる創造性であるのです。

つまり、こうした社会構造の変化で人々の文化的価値観が規定され、個人の内発的な感覚や審美性がものを選ぶのに最も重要なファクターになっているわけです。

話が飛びましたが、何が言いたかったかというと、チーズの未来を考える上で、新旧対立を議論しても、もはやあまり意味がないと思うわけです。

国家の入れる余地が少なくなり、個人の選択の幅が広がっていくからです。

そこで、大切になってくるのは何か。

「フェアで開かれた包摂性があり、人間の尊厳や内発的な感情が大切にされた結果として生まれる創造性」を持ったチーズ、これを見つけるのは、私たち一人一人のミッションであり、楽しみだというわけです。

「バナル文化主義」なるもの

これは私が今思いついた造語ですが「Banal=大衆の、ボトムアップの」な文化構築にもっと注目していくべきだと思います。

ここでいう原産地呼称制度や安全性や、食の文化遺産や、これらは基本的に全て国や機関が食を守るものとして、トップダウンな見方から生まれています。

しかし、文化というのは、もっと人々に密着したものでしょう。

そういう意味で、もっとボトムアップから食にアプローチする議論をしていくのがこれから求められるものだと思うのです。

Banalというのは、Banal nationalism(日本語訳では「日常のナショナリズム」?)からヒントを得ています。
マイケル・ビリッグの有名な議論ではありますが、nationが何気ない日常生活においてこそ再生産されているという考え方は、文化にもまさにそのまま当てはまります。

だから、チーズも然りで、パルマとレッジョだからパルミジャーノレッジャーノなのではなく、その農民がどう文化を作っていったのかの議論が必要だと思うのです。

そのコンテクストが正当性を生み、消費者の心の選択を決める時代に来ていると思います。

「文化の読書会」も今回で最終回!

とっても学びに溢れて楽しい時間でした。また別の面白そうな本がございましたら呼んで下さい。

今後ともよろしくお願い致します〜!


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