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古代ローマ帝国は多層の文化を吸収して出来た大帝国。チーズも然り。(文化の読書会:キンステッド『チーズと文明』(5)「ローマ帝国とキリスト教 体系化されるチーズ」)

Cheese and Culture: A History of Cheese and its Place in Western Civilization
By Paul Kindstedt

日本語訳はこちら

今回は第5章「Caesar, Christ, and Systematic Cheese Making(ローマ帝国とキリスト教 体系化されるチーズ)」を読んでいきます。

読書メモ

エトルリアの起こり

BC5000年頃 イタリアに近東から穀物栽培と畜産が伝わる

BC4世紀ー3世紀 畜産の中で肉以外の製品の重要性増加
:遺跡物よりチーズ生産の痕跡が見つかっている

エトルリアでは、家畜の季節移動とミルクボイラーの使用が行われるようになる

BC2世紀 低地での人口増加→アペニンでの放牧&チーズ作りの開始
:イタリア独特のミルク・ボイラーによるリコッタ・タイプのチーズ作りが行われる

BC2世紀 チーズ生産と豚の家畜の循環
:リコッタ作りの過程で出たホエイが豚の餌になっていた

エトルリアの変貌

BC1400年頃 中央ヨーロッパの骨壷墓地文化がイタリアに伝わる
...影響:金属と陶器の使用
:北から南へ

BC1500年頃 ギリシャのミケーネ文化がイタリアに伝わる
...影響:交易と植民
:南から北へ

ギリシャの舶来品がエトルリアのエリートへ吸収される

骨壷文化とミケーネ文明による文化輸入がエトルリアを村から都市へ変貌させた

チーズの下ろし金と熟成ペコリーノ

チーズ作りの変化はティレニア海沿岸から起こり、それからアペニン山脈、東へ

BC1世紀 道具はチーズ・ボイラーからチーズ削り機へ

:リコッタ・タイプのチーズから、レネット凝固タイプのチーズ作りへ
:ペコリーノやカプリーノのチーズ...ローマ時代の主要チーズ

ローマとケルトの台頭

紀元前6世紀 エトルリア人の南への拡大

ローマ占拠により、原始的な定住から都市文明へ
:ローマ人によるエトルリア文明の吸収+ギリシャ植民からギリシャ文明の吸収

BC6世紀 エトルリア人の北への拡大

ポー川流域まで領域拡大
:ケルト族との接触

ブロンズ時代の終わり 馬を使うケルト族の台頭

BC1000ー800年 ケルト族の大移動
:ハンガリー平原まで移動によって領域を拡大

これにより、ケルト族がエトルリア人、ギリシャ人との貿易を行う
・ギリシャ・エトルリアから:青銅や鉄の武器、食器、陶器、ワイン、ギリシャのエリート文化
・ケルトから:チーズ、金属、ウール、サラミなど

ケルト族は中央ヨーロッパで行われていた牧畜によるチーズ生産に優位性を持っていた
→ローマ時代にはマッサリア街道を通じてローマにチーズを輸出していた

ローマによる支配

BC5世紀〜3世紀 ローマ人はエトルリア人との戦いに勝利し領地拡大
:戦勝→植民地化のパターン

一方、脅威も存在
:北にはケルト族、
 南にはギリシャ植民、BC3世紀前半の征服の後はカルタゴ

カルタゴとのポエニ戦争により土地が荒廃しローマの農業は変化
→チーズ作りも変化

農業の移り変わり

紀元前1世紀 低地では小麦栽培が拡大→人口増加
→土地の疲弊→高地の耕作→低地農業へのダメージ
→小農民による伝統的な農業(小麦栽培+羊と山羊の牧畜)はダメージ

ここに、ポエニ戦争により致命的なダメージ

小麦栽培はイタリア半島からシチリアへ
:シチリアは重大な穀物産地に

:シチリアからの安価な穀物によりローマの穀物生産は崩壊、
 ローマの主要産業は牧畜業へシフト

第3次ポエニ戦争以降 奴隷がローマとその郊外へ

これにより、富裕層にとって、破壊された土地における穀物生産よりも、オリーブオイル、ワイン、肉、チーズが魅力的な生産物に

ローマの農業は、小生産者による混合農業から、Latifundiaと言われる主要生産物(オリーブオイル、ワイン、畜産物)の特化型へ変化

※カトー(BC170年)からコルメラが大規模農業への指南書を書く背景

人々に上質な食べ物を カトー

Marcus Porcius Cato(234ー149BC)
ローマ初の農業家
ローマ郊外の農家の生まれ育ち

・大農場主向けの農業マニュアル’De agri cultura’

・大農地におけるオリーブプランテーションと羊の牧畜について記載

・Caseus aridus (ドライチーズ)とCaseus mollis(ソフトチーズ)はローマ帝国におけるチーズの2カテゴリーであった

・全てチーズを使ったケーキのレシピがある

:ギリシャ社会と同様ローマ社会においてもチーズのケーキは重要な役割を果たすとともに、ギリシャ文明の取り込みを示す
Ex チーズケーキが振る舞われる宗教儀式についても記載

:Placentaという巨大なケーキの記載
Ex チーズは初めに繰り返し水に浸けられる

:チーズを使った料理は全てハイダイニングや贅沢品

・新たにローマ帝国の一部となったシチリア料理がローマ帝国の料理を洗練

チーズ製造の詳細を記したウァロ

Marcus Terentius Varro (116-28BC)

・アペニン山脈の高原への夏の群れの移動について、管理方法など記載

・チーズ生産のための搾乳と羊毛はトレードオフ
 →チーズ作りは5月から夏にかけて

・レネットの凝乳によるチーズ作りについて、量を初めて詳細に記載
;子やぎや野うさぎのレンネットを推奨、Fig Sapと酢の組み合わせ

・Ficus Ruminalis(ローマのイチジクの木)に関するチーズ作りの記述

チーズの品質管理が重要だ コルメラ

Lucius Junis Moderatus Columella(4-70AD)
南スペイン出身
Res Rusticaを60年頃に記載

・チーズ作りの過程について初めて全てを記載し、品質管理の重要性を強調
;チーズ用の牛乳は純ミルクで、できる限り新鮮なものを

・ホエイ除去の重要性の記述

・カードの水切り、押しつけ、塩入れのステップと、熟成期間の環境条件についても詳細に記載

・同じベースのチーズを用いて異なる味のチーズを作る
→異なる顧客のニーズに応えることで売上を上げるマーケティング

・軽く押しつけられ、表面に塩入れがなされたローマタイプに似たチーズに、「ハードプレス」チーズが加わる
;凝乳の直後に熱い湯がカードに加えられる
…ローマ帝国のチーズ生産者が熱入れを行っていたことを示す

・この時期にはイタリアのいくつかの地域でチーズの評判
;Martialが彼の好みのチーズをリストアップ、4つの国内産チーズ(Vestine, Trevula, Smoked Velabrum, Luna)

大型チーズの出現

小型チーズ
:生で、軽くプレスされ、表面に軽く塩がかかり、水気の多いフレッシュチーズ

大型チーズ
:初期の水気を抜く必要があるので、高温and/or高圧で処理を行う、ドライ熟成チーズ

ケルト人の奮闘

ケルト族も高温高圧のチーズ技法を用いていた
→ローマはケルトの山のチーズを多く輸入
Cf. Vetusican cheeseはローマで最も人気

Galenによる健康の観点でのチーズの3分類
・熟成ドライチーズ<水気の多い生チーズの方が健康には良い

Vetusican cheeseは、中世になると記述が現れるアルプスで生産される大型熱入れチーズの先駆け

Luna cheeseでは、カードに塩を入れ込む技術が使われていた

帝国の融合

大型チーズを初めて試したのはケルト族(彼らの生業は牧畜)
;大型の火入れしたチーズ、事前にプレスしてカードを砕いて塩入れしたチーズはケルト族の移動放牧に適していた

ローマ帝国によるケルト族の征服、植民地化により牛のチーズ作りはヨーロッパ中に広まった

チーズと異端

初期ローマ帝国時代におけるキリスト教の勃興と帝国による迫害が行われる

勅令によって759カテゴリーのコモディティが規定される
2カテゴリーがチーズ(ソフトチーズとハードチーズ)

ドライチーズは魚部門に属す
:魚のソースにおける擦りチーズ、パンと一緒に食べるもの

ソフトチーズはフレッシュ産品に属す

キリストが公認、国教化されるとカトリックは西側諸国の文明を形成
→ヨーロッパ中の新しいチーズの発展を媒介していく

感想

エトルリア人のミルクボイラーによるリコッタタイプのチーズ、ケルト人による高温高圧の大型チーズ、彼らに影響を与えていたギリシャ人による全時代からのチーズ文明(ケーキやソース)、それらを吸収したローマ人のチーズの知見。それがキリスト教による体系化されていく。とそれぞれの民族の歴史がチーズを通して有機的な繋がりを持っていくのが非常に興味深い。

現代では、チーズの専門家などでさえ製造過程や産地で分類して利きチーズをすることがほとんどだが、本来であればこのように2500年歴史の奥行きを楽しむと新たな意味が付加されると思った。チーズや食事を楽しむということが最終目的だとするならば、舌先だけで楽しむよりも悠久の歴史を感じる知的刺激をも楽しむことが、これからの食の楽しみ方の1つになっていく。

また、研究者としては、コモディティを起点にした学問的な題材も豊富であり、こうしたアプローチは一度挑戦してみたいテーマである。
チーズ1つを見ても、当時の技術レベル、文化の接触や融合、歴史書に見る人々の食の概念や習慣などの切り口から、考古学、文化人類学、歴史学と分野を横断して研究ができる。

次回はいよいよ中世のチーズ作り。楽しみである。

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