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マリーナピエトラサンタの豚

※本投稿は雑誌「1番近いイタリア」2020年秋号の巻頭エッセイの抜粋です。

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カラフルな花の市場が催され、暖かな春の日のお昼時、海沿いの屋台は混みあっていた。屋台の前の小さなスペースには、所狭しと小さなテーブルとイスが広げられ、席取り合戦に走る人、注文した食事をそろそろと持って歩く人、食べ終わって外に出ていく人、合間を縫うように人が行き来している。

イタリアでは例外的に早く、正午よりちょっと早めに食事を始めた私たちは、ピークに巻き込まれずに食事を終えた所で、ジェラートでも食べに行こうと立ち上がった。その時、一緒にいるマウロが「あそこにいる男性に声をかけてみて、日本人だと思うから」と言ってきた。いやいや、こんな所に日本人なんているわけがない、そう思って目をやった。目が合ったので会釈した。それが、私がお世話になっている「ノンノ(イタリア語でおじいさん)」との出会いだった。

ここはマリーナピエトラサンタという、トスカーナの海沿いの町。フィレンツェから西へ80㎞に位置し、メディチ家のお膝元であり、かのミケランジェロもピエトラサンタの大理石を使ってダヴィデ像を作った。というと、おお!となるが、イタリアの町はどこもこうした固有の歴史を1つや2つは持っていて、海の綺麗さならばアドリア海や島の海にはかなわないし、ルネサンスならばルッカやピサやフィレンツェと、周りに有り余るほどある。要は、大理石関連の仕事でもしてなければ、観光客がわざわざ選ぶことはない町だ。99.9%の日本人は聞いたことのない町だろうが、私もその1人だった。その聞いたことのない中部トスカーナの町が、北のミラノ近郊の町パヴィアからくるマウロ一家と、南のローマを玄関口にイタリアに入った私の集合地点となった。例によってイタリアらしい決定の仕方である。ランダムだが、合理的だ。

マウロ一家は私がはじめてイタリアの地に降り立った時以来、お世話になっている家庭だ。マウロは典型的なイタリア人で、全てのことを笑いに変える術を持つ。例えば、宝石店でショーケースがあると、ショーケースを抱えるようにして、引っ張る真似をして、「僕のだから持って帰らなきゃ、どうも重いのだけど」という。馬があったのでしょう。そんなジョークに大ウケする私をとても可愛がってくれて、イタリア人がごく当たり前にするように、色んな友達と引き合わせてくれて、私をぐいっとイタリアに引き込んでくれた。

この日は、午前中は一家と海で遊び、ランチはふらっと海辺のポルケッテリア(豚の丸焼きのポルケッタをパニーニなどに挟んで出す店)に入った。もともとは、ホテルのオーナーがおすすめしてくれた海の幸で有名なレストランに行く予定だったのだが、歩いて着くまで待てなかったのか、豚の香りに誘われたのか、海沿いの季節屋台のようなお店の前を通ると「ここでランチをしようか」と、私達は青空テーブルに席を取った。これまたイタリア気性である。あっさりと予定を変更して、気分に従う。

そして、食べようと思っていたはずのボンゴレスパゲティや海老の炭焼きはすっかり忘れて、目の前の豚の丸焼きの薄切りを大いに楽しむ。これはある意味イタリア人の得意技で、ラテン人としての先天的な気質なのか、予定調和と縁のないこの国で磨かれる後天的なスキルなのか、この手の楽しみ方に長けている。以前、国境近くの町に住む友人宅に泊まり、スイスにドライブに行った時のこと、朝9時出発は10時になり、ここまでは予想通りだが、走り始めて5分でバールに寄ってコーヒーを飲み、面白いお土産屋に寄り、またバールに寄り、と、普通に行ったら1時間半で着くところ、いっこうに着く気配がない。その時にその友人が言った。「目的地に着く事が大事なのではない、過程を楽しむ事が大事なのだ」と。ポルケッテリアに入る時、ふと瞬間的にその時のことが思い出され、肩の力が抜けた。

こうして、我々は大いにポルケッタを楽しんだ。5月初旬の穏やかな太陽の光が降り注ぎ、ワインが心地よくまわり、私たちは良い気分で席を立ち上がった。すると、マウロが出し抜けに「あそこに立っている年配の男性は日本人だと思うから、声かけてみなよ」という。私は、いやいやこんな所に日本人なんているわけないから、とランダムなマウロをまともに取り合わない。大体、日本人なら見た目でわかる。年配の方は団体旅行で来ることがほとんどで、それにしては観光バスが止まるような場所ではなく、さらにせっかくの観光で訪れた大事な1食をこんな屋台で食べることは到底考えられず、さらにポツンと1人で立っている。

それなのに「He looks interesting」とどうしても言うから、私は近寄ってちょっとはにかみながら「Sei giapponese?」と聞いた。すると「Si」と返ってきた。私は予想外の答えに混乱し、「Are you japanese?」と今度は英語で聞いた。すると「Si」と返ってきた。どっこい、日本人という。そこからは混乱と興奮で、英語と日本語とイタリア語が混じった会話をした。彼と彼がお世話になっている一家はこれから食事をするところだったので、Facebookをやっているのかと聞かれ、やっています、と名前を残してその場を去った。

Wifiもない中で名前だけ伝えたので、その後繋がるかどうかも分からない。帰国後すぐに迎えたお誕生日に、恵比寿のミケーレでハートのPizzaにろうそくが立ったプレゼントを頂くとも、その次のお誕生日に、この土地で作られた大理石のPizza板を頂くとも、もちろん予想していない。彼は石屋の二代目で、50年前、20歳の時に単身イタリアに渡り、大理石で有名なこの地で石を学び、事業にしたのだった。

あの日からだいぶ月日は経つけれど、その後何度乾杯をし、どれだけ他愛もない話をしたことだろう。その中にヒントがどれだけあったことだろう。あの日我々が吸い寄せられたポルケッタを仕合わせだと思う。神は正しいめぐり合わせをくれるものだと。

飛べない豚はただの豚という。そうだろうか?今振り返れば、あの日の豚は少なくとも私に重要なことを教えてくれている。予定を云々立てるよりも、決めたものを楽しむことがよっぽど重要であること。そして、人生を豊かにするのは、人との出会いの1つ1つであること。そして、人との出会いは選べない。だから私は目の前の人、自分が出会ってきた人を大切にしたい。それが私が前に進む原動力となるから。マリーナ・ディ・ピエトラサンタの豚は、私にそう教えてくれた飛べない豚だった。豚はトスカーナでは肥沃の象徴だという。確かに少なくとも1人の人生を、少し豊かにしているようだ。

※この記事は刊行する雑誌「1番近いイタリア」の2020年秋号の巻頭エッセイの抜粋です。


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