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図書室の幽霊だった私と、私の文を褒めてくれたあの子の話。

私は今17歳の女子高生だ。
紆余曲折を経て今は地元から少し離れた通信制高校に通っている。

今こうしてnoteに書いているように、私は文章を書くという行為が好きで好きで堪らない。将来は作家業を生業にしたいと思えるほど、思わせてくれるほど、文章は私を虜にした。

私は幼い頃から文学と文章、言葉といったものが好きだったと記憶している。母から、私が3歳くらいの時、私があまりにも物音も立てずにいるものだから、心配になって覗き込んでみると、私は静かに家の本棚の近くに座り込んで聖書を読んでいたという話を聞いたくらいだ。
聖書を読んでいた時の記憶は朧げにしかないし、
その当時果たしてしっかり文字を読んで理解できていたかどうかは自分でも分からない。ただ、父も母もカトリック系の幼稚園を出ている為、聖書のようなキリスト教関連のものに幼いながら興味を抱いて、それを本棚から手に取るに至ったのだろう。

そしてその文学好きは、幼稚園、小学校と上がっていっても変わらなかった。小学生になってからは学校の図書室をすっかり気に入り、休み時間になればすぐに図書室に走り、本を貪るように黙々と読んでいた。様々な本を読む度、わたしもこんな風に人を心躍らせるような文章を書きたいと強く思っていた。

小学1年生から中学1年生の辺りまで、クラスメイトから酷いいじめを受けていた私は、図書室に通って独りで本を読んでいることを、周りに馬鹿にされる事もあった。

昼休み、誰もいない図書室の本棚の影に隠れるように座り、一言も発せず本を読む私の姿は、いじめっ子たちには不気味に思えたようで、

「幽霊みたい」

とからかわれる事もあった。

自ら命を絶つことを考えるほど追い詰められたが、それでもなお、大好きな図書室に通うことはやめなかった。

あの図書室の、紙の匂いと静けさが肌に合っていたし、何より、本棚の隅っこで寂しそうにしている、もう何十年も借りられていないような古ぼけた本を読むのも楽しみで大好きだった。
 なんだか、図書室の全てを、私だけが知っているような気がして。

幽霊だのお化けだのと揶揄されることは、その当時こそ傷ついたが、今となっては、" 図書室の幽霊 "だなんて素敵な通り名をくれたな、とこれ以上ない名誉のように思っている。

さて、こうして図書室に6年間毎日通っていたと言っても過言ではない私が、タイトルにもある
" あの子 "にどのように出逢い、どのように変わっていったかを話そう。

あの子── 仮にYちゃんとでもしようか。

Yちゃんは、小学4〜5年生の頃にクラスメイトだった女の子だ。ほわほわとした雰囲気で、話し方も声も佇まいも全てが穏やかで、笑顔が素敵な優しい子だった。

Yちゃんは私と同じく物静かで落ち着いた子だった。故に性格の波長こそ合うんだろうな、仲良くなりたいな、と密かに思っていたものの、当時の私は拒絶されるという最悪の想定ばかりをして、自分から声をかけることは出来なかった。

だが、授業で同じ班になった時は、彼女の方から話しかけてくれて話すことも多々あった。
いじめっ子たちは皆私のことを避ける中、唯一Yちゃんだけは私の近くに居てくれた。
彼女の優しさは身に染みて知っていた。理解していた。

ある日のこと、国語の授業で、ストーリーを自分で考え、その絵と文を画用紙に書いて絵本を手作りするという単元があった。

当時の私は、雨の中、深い森で迷子になった愛犬を探しに行く少女の冒険譚を絵本のストーリーとして考え、絵本を制作した。

だが、いじめっ子たちからは

「つまらない」
「面白くない」

と口々に悪口を言われた。

確かに彼らからしたら面白くないかもしれないけれど、私だって一生懸命考え、頑張って書いたのだ。いちばん大好きな文章を書くことを、こんな稚拙な否定されたのが悔しくて、悲しくて、泣きべそをかいた。ぐっと堪えたけど、それでも少し泣いてしまった。

その時、ふと、優しい声音が聴こえた。

「◯◯ちゃん(私の名前)、その絵本読ませて!」

Yちゃんだった。

いじめっ子たちが私をからかう声が止む。途端に私の頬を伝いそうになっていた涙が引っ込んでいった。彼女は、いじめっ子たちが乱暴に扱っていた私の絵本を、まるで繊細なガラス細工に触れるかのように開くと、そのまんまるの可愛らしい目を見開いて、絵本の世界に見入ってくれた。
その絵本はわずか数ページだったが、Yちゃんはそれら1ページ1ページを丁寧に読んでくれた。

私は一度引っ込んだ涙がまた零れそうになるほど
感動した。初めて自分の書いた文章が人に受け入れられた瞬間だった。

絵本を読み終わった彼女は私の方を見ると、
くしゃっと笑って、

「◯◯ちゃんは、すごいねえ」

と言ってくれた。
その笑顔に救われた気がした。
私は褒められるのに慣れていなかったので、彼女の言葉にきょとんとしていると、彼女は続けて、

「◯◯ちゃんの絵本、ものすごく面白かった!」
「きっと◯◯ちゃんは、将来小説家になれるね」

と真剣な眼差しで言った。

その時私は心の中の何かがすとんと腑に落ちて、
自然と、「ありがとう、私、小説家になりたい」と彼女に返していた。

きっと私は、文章で人を喜ばせたかったのだ。
文章を通して人を愛したかったのだ。
私から不意に零れていた、「小説家になりたい」は間違いなく本心だったのだ。

Yちゃんは、

「◯◯ちゃんなら、素敵な小説家になれるよ」

と私の決意表明を聞き届けてくれた。

あの日、私の中で何かに火がついた。
そのライターになったのは、
間違いなくYちゃんだった。

あれから" 図書室の幽霊 " だった私は、独りぼっちではなくなった。Yちゃんという読書仲間ができたからだった。Yちゃんとは本の趣味が合ったのもあり、昼休みの度にふたりで図書室に繰り出しては、まだ知らない本を探しに行ったり、同じ本を読んでお互いの好きなシーンを言い合ったりしていた。幸せだった。

だが、彼女は6年生に進級する時に、親御さんのお仕事の都合で転校してしまった。

私の地元は東北某所だが、彼女は果たして東北のどこかに行ったのか、それとも東北を離れて遠い地に行ったのか、それは何故か全く覚えていない。

卒業アルバムの個人写真にも彼女の写真はなかった。せめて転校前の時期の写真はないかとアルバムから探したが、どれもぼやけていて彼女の顔が鮮明に写っているものはない。

唯一彼女と私が揃って写っているクラス写真も、恐らくいじめっ子たちも一緒に写っているという理由で捨ててしまったと思う。

ただ、転校する時に彼女が、ピンク色の可愛らしい鉛筆をくれた事だけは覚えている。その鉛筆も、短くなって握れなくなるまで使い込んだので今はもう無いが。

今となっては、私と彼女の思い出は、微かにこの頭の中にしかない。そんな彼女の顔も、モヤがかかったようにぼやけて、鮮明には思い出せない。

ヒトは忘れる生き物だ。どんなことも、時が経てばいつかは忘却してしまう時が来る。
彼女のあの言葉だけは、一生忘れないだろうけれど、それでもいつか彼女を忘れてしまう時が来るのではないか、と不安になる。

いつか彼女にもう一度会えたら、なんて思ってしまう。どうか、あの子を思い出にしてしまう前に。

でもそのいつか、はきっと来るよな。

今日も私は、Yちゃんが認めてくれた文章を書く。きっとそう遠くない未来で、今度は小説家として、彼女に胸を張って会えるように。


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