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フジファブリック・志村正彦と、19歳のわたしのこと。

ふと思い立って書きたくなったので、書く。

今までこのnoteではわたしの過去の話だとか、それに付随する思考とかナンバーガールの話とか、そういったものしか書いていなかったのだけれど、今回になって初めてわたしの"人生の指標たる大好きな人物"のことについて書こうと思う。

その人物とは、ロックバンド・フジファブリックのボーカルギターであった、故 志村正彦氏である。 わたしが大好きで心の底から人生の指標にしたいと思った数少ない人物のうちのひとりだ。

この記事をご覧になっている皆さんのほとんどは、おそらく志村正彦氏あるいはフジファブリックのファンの方であるとは思うが、改めて志村氏について説明しておく。

志村氏は1980年7月10日生まれ、山梨県富士吉田市出身。フジファブリックの前ボーカルギター担当。2009年12月24日に29歳という若さでこの世を去った。生前はフジファブリックの殆どの楽曲の作詞作曲を担当していた。

なお、フジファブリックそのものは当時ギターコーラス担当だった山内総一郎氏が志村氏の遺志を継いでボーカルに転身し、遺された3人のメンバーが今も活動を精力的に続けている。わたしは現在のフジファブリックも大好きで、語りたいことは山々だが、今回は志村氏にフォーカスを当てることを目的に書いているので都合上ここまでの説明とさせて貰う。

さて、話は志村氏に戻る。
わたしがフジファブリック、そして志村正彦という存在をいつ頃から認識していたかは覚えていない。ただ確かなのは、YouTubeで『若者のすべて』のMVを何の気なしに開いて、そこから惹き込まれていったこと。そのMVでアコースティックギターを演奏しながら歌声を響かせる志村氏の姿を初めて見た時、「ああ、なんて儚くて綺麗な人なんだろう」と、お恥ずかしながら真っ先に彼の端麗な容姿に目がいってしまった。だがその佇まいに見蕩れるのも束の間、すぐに演奏している彼の黒く澄んだ瞳に吸い込まれた。まるで見る者を射抜かんと、凛と真っ直ぐに見つめた眼だった。そんな彼と目が合った瞬間にはもう、わたしはあっという間に楽曲の孕んだ独特の空気感や世界観────そして志村氏の描く叙情的であり文学的な歌詞に包まれていた。
彼について「もう既にこの世を去っている」という中途半端な知識しか持っていなかったこと、そしてこれまでフジファブリックという存在を知らなかったことに深く後悔した瞬間だった。

それからというもの、わたしは地元のTSUTAYAの中古CDコーナーを片っ端から探し回り、1stミニアルバムである『アラカルト』を購入したり、志村氏やフジファブリックの刻んだ歴史についてひたすらに調べたりしていた。

この世界を確かに生きていた、志村正彦という人間は、一体何者だったのか。晩夏の花火の哀愁を唄うのに「若者のすべて」と題した彼は、一体何を想い何を憂いたのか。彼の亡き今、答えなど見つからぬそれを、それでも知りたいと、少しでも理解したいと思った。18歳の冬だった。

志村正彦という人物を知れば知るほど、まだ見ぬ彼を見つければ見つけるほどわたしは心が躍ったし、わくわくした。彼が奥田民生に衝撃を受けてミュージシャンを志し、18歳で上京し、「茜色の夕日」を書いたこと。地元である富士吉田市をこよなく愛していること。吸っていたタバコの銘柄がアメリカンスピリットのメンソールであること。頭が大きくてサイズが合う帽子が中々ないこと。それが例え些細な事柄でも、彼の情報を見つける度に彼を知ることができたのが嬉しくて、母親に何度も彼の豆知識を披露した。私の知らない新しい彼は、まだこの世界に生きている。そう信じて彼の歌声を夜な夜な聴いた。

わたしは彼が如何に素晴らしい人物であったかを他の人にも知って欲しかった。彼の著書である「東京、音楽、ロックンロール」や、彼が生前書き遺したすべての詞を記録した「志村正彦全詩集」を、通っている高校の希望図書にリクエストもした。希望用紙の著者名に「志村正彦」と彼の名前を書いた時、なんだか少しだけ嬉しかった。もしかしたら、他の人たちの心の中にも彼が住み着くかもしれないと信じて。

彼の音楽はずっとわたしの隣にあった。彼は歌声と演奏を通してわたしの背中を押してくれたし、わたしの真横で寄り添ってくれたし、一緒に泣き叫んでくれた。勝手に彼の詞と自分自身を重ね合わせて、彼に見透かされた気にもなった。

『Sugar!!』という曲のフレーズの中に、

「今何時? 時計はいらない 時なんて取り戻せるからね そうだよ 多分」

Sugar!!/フジファブリック  作詞作曲:志村正彦

というものがある。

自分の過ごしてきた10代の内訳をするとするならば、苦しい思いが9割だった19歳のわたしは、「10代を何もかも無駄にしてしまった」、「貴重な青春の時間を失ったのだ」と何度も何度も思い悩んでいた。そんな時、ふと流し聴きしていたこの曲のこのフレーズに、月並みの感想ながら "救われた"。時なんて取り戻せる……なんて、文字通りに受け取ったらまず物理的にできないことだけど、多分彼が考えているのはそうではないんだと思う。失ってしまった時間は"巻き戻せない"けれど、これから過ごす未来の中で、失ったそれを上回るくらいの大切な時間を"取り戻せる"のかな、なんて。その解釈も勝手なわたしの想像だし、彼の意図とは異なるかもしれない。だけどわたしはこの歌詞に、間違いなく救われた。それは彼の真意がどうであれ彼が書いた言葉から派生したものだし、絶対にわたしは彼に救われたのだ。

さて、ここまで長々と書いてきたが、それでもわたしは志村正彦という人間についてまだ少しも知れていないと思う。全体の1割も知れていないと思うくらい。けれどわたしにとってそれは、まだこの世界の様々な場所で生き続けている、志村正彦の無数の欠片をこれからも集められることを意味する。まだまだわたしの知らない志村正彦が、この世界には生き続けている。富士吉田にも、東京にも、はたまたわたしの隣にだって、彼はいるのだ。彼の肉体はこの世から消えても、その魂は、音楽は、消えない。

わたしもあと10年すれば、29歳の彼の歳に追いついてしまう。それが今はたまらなく怖くもある。それは彼が生きたその先の時間を、彼の標無しに手探り生きることが恐ろしいからかもしれないし、彼の歳をいつかは追い越して、彼よりも年老いてしまうことが嫌だからかもしれない。

だけどわたしは、それでも生きる。前へ進む。志村正彦を、フジファブリックを、追いかけ続ける。どこまでも、いつまでも。わたしが彼のいる空の果てに向かうその日まで。

志村正彦という人間は、何者だったのか。
彼は何を想い、何を憂いて生きたのか。
彼の眼を通した世界は、どう見えていたのか。

改めて、それがわたしにすべて解る日は絶対に来ないと思う。だけどわたしは志村正彦という人間に強く惹かれてしまった以上、少しでも彼の存在ごと解りたくてたまらないのだ。

志村さん、いつか少しでもあなたのことを理解できたのなら、わたしもあなたのような、何年何十年と愛されるモノを創れるだろうか。わたしがあなたに会える日はずっとずっと先になりそうだけど、その時はあなたに胸を張って、「あなたが大好きです」と言えるように、わたしは必死に貫いて生きるから。どうかその日まで、見つめていて。

もうすぐ彼の命日が来ようとしている今日という日に、わたしはぼんやりそんなことを想った。

わたしは志村正彦が、フジファブリックが、大好きだ。

2023/12/21.  執筆

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