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他人を気にせず、自分らしく

帰りのバスの中でふと感じたことを忘れちゃいけない気がして書き留めておきます。

Instagramを始めとする様々なSNSが浸透する中で、他人を気にしないなんてできるんだろうか。
【自分らしく生きていくのが一番】なんてよく人に言われるけれど、自身の個性や好み、趣向を知るためには他者を知ることが必要で、その差異から人は自分を見つけることが多い。
とりわけ日本ではこの他者に該当する部分が「世間」言われることも多く、これを基準に「すごい」とか「悪い」とか判断しがちだ。

世間って誰だ?そこには具体的な人はいないのに。

世間様から、日々「常識」を教わり、否応なしに「普通」の押し付けにあう。

誰と比べてるの?そこには誰もいないのに。

特にSNSが浸透し、「見せ方」と「魅せ方」ばかりがフィーチャーされる今日この頃では、この「世間」の基準が作られすく、他者を羨んだり、他人の正解を自分の正解のように感じてしまうような錯覚に陥りやすい。

幸せってこうでしょ?って。  人は十人十色って聞いたのに。

そう思うと「他者」や「世間」を意識せずに生きていくことは非常に難しい。
少なからず「私らしく生きていきたい」と強く願う私も、小さな四角い箱にに映る数々のキラキラした写真や動画に「黒い感情」が湧いて出てくることも珍しくない。

幸せって自分が思うことで、他人と比べようなんてないのに。

「人は人、他人は他人」なんて言うけれど、こんな現代を生きる私達に、雨のように降ってくる、情報、基準、価値観。

だんだん自分がわからなくなる。

「私ってこんなものがすき」「私ってこういうことがやりたい」芽生えた自身の感情ですら、SNSの基準に支配されて導き出されてしまったものではないか、世間に選ばされてしまってるのではないかと自問自答しループし続けてしまう。

私らしさってなんだろう。私らしくってなんだろう。
もがきながら、それでも自分を知りたいから、今日も私は内省してみる。
黒い感情が湧いたときには、向き合って感情の一番始めにいる私に、「なんでなの?」って聞いてみる。
そうやって、ちょっとずつ自分の幸せのカタチを作って、自分で自分を幸せにしてあげたい。

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