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【日本ドラマ】『初恋の悪魔』自分のままでいること

もう秋ドラマが続々と始まるなか、夏ドラマの感想を書けていない作品がたくさんあって、本作もその一つです。
私としては今期一番良かった作品が、この『初恋の悪魔』でした。

開始当初はわりとフツーっぽいというか、“1話で1事件を解決していく警察もの”のような体裁でした。ところがそれがある種のフェイクというか、回を重ねるうちに、その体裁を緩く保ちながらも違う様相を呈してきて、最終的にはやっぱり坂元裕二さん、というところに着地するような作品でした。

公式サイトに「先の読めない時代に、先の読めない物語を」とあるんですが、まさにその通りのドラマでした。「ミステリアスコメディ」と位置付けられているので、この文言の意味は、単に話の筋となるミステリーの先が読めないことなのかな、と、見る前は思っていました。しかし、実はそれだけではなくて、このドラマ自体、「一体なんの(何についての)ドラマなのか」簡単には読めないものだったのです。

詳しいあらすじは公式サイトを見ていただくとして、簡単にいえば、警察のちょっと外れたところにいる三人の男と一人の女の……って、やっぱり簡単に言えないんですよ、これが。笑 そして、だからおもしろかった、ということになると思います。

坂本作品のアイコン、変わり者キャラ

坂元裕二さんの作品には、“こだわりが強くて周りからちょっと変わった人と見られている”キャラクターが登場しますが、本作の主人公のひとり、鹿浜鈴之介もそうでした。古めかしくておしゃれできれいに片付いた一軒家に引きこもっていて、友達はおらず、ハサミをコレクションし、シリアルキラーと対峙したいと日々願っている。本作は、そんな鹿浜さんが、実はどんなに素敵な人かというのを見せる作品だった気がします。

人って、わからないです。
大抵は見た目や表面的な印象から先入観を持ちつつ、当たり障りなく付き合っていくのが社会生活じゃないかと思います。でもほんの少し相手の領域に近づいて見ると、まるで違った面が見えてきたりします。

鹿浜さんは初めてできた三人の友達に、一見、素っ気なくそれまでと変わらない態度で接しているようでしたけれども、心の中に純粋な友情を育んでいました。いざという時の行動にその純粋な心が見える、そういう脚本と演出になっていて、私はもうそういうのに弱いので、何度もジーンときて、時には泣いてました笑

孤独だけど愛と勇気がある鹿浜さん。愛し愛されたいけれど傷つくことを恐れて一歩引いている鹿浜さん。芽生えた友情や愛情は、最終的には、それを知らなければ受けることもなかった傷をもたらすことになったけれども、彼は最後に言いました。「僕はもう大丈夫」と。

鹿浜役は林遣都さんに当て書きされたらしいですね。当て書きされたからといって、その役を十分に演じられるとは限らないと思いますが、林遣都さんは素晴らしかった。

もちろん、鹿浜さんだけではなく、“普通”を体現する馬淵悠日(仲野太賀)、鹿浜さんと被りそうで被らない小鳥琉夏(柄本佑)、複雑な摘木星砂(松岡茉優)、それぞれおもしろいキャラクターで、演者のみなさんも申し分ありませんでした。

自明のことかも知れませんが、いかに魅力的な人間を描けるかが、ドラマのおもしろさを左右するのだと改めて思いました。(魅力的、というのは好ましい人物だけじゃなくて、嫌な、好きになれない人物も含みます)ストーリーはそれを実現する要素に過ぎないのです。いや、ストーリーのおもしろさこそがポイントになる作品もあるとは思いますが。

トラウマと癒し

鹿浜さんのセリフに「君は人から気持ち悪いと言われたことはないだろ?」というのがありました。つまり鹿浜さんにはそれがあるということですね。これは相当強烈な経験です。小学校のクラスで、“彼のためを思って”という名目のもと、みんなが色々と意見をいうシーンで、鹿浜さんの子どもの頃の様子が回想されます。鹿浜くんはその時、黙っているしかありませんでした。

その後、一人で図書室にいる鹿浜くんのもとに、大人になった現在の鹿浜さんが現れて話しかけます。

「大丈夫、自分らしくいれば、いつか未来の自分が褒めてくれる。僕を守ってくれてありがとう、って」

ここで、ぎゅっとハグをして、続けます。

「友達もいつかできる」

トラウマって、結局癒せるのは自分なんですよね。というか、自分にしか自分を本当の意味で癒すことはできない。このシーンはそのことを視覚化して見せてくれたとても良いシーンでした。ここでも私、ちょっと泣いてしまった。笑 ファンタジックなのに、むしろ鹿浜という人物のリアリティが増すという重要なシーンだったと思います。

鹿浜さんがこのような言葉を幼い自分自身にかけることができるようになったのは、もちろん三人の友達ができたこともあるでしょうし、彼に家を譲った椿静枝(山口果林)と出会ったことも関係あるかもしれません。いずれにせよ、彼が自分自身を生きてきたからこそでしょう。

坂本作品における愛

自分自身を生きる、ということについては、最終回でも少し触れられています。警察官でない方の星砂と鹿浜さんが夜に屋外で話すシーンです。
このシーンはそれ自体、鹿浜さんのみた夢なのか現実なのか、それをはっきりさせない形で存在しています。どちらなのかは見ている者がそれぞれに想像すれば良いのだと思います。

誤字があって恥ずかしいですが、こんなことを呟いてました。
このシーンは本当に見事で、後から知ったのですが、手で顔を覆ったのは林遣都さんが思わずしたことだそうです。この演技はすごい。

このくだりの後に、星砂が鹿浜さんに言います。

「仲良くなれる人って、居て当たり前じゃないと思うんです。
……
今ここにいなくても別のところにいるかもしれない。
……
大事なのは、ちゃんと自分のままでいることだなって」

そして長い沈黙の後、鹿浜さんは「はい」と言います。

実はこのセリフって、わかるようなわからないようなセリフだなと思うのですが、私だけでしょうか。とても難しいんです。

星砂にとって、「自分のままでいること」って何を指すのでしょう。
この後、この発言をした方の星砂は消えていきます。全く消滅してしまうのか、統合されて行くのか、それはわかりません。星砂自身も「自分のままでいること」の方へ向かって行ったのだろうとは思いますが…

このシーンでもう一つ感じたことがあります。

「今ここにいなくても、別のところにいる」人に対して持ち続ける思いのようなものが、きっと鹿浜さんの心の中に残るのだろうなと。

坂元さんの作品に繰り返し出てくる、こういう感情描写が私は好きです。

いろいろな別れがあって、それは二度と顔も見たくないような別れもあるのかもしれないけれど、そうでない別れ、一緒にやって行きたくてもそれはできない、別れるしかない、という別れにおいて、人の心ってそう簡単に割り切れるものじゃなくて、坂元さんの作品はそういうときの心の動きをすくい取って見せて/感じさせてくれる。これはフィクションの大きな役割だし、フィクションの持つ力だと思うんです。

* * *

主に鹿浜さんに沿って書いてきましたが、本作は複合的というか重層的というか、単純ではないので、ほかの視点からみたらまた別のポイントがいくつもあると思います。りんごと身体記憶の話とか、悠日が電話で死んだ兄と会話するシーンとかも印象的でしたし(ここでも泣きました)、坂元作品における手紙の意味なんかも気になります。
それらについても書く、となると色々難しくて、全然この記事が書き終わらなくなるので笑(すでに書き始めてから随分経っている…)、とりあえずここで終わりにしておきます。


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