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I don't know what to say (3,000字)

1.

 池脇からの連絡は約2ヶ月ぶり。最後に会ったのは緊急事態宣言が出される直前だった。いつも通り「明日、昼飯ついでに」ということで時間も店も確認し合うことなく、5分ほどの時間差で行きつけの喫茶店で落ち合った。

 店先のブリキの看板に「since1986」とある通り、いかにも純喫茶然とした佇まいながらも、跡を継いだ2代目店主が新調したであろう店内装飾品や一部のカトラリー類が - それだけなら都会のカフェに並んでいそうな洗練された - チグハグとも混沌とも猥雑とも違うなんとも形容しがたい絶妙にアンバランスなバランス感覚で居心地の良さ。限られたメニューの中で注文するのはそのうち2,3。大抵が日替わりランチ。店主から「お久しぶり」や「元気でしたか」とこなれたやり取りもなく、いつもと変わらず丁寧に注文を催促され、2か月ぶりということもあってもちろんこの日も日替わりランチ。常連と呼ばれても差し支えないのに、慇懃無礼とも思わせない店主の無関心、不干渉の姿勢もまた居心地の良さなのかもしれない。

 家並みに挟まれた店外の静けさとは打って変わって、店内で流れるBGMのラジオはなぜかアメリカの放送局で賑やかな調子の良さ。池脇との会話は自粛生活の良し悪しを思い思いに。
「結構本読んだんだよね。ジョージ・ブランメルっているじゃん。あのさ、ダンディの代名詞みたいな」
知ってる人の方が多いのか少ないのか微妙な人選。池脇らしい。
「あぁなんとなく」とこれ以上でも以下でもない偽らざる返答。
「ブランメルの生涯について書いてる本でさ。ファッションがどうとか波乱万丈のとかってよりすげえ心に刺さったのが。究極の人間関係って、この人なら信頼できるじゃなくて、この人になら裏切られてもいいって。わかる?」
前にも似たようなことを言っていたような気がする。これもまた池脇らしい。世の中の名言や格言の類は言い尽くされて使い回されて手垢だらけで、誰が言ったのかわからないままそのうちの誰かの温もりを頼りに記憶されるもんだろうと思う。池脇も同じことを考えていたのだろう。恐らくは、彼自身も件の本以外の誰かの温もりに感づきつつ。
「結局、誰が言うかだよね。俺たちもさ、恋と愛の違いはって言ってたじゃん」
それは俺たちというよりどちらかというと俺が言ってたと思いながらも先を促した。
「恋人関係は裏切ったら終わり。夫婦関係は裏切ることも織り込まないとダメ。それが恋と愛の違い、だったよね?」
わかりやすいかは別にしてこれ以上ない簡潔さ。
「似たようなことだよね。この人なら信頼できると思って付き合ってさ、それがいずれは、この人になら裏切られてもいいと思って結婚するわけでしょ。知らないけどさ」と自嘲気味に。

 見えないように、でも見るともなしにこちらの顔色を伺う彼が痛々しいというよりは申し訳なかった。未婚の池脇が恋と愛の違いを語るからといって嘲るつもりはない。むしろ、今日会ったら話そうと思っていたこと、1ヶ月前に離婚したこと。裏切られてもいいとは思えない、いや、割り切れない婚姻関係があること。そして、その前妻の身に起こったことを伝えないといけないと思うと、どう切り出すべきか、どんなリアクションを求めるべきか、想像するだけで居た堪れない。
何モノでもない「俺たち」が見出した真理に自ら反証したとも言えるこの現象をどう伝えるべきなのか。「そういえば」と、ふとあの時の予想外のリアクションを思い出した。

2.

 「リテラシーが問われるよね」
彼のというより一般論として、解釈が分かれるよねと伝えたかった。何気なく発した言葉に彼は目を剥いて応酬してきた。
「なんだよリテラシーって。そんな曖昧な表現で暗に批判するような言い方やめろよ。反論になってねえじゃん。論破してみろよ!理論武装してから言えよ!」
その語気以上に、自分がいかに論理的であるかということを感情的に吐露する姿に驚いた。論理的に語れない有様に感傷的になっているようにも。きっかけは些細なことだった。
 「いでたちからして強い男と美しい女だよね」
こんな言葉をきっかけに、共通の知人夫婦の馴れ初めについて話していた際に珍しく意見が分かれた。たったそれだけのこと。この時も「やっぱりさ、男は強くあれ、女は美しくあれってやつなんだよ。北斗の拳の解説本みたいなのでも書いてあったよ」と名言論議。この言葉自体には根拠なく賛同できそうな気もしたが、合点がいくということはなかった。どうも男尊女卑的思想からくる主張に思えたから。反論や批判というよりは、あくまで自分のスタンスを誤解されたくないとの思いから一般論を隠れ蓑に別角度から主張を展開したに過ぎなかった。この日、もうそれ以上の言葉を交わすことはなかった。語りえぬことを前にすると沈黙せざるを得ないと痛感した。

3.

 生垣の緑に目をやりながら次の話題を探した。探し始めた瞬間、先に話題を変えられた。
「そうだユウコちゃんは元気?」
「いや実はさ・・・」
「なんだよ、2人の関係も自粛疲れかよ」
「いや、違うんだ。実はさ、ユウコ、死んだんだ」
「は?なんだよそれ?」
「ユウコ、先週の月曜かな、自殺したんだよ」
声が震えているのが自分でもわかった。唐突すぎて悪い冗談と思われても仕方がない。順番がどうあれ、切り出すきっかけがどうあれ、この話をしようと思っていた。どう思われようとこの事実は変えようがなく、どうしても伝えないといけなかった。
「ごめん、よくわかんないけど。何て言ったらいいかわかんないけど。ごめん」
「いや、こっちこそ、急にごめん。ごめんって、別に俺が悪いわけじゃないんだけど、なんかごめん」
しばらくの沈黙の間、妙に落ち着いていた。こんな話題にこそ感情を露わに問い詰めるべきなのに、返してきた言葉もこの沈黙での振る舞いもやけに冷静で、何か隠し事をしているかのよう。まるで事情を知っていて、なかなか話を持ち出さないことに痺れを切らして話題を振ったのだろうか。

4.

 消えない沈黙をもう少し続けるために、あちこちに思いを巡らした。いつもの時間にいつもと同じ店で同じメニューを頼み、ただしゃべっている。昨日の電話もいつも通り。2か月の空白を経て。いつでも会えて、なんでも話せて、誰にも邪魔されない関係。心やすいと思える唯一の関係。
「自粛要請」に応じて連絡を取り合わなかったわけでもなく、ただその必要性がなかっただけ。安否を気遣う必要もなかった。普段から連絡を取り合わない面々とこそ、この自粛生活に乗じて意味もなく近況報告をし合ったのに。
2人の関係は、顔を見合わせることだけが許されたコミュニケーションとなっているのだろうか。同じ時間と同じ空間を同時に共有することだけが2人の関係をこの世界に存在させる唯一の手段として暗黙裡に了解されているのだろうか。これ以上どのように言葉を紡いでも言い表せない関係なのだろうか。
もう2時間も経っていた。池脇の顔が晴れやかに見えた。しばらくの沈黙を経て落ち着いたのか。いや、その時ようやく、店が禁煙になっていることに気がついた。この4月からの受動喫煙云々だろう。

「池脇、ユウコちゃんのこと、ご愁傷様。でいいのかな。また花でも手向けにいくわ」
「ありがとう、ユウコも喜ぶよ」
沈黙を破り、交わした言葉がいつもよりはっきりと耳に届いた気がする。煙草の煙のようにうっすらと余韻を残して消えながら。店の喧騒が以前より落ち着いているからだろう。
結局、離婚のこと、前妻のこと、自分のことを言葉にできなかった。

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