コロナ禍に「文明はなぜ崩壊するのか(レベッカ・コスター著)」を再読

 戦争やテロ、気候変動、食糧不足、政情不安に金融危機や宗教紛争などの不穏なニュースに触れる機会が増えると「そろそろこの世の終わりを迎えるんだろうか」とぼんやり考えることがある。
さらに、対岸の火事だった「ウイルス蔓延」が実生活にまで影響を及ぼす世界的規模になると「いよいよか」と。ただ、災難の積み重ねの結果というよりはこの「ウイルス蔓延」という、いち事象にこそ(字面語感にも責を問いたいが)、そのエネルギーが秘められているように思えてならない。
聖書の記述がそう思わせるのは当然として、それ以外の何か。

コロナ禍において、レベッカ・コスタ著「文明はなぜ崩壊するのか」を再読。

アメリカの社会生物学者レベッカ・コスタは文明が崩壊する原因をその著書の第一章「なぜ文明はらせんを描いて落ちていくのか」でこのように説明する。

ーp.15
 なぜ人類は、同じ破滅パターンを性懲りもなく繰りかえすのか。何世紀ものあいだ多くの頭脳が取りくみ、いまだに解決していないこの疑問に最終的な答えを見つけるには、あらゆる文明に共通する要素に着目する必要がある。その要素とは人間であり、さらに言うならば、国籍、人種、頭脳、富、政治に関係なく人間が本能的にとってしまう行動である。生物としての人間が持つ能力と限界、私たちはそこに目を向けなくてはならない。
ーp.16
 マヤ文明末期を襲った難問―気候変動、内情不穏、深刻な食糧不足、急速に蔓延するウイルス、人口爆発―が複雑すぎて、人びとは事実を把握して分析し、対応策を練って実行することができなかったとも言える。
 問題が複雑になりすぎたのだ。
 このように問題が深刻で複雑になるあまり、社会が対応策を「考えられなくなる」限界は認知閾と呼ばれる。
 社会が認知閾に達してしまうと、問題は未解決のまま次の世代に先送りされる。それを繰りかえすうちに歯車がはずれてしまうのだ。
 これが文明崩壊のほんとうの原因だ。

「問題が深刻で複雑になるあまり、社会が対応策を「考えられなくなる」限界」を「認知閾」と定義し「社会が認知閾に達してしまうと、問題は未解決のまま次の世代に先送りされる。それを繰りかえすうちに歯車がはずれてしまう」と。
文明の崩壊を体験したことがない身としても頷ける。文明と呼べるほどの規模でなくとも、国家や企業、部活やサークルなどの種々雑多ないかなる組織体でも起こり得る。
さらに第四章「反対という名の思考停止」では、

ーp.104
 認知閾の壁にぶつかったとき、私たちは複雑な状況をあたかもよく知っていて、管理可能なものだと思い込むために、客観的なデータ、解決のためのアイデアを拒絶するようになる。
 別の言い方をすれば、扱いきれない問題に直面した脳は、自らの能力に合わせて問題を単純化してしまい、従来の解決策で対応しようとするーたとえそれが効果がないことがはっきりとしていても。

続けて、第五章「個人への責任転嫁」、

ーp.112
 どんな文明にも、複雑な問題がなかなか解消しないときは、責任を個人に負わせるという明確なパターンがある。しかも問題が大きく危険になればなるほど、個人が非難される傾向がある。責任を取らされるのは国家の首長だけでなく、宗教指導者のこともあるし、上司や別れた配偶者、弁護士、近隣の住民、歯医者、両親、会計士のせいにされることもある。ときには自分自身に矛先が向かうことさえあるのだ。
 こうした「個人への責任転嫁」は、複雑な状況に陥って認知閾の壁にぶつかったとき、かならず顔を出すスーパーミームである。

とも。
正鵠を射たり。まさにどこの社会的組織でも散見される事象。
ついでにもうひとつ、同章より。

ーp.135
・・・複雑な問題を解決するのに必要な理解と、個人への責任転嫁との関係をこうまとめている。
 理解があるところに非難はない。
 言いかえれば、理解がないところに非難が顔を出すということ。

認知閾の壁にぶつかると、問題を先送りするだけでは済まず、あげくには人のせいにする。

 ハルマゲドンについて思案していたはずが、他者の無理解をコロナが招いた認知閾のせいにしてしまった。
確かに、コロナウイルスの蔓延でそこかしこで認知閾の壁が立ちはだる事態であることは否定できない。
しかし、それは「この世の終わり」や「文明の崩壊」を迎えるほど大仰なことではなく、大量生産大量消費、行き過ぎた資本主義、過当競争などと否定的に見られる現代社会のいち側面の終焉を兆しているだけなのかもしれない。
あるいは、度重なる失政(失態?)の渦中に前代未聞の世界的ウイルス蔓延で全国民と共に認知閾に達した安倍政権の終焉ぐらいで丸く収まるのかもしれない。


 なお、本書第一章「なぜ文明はらせんを描いて落ちていくのか」という見出しを改めて見て、「らせんを描けば発展するものではないのか」と疑問を抱きつつ田坂広志著「使える弁証法」も再読。

また同章で引用されているニューイングランド複雑系研究所所長でハーヴァード大学教授のヤニア・バル=ヤムの著書「物事を動かすために(Making Thing Work)」の

複雑さとは何か?複雑な環境とは正しい選択をしないと成功できない環境のことである。誤った選択肢がたくさんあり、正しい選択肢がほんの少ししなかい状況では、正しい選択肢を見つけないと成功はおぼつかない

から、ニクラス・ルーマン著「信頼―社会的な複雑性の縮減メカニズム」を思い起こした(未読)。


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